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苦しみを得るための時間と労力
自分で自分を不幸にして苦しめてしまいます 自分で自分を苦しめることに割く時間と労力が果てしなく膨大です なぜこんな意味が無いようなことをするのでしょうか? 苦労して手に入れたものに嫌気が差します 嫌だけど嫌々それを使い続けます 楽しくてもすぐに冷めて飽きてしまいます 自分は飽き性なのでしょうか?
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- obrigadissimo
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回答になりませんが 質問者さまが、日ごろ、 睡眠時間を含めた生活のリズムが 整っていて、ミネラルやビタミン類を 含めたトータルでの栄養のバランスが とれた食事を摂取できていて、 ご両親及び他のご家族との良好な人間関係が 構築できているといった……環境にあって、 いまいま、質問者さまに 一方的な期待心、無理な願望、承認欲求、 偏執的自己愛、被害者意識、自分本位etc.が ないとして、そうした状況であるとしたら、 あることを想わせるのですが……とりあえず、 微妙な世界のことでもありますので、 こころの健康(相談)センター等で、 ゆっくり相談してみませんか。 (どちらかの家系に、 メンタル系の障害のある人や ご病気の人はいませんか、 いませんでしたか) Good Luck!
- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1154/9141)
すべて借り物なのでしょう。やってみたいものまでが借り物なのでしょう。しかし自分の本当の気持ちなんてなかなかわかりません。飽きたらやめればよいということです。一得一失といいます。何もやらないよりは良いと思います。
- ao-momo
- ベストアンサー率59% (13/22)
難しい「問い」ですよねー ・・・私なりに思ったことを、思いきって書いてみます。 過去(たとえば幼少期)に、自分の心が破たんしそうになったような不幸な経験をしているケースが考えられそうな気もするんですが。そのとき、自ら最悪のシナリオを描くことで、現実の恐怖から身を守った、というような。 大人になった今も、外界から破たんさせられるような不安が湧いてきて、とにかく破たんしないように身を守る。その方法として、先に自分の方から(破たんしない程度の)不幸になった方が安全、という考えが働くことも。。。 するとさらに「やっぱり自分は幸せになれない」ということを確認して、これまたホッとする。。。 苦労して手に入れたものに嫌気が差すのも、「欲しいものを簡単に手にするのが怖い」ので自ら苦労する、それから「苦労すること」が目的になっているし、安全に持ち続けるのが怖いので、手放したい気持ちになってしまう。。。 こうやって、無意識的に自分が致命的に傷つくことを防ごうとしている、のか?など、想像してみました。 あくまで私の想像ですので、的外れでも気になさらないでくださいね。