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釈迦の説いた仏教
佛教大学や、仏教系の大学、仏門に入っても、いま日本等で横行している大乗仏教について学ぶだけで、釈迦が説いた本物の仏教は学べませんか? 学ぶにはどうすれば良いでしょうか?
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仏教系の大学でもダメですか? これはどうでしょうか ↓ http://www.j-theravada.net/
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No.4・5・6・7です。 補足を頂戴しました。 >釈迦に関する書物で今回教えて頂いた物以外に何かあればお願い申し上げます。 ご希望に添えるような書籍は知りません。申し訳ありません。 管見ですが、釈迦が自ら記した史料は現存していない、と了解しております。 釈迦を信奉する人達以外の同時代の第三者が、釈迦に関して記述した史料が存在するものか否かも知りません。 経典の大半は如是我聞で始まって著者名も記述年月日も記載されておりません。 どこまでが正確な我聞なのかは定かではないと了解しております。 お役に立てずに、お時間ばかり取らせまして申し訳ありませんでした
お礼
回答有難うごいまず。 お役に立てない・・・なんてとんでもありません。 沢山情報を頂きました。 本当に感謝しております。 今後とも宜しくお願い致します。
No.4・5・6です 補足を頂戴しましたので、説明させて頂きます。 何か適当と思われる書籍はないか?というご希望のようですが、 書籍の推薦に先立ち、ご趣旨を勝手に解釈させていただきました。 ご趣旨 宗教としての仏教には興味がない。 哲学(考え方)としての興味がある。 西洋哲学の考え方よりもインド哲学ひいては東洋哲学の考え方に興味がある。 仏教の始祖とされる、釈迦の人柄に魅かれるものがある。 釈迦が悟りに至った、考え方を知りたい。 上記のように解釈させて頂きましたがよろしいでしょうか? 仏教を哲学(考え方)として捉えてアプローチされるのであれば、直接よりも「禅思想」を手がかりとされる方が簡便かと思います。 現在、西欧でも「禅」は宗教としてではなく、思想、哲学として受け入れられています。 このような観点で禅寺で修行を続けておられる西欧の方々が沢山おられます。 このようなこともあり、多数の入門書や解説書、専門書が出版されています。 補足の中で「自己に目を向けている」とされておられますが、これが禅の神髄です。 元々禅は、釈迦が悟りを開いたとされる、「悟り」とは何ぞやというところから始まっています。 「自己に目を向けている」とお受け取りになられたのは、釈迦の伝記などによく出てきます。 自灯明・法灯明(自分自身を拠り所にしなさい)というお話がヒントの一つとなっておられるのではないのでしょうか。 アナートマン(非実在・無我)の考え方に共感されたようですが、 自我、無我に関してはいろいろ書籍があります。 手軽なものとしては 自我と無我―「個と集団」の成熟した関係 岡野 守也 PHP新書 纏まったものとしては 自我と無我 インド思想と仏教の根本問題 中村元編、 平楽寺書店 「日本の古書店」というサイトに出品されています。 おそらく最寄りの図書館にもあるかと思います。 釈迦の考え方の順序ということになりますと「縁・十二縁起」という考え方を調べることになるかと思います。 西洋哲学に馴染んでおられると、いきなりでは違和感があるかと思います。 因、果、縁という三者に対する考え方です。 仏教を哲学として捉えるのであれば 唯識の研究 武村牧男 春秋社 のほうがよろしいかと思います。 「輪廻転生」といいますが、何が輪廻転生するのか、という仏教哲学の基本の部分です。 この唯識の考え方は、脳死問題などから、人の死とはなにか、という観点から見直されています。 西洋哲学の深層心理学とは全く別のアプローチの仕方で、恐ろしく理論的な考え方です。 脳科学者も盛んに議論しています。 尚、直接、東洋思想と大上段に振りかぶるよりは 日本的霊性 鈴木大拙 岩波文庫 日本人の発想日本語の表現 「私」の立場からことばを決める 森田良行 中公新書 などを気楽に読まれれば、ウオーッミングアップにはなるかと思います。 他にご希望があれば、補足を願います。
補足
早速の回答いつも有難うございます。 恐縮です。 読み取って頂いた私の考えについて 宗教としての仏教には興味がない。→○ 哲学(考え方)としての興味がある。→○ 西洋哲学の考え方よりもインド哲学ひいては東洋哲学の考え方に興味がある。→× 釈迦の考えに興味を持った段階でそれ以上ではありません 仏教の始祖とされる、釈迦の人柄に魅かれるものがある。→△それをより確認したいと言うのが今回のエッセンスです。 釈迦が悟りに至った、考え方を知りたい。→○ このような形で×と△をつけさせて頂いた点が恐縮ですが異なりますので、今回の回答でアドバイスして頂いた事項は、勿論参考になって有難いですが、質問趣旨とは異なります。 例えば「禅思想がいい、簡便」などの部分を例でご説明させて頂きますと、『禅を学んでみれば良いのではないか、どうか』はこの後自分で判断します。また簡便さは特に求めていません。 極論を言えば一生釈迦の発言(とされる)だけの解釈で終わってしまっても構いません。 このような形ですので、前回のご回答への補足でも申し上げましたが、幅広いご教示は結構ですので、釈迦に関する書物で今回教えて頂いた物以外に何かあればお願い申し上げます。 そういいながらも >元々禅は、釈迦が悟りを開いたとされる、「悟り」とは何ぞやというところから始まっています と言う点は非常に関心高く、禅へのアプローチをご指導くださって点など、深く感謝いたします。 有難うございました。
No.4・5です 補足を頂戴しましたので、説明させて頂きます。 >私は釈迦の教えて(とされる)部分にとても共感を覚えた為、 当方としましては、どのような教えに共感をお持ちになられたのかが分かりません。 仏教思想のようなものは、その人その人の人生の積み重ねの結果として、得心したり共感したりしますので、なかなか他人には分からない部分があります。 >佛教大学など、どこかで学べるものなのかと言う事が知りたいです。 ネットで「仏教 通信講座」をキーワードとして検索頂ければ、仏教系大学が行っている講座が分かります。 各大学とも、母体の宗派やご宗旨がありますが、あまりこだわることはないと思います。 むしろ仏教特有の用語や、用語の解釈などを知るおつもりで受講されればよろしいかと思います。 日常的に使われています言葉でも、仏教用語となりますと、全く異なった意味で使われることがあります。 又漢字の読みも呉音をつかいますことから、漢音になれていますので、戸惑います。 例えば、「理解」これを「りげ」と読んで「りかい」とはやや異なる概念を表すようなことがあります。 直接的に仏教哲学を学ぼうとされますと、相当な準備期間が必要になってきてしまいます。 それよりは、急がば回れで、個々の言葉の使い方を学ばれれば、仏教特有の考え方が自ずと会得できるかと思います。 >もしくは○○と言う本が良いなどのアドバイスでもありがたいです。 失礼ですが、今までどの程度お読みになられておられのかが分かりませんので、当て推量で紹介させて下さい。 下記の三冊はいずれも講談社学術文庫です。 仏陀がいいたかったこと 田上太秀 老荘と仏教 森三樹三郎・・・仏教への中国思想の影響がおぼろげながら分かります。 仏教民俗学 山折哲雄・・・・普段何気なくやっているお彼岸やお盆、などの行事がどのように受け入れらていったのかが分かります。 日本人の仏教というものに対する常識がどのように形成されていって、それがインドなどの仏教とはどのように違うのかが分かります お坊さんが困る仏教の話 村井幸三 新潮新書 日本仏教は、儒教や道教、神道の考え方が浸透していますので、個々の話を突き詰めて行きますと矛盾だらけになってしまいます。 そんなことは一切おかまいなく受け入れてこなしてきたのが日本仏教の姿です。 このへんのことが面白く書かれています。 いずれも、大上段に構えるよりは気楽に読み飛ばされることをお勧めします。 何か追加があれば遠慮なく補足を願います
補足
お世話になります。 度々すみません。 自分の言葉だどうも悪い為に、中々伝わらないので申し訳ないです。 私は仏教に強い関心があるわけではないです。ゴータマ・シッダールタに関心があります。 発端は哲学を勉強しようと思い、いくつかの入門書やソフィーの世界などを読みました。 そこで現在はまだ西洋哲学の本などを読んでいるのですが、少し先には釈迦について勉強したいなと考えている次第です。 まだ「さわり」ですが、彼のアナートマン的考えや、まず自己に目を向けているあたりなどが、他の古の哲学者や宗教(嫌いです)などと違い、とても分かりやすくお腹におちたからです。 誰か一人に偏って尊敬・崇拝することはないとは思いますが現段階では釈迦の言った(とされる)事が現在の一般人から見えている宗教(活動)やスピリチュアル(を利用した短絡的な癒し風潮)などが嫌いな私にはとても共感でき、一番好きな哲学者と考えている為です。 釈迦を勉強する上で、仏教全般を知る事は当然必要かと思いますが、それは当然で、そのつもりでいます。基礎的仏教用語も少しは存じていますし、また勉強していくつもりです。 しかし順序としては釈迦がどんな風に考えたのかを掘り下げるところからしたく、なんで後の人が解釈をそうしたか、こうしたか、~現代では、各地域ではと言うところはその後にしたいと考えています。 (厳密に言えばそんなにきれいに分離できないと思いますので、行ったり来たりにはなると思いますが) ちなみにいま、学研の「釈迦」を読んでもいます。 このような形ですので、誠に恐縮ですが仏教のご教示は結構です。 もし最後に再度おつきあい願えるのであれ「ゴータマ・シッタダールタ」が好きなら(知りたいなら)この本がいいよ的な物を教えて頂ければ幸いです。
No.4です。 補足を頂戴しましたので、説明させて頂きます。 >その上で、これが釈迦が言った(とされる)思想のようなものを知りたいです。 釈迦が悟りを開いてから最初に説いたのが、中道、四諦、八正道の三つだとされています。 敢えて最初に持ち出してきたということからすれば、一番基本になる考え方(思想)かと思います 中道 なにごとも偏ることなく真ん中であれ、ということですが、仏教ということになると、おそろしくややこしいことになります。 何と何の間の真ん中なのか、真ん中とは何か、などとかやかましい議論が繰り広げられます。 善悪、良否、上下、左右などに拘らずにバランス感覚を持って物事に対処しないさい、ということだと、理解されておかれれば宜しいかと思います。 四諦 諦とありますように、四つの明らかなことがら(悟り)とでもいうことです。 苦諦、集諦、滅諦、道諦の四つが挙げられています。 苦諦というのは、一切が苦である、と悟りなさいということです。 この一切が苦というのが恐ろしく難しい概念です。 これについては、四苦八苦という言葉があります。 生、老、病、死・・・人生で避けて通ることができない、四つの苦 愛別離苦・・・ン愛する者と別離する苦しみ 怨憎会苦・・・ 怨み憎んでいる嫌な奴と出会う苦しみ 求不得苦・・・ほしいものが手に入らない苦しみ 五蘊盛苦(ごうんじょうく) ・・・五蘊(人間の肉体と精神)が自分の思うままにならない苦しみ 取りあえずは、この八つの苦で代表される苦しみだ、と理解されておかれれば宜しいでしょう。 集諦 上記の苦しみには、必ず原因があるいうことを悟りなさい、ということです 滅諦 この苦しみも消えるということを悟りなさい、ということです。 道諦 苦しみを消す方法があるということを悟りなさい、ということです 八正道 正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の八つの事柄を心がければ悟ることができます、ということです。 >釈迦が輪廻と言う概念を否定していたのか、存在(考え方)は肯定した上で、そこからの解脱を考えたのか? 輪廻といいますか、死後にどこかの世界に生まれ変わるという考え方は、仏教だけではなく、キリスト教にもイスラム教にもあります。(天国、地獄etc) キリストは処刑後に再びこの世にあらわれたとされています。 釈迦が肯定していたか否かの以前に、すでに古代インドに存在していた考え方だった、とお考えになられた方が宜しいかと思います。 「お釈迦様がお弟子さんに死んだらどうなりますか、と聞かれて、死んだことがないからワシャ知らんと答えた」という寓話が伝わっています。 このお話と、最初の説法が死に纏わる話ではなく、人間の苦について述べているとされていることからすれば、輪廻などというものに余り関心がなかったのではないのでしょうか。 六道輪廻などと体系化されたのは、少なくても釈迦入滅以降のことだと考えられています。 仏教と姉妹関係にあるヒンズー教では、死後49日経てば別の世界に生まれ変わっているのであるから、遺体などには何の用もない、ということで、火葬にしてお骨はガンジス川に流してオシマイです。 現在もインドにはお墓というものがありません。 キリスト教などの他の宗教のものが僅かにあるだけです。 これだけの事柄を見ましても日本仏教インド仏教が異なるものであることがお分かりいただけるかと思います。 単に共通部分があるだけということになります。 蛇足 大乗仏教とか小乗仏教という言葉は最近は使われていません。 北方仏教、南方仏教という言い方が一般的です。 北方仏教は、釈迦入滅後500年ほど経ったころに成立した考え方です。 北方仏教の最大の特徴と言いますか核心部分は、 普通の人間であった釈迦が悟ことで仏になることができたのであれば、我々後世の人間も悟れば釈迦と同じように仏になることができる、という考え方です。(一切衆生悉有仏性) この考え方に対して研究者や南方仏教の方からは、北方仏教は仏教では無いと言われています。 チベットはインドから直接伝わりましたが、日本は中国経由で伝わっています。 途中で中国の思想が入り込んでいますので、結果として日本仏教は、チベット仏教とも異なります。 さらに、古来からの神道とも融和したことから、中国仏教とも違っています。(草木国土悉皆成仏) 従いまして、現在お耳にされている仏教のお話の延長線上で古代インド仏教を考えますと、混乱や誤解が起きますので注意して下さい。 以上ですが、何かあれば遠慮なく補足をお願いします。分かります範囲内で御説明させて頂きます。
補足
ご丁寧な回答を有難うございます。 投稿頂いた内容はどこかで読んだ事ある内容ではありましたが、とても分かりやすく整理して頂いたのでとても助かりました。 概ね今回ご教示頂いた点を理解したうえで、ようやく最初の質問に戻るのですが 私は釈迦の教えて(とされる)部分にとても共感を覚えた為、原始仏教と呼ばれる部分をまずよく知りたいと思うのですが、この点については自分で図書館などで文献を沢山読み解き、自分なりの解釈をしていくしかないのか、それとも、勿論その作業も必要になるかもしれませんが、浅くは佛教大学など、どこかで学べるものなのかと言う事が知りたいです。 もしくは○○と言う本が良いなどのアドバイスでもありがたいです。 宜しくお願い致します。
申し訳ありませんがご質問の趣旨がよく理解できません。 学術的な意味で純歴史学、純考古学的に、釈迦なる人物が何を考えていたのか、ということをお知りになられたいのでしょうか。 下記のWikipediaの説明にもありますように、ブッダ釈迦と呼ばれる人物がいたということを刻みこんだ、石柱が発見されてる、ということが考古学上知られているだけです。 いろいろ教えを説いたとされているのも、当時の仏教教団の人が書き留めたものが残っているだけで、それが釈迦なる人物が語った言葉が正確に記録されたものかどうかを証明できる史料は未だに見つかっていません。 多くの解説書にもすべて、「とされている」「と言われている」となっています。 これを、否定するだけの論拠となる史料がないことから、そのように考えても差し支えないであろうということになっているのが現状です。 釈迦 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/釈迦 思想史として考えるのであれば、当時のインド社会でどのような思想があり、釈迦の思想が、どの思想の影響を受けていたのか、どのような意想で敢えて新たな思想を考え出したのか、その思想が当時の他の思想とどの部分が同じでどの部分がことなるのか、という思想史上での事象をお知りにりたいのでしょうか。 哲学にせよ宗教経典にせよ、あくまでもその時代時代の筆者が置かれた状況に応じて考え出され、記述されてきました。 そのなかで、時代や民族などを超えて受容されてきたものが、古典や聖典として受け継がれてきています。 この辺の経緯につきましては下記サイトをご参照ください 初期仏教 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/初期仏教 宗教の分野で聖典(聖書、仏典etc)と呼ばれるものは、普遍性を持たせるために、必然的に具体性を欠いた記述となります。 このような性格であればこそ、時代や民族を超えて受容され続けてきました。 逆に、言うと、読む人によって多種多様な解釈が生じてきます。 大乗仏教であれ小乗仏教であれ、このような解釈のしかたを支持し受容します。という個々の解釈のどれを信じるのか、ということで区分されているだけの話です。 要は、質問者さんご自身が仏教なるものから何を学ぼうとされておられるかで変わってきます。 その手がかりとしてであれば、現在の日本国内であれば大乗仏教を学ばれるのがもっとも簡便かと思います。 現在大学等では、梵語から中国語(漢文)に翻訳されたものが使われていますが、翻訳である以上翻訳者の意想が含まれてきます。 更にその漢文を日本語で解釈しています。(日本語に基づいた解釈となります) 古代インドの人達の解釈を元とされたいのであれば、梵語(サンストリック語)と呼ばれている、古代インド語をマスターされて、各大学などに保管されている史料を直接お読みなられることが必要となります。 現に、佛教大学などの大学院レベルの学生であればこれを行っています。 以上ですが、再度補足でご趣旨を御説明いただければ、何かお役に立てる説明ができるかもしれませんので、よろしくお願いします。
補足
この度はご丁寧な回答有難うございます。 また、文章としておかしな質問の投稿をしてしまい誠に申し訳ありません。 恥をしのんで補足させて頂きます。 まさにwikiなどを読んで、ざっくりと 「釈迦が言った(とされている)仏教」とその後や今日日本などで広まっている(とされる)仏教」は全く別物と言うような事を知りました(そう受け取ってしまいました) そこで釈迦が言ったとされる事はとても個人的に消化しやすく、少し哲学や思想も勉強し始めている段階で最も関心を持ちました。 そこで釈迦がどこまでどう言った(とされているか)か、『通説の釈迦の思想』をもっと知りたいと思いました。勿論、全体を把握する為には大乗仏教や釈迦が誕生した時の歴史背景なども知る必要があると思いますが、まずは素人にありがちで恐縮ですが「釈迦ってどういう考えなの?」をもう少し知りたいの思ったのです。 社会人ですが通信制大学などにも興味があり、佛教大学なども候補として検討していた事もあるので、上記のような質問になりました。 さすがに私も全てが結局後の人々が伝えたり解釈したものでしかないと言う事は理解しているつもりです。 その上で、これが釈迦が言った(とされる)思想のようなものを知りたいです。 1点細かい疑問例で申しますと、釈迦が輪廻と言う概念を否定していたのか、存在(考え方)は肯定した上で、そこからの解脱を考えたのか?的な部分が、少ししか調べてない中ですが、眼にした文献によりニュアンスがマチマチに思えました。
- doshita50
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釈迦が何を悟って何を記録に残したか現在でも正しく判明していません。 そのような書物があまりに沢山あり、研究者を悩ませているようです。 あまりに古い書物はほとんどが書き写されて現代に存在します。 書き写した人は難解な表現を勝手に解釈した部分もあるでしょうし、 当時の社会に受け入れられるように内容が変わったかもしれません。 現にキリスト経のバイブルなどは現在でもミサの時に司祭が一文を 読み上げ、皆に理解しやすいように「その司祭独自の解釈」を伝えています。 でも、皆さんがそれでご理解できればそれで良いのです。 釈迦の本音が聞けたらそれが一番よいでしょうが現在の私たちは釈迦の 全体的思考を推測するしか無いように思います。
お礼
有難うございます。 地道に自分なりの解釈を造っていきたいと思います。
- trytobe
- ベストアンサー率36% (3457/9591)
その昔の各宗派の宗祖が、かくあるべきと仏教の姿を吟味していったように、仏教の原点を見るためにどんどん仏典・文献を読み解き、歴史をさかのぼって研究をされるしかないかと思います。
お礼
有難うございます。 やはりそうですよね・・・。 焦らずやっていきます。
お礼
有難うございます。 求めている回答の1つです。 感謝いたします。