両替制度(1600年代半ばから興り、全国とりわけ大阪・江戸・京都で盛んになった)によって、即座に受け渡し可能な金銭として出現した現銀(げんぎん)に擬(なぞら)えて、即座に自分の主張や態度を「受け渡し」してしまう、そんな変わり身の早い様をもっぱら形容したようです。
この態度の「受け渡し」方が、露骨なまでに目先の自分の利害本意であれば<阿漕な手合い>であり、相手に合わせようとのやり口であれば、せいぜい「太鼓持ち」「お調子者」並みの他愛もない程度の意味で使われる場合もあるのでしょう。
両替商のメッカ大阪では、金本位となった明治時代に至ってさえ「あいつ、現銀なやっちゃ」「えらい現銀なこと言うのやなァ」(「大阪言葉辞典」234頁)とあります。浪花商人にとっては「現銀な」人物など当たり前過ぎて、取り立てて目くじら立てるほどのものではなかったのかも知れません。
一方、「宵越しの金は持たない」との江戸っ子堅気からみれば、あるいは「武士は食わねど高楊枝」の公家や武士階級からすれば、それこそ情けない「現金な」輩(やから)であり、目先の僅かな利害にこだわって平気で態度を豹変させる「現金な手合い」という蔑視の意味が強く込められて来たのでしょうか。
なお、英語mercenaryは、報酬目当てや欲得ずくで動く風なので、「現金な」というよりは「商売本位」……て感じでしょうか。
お礼
なるほど・・。 あまり悪いイメージで捉えていなかったんですが、やっぱり悪口として使われるみたいですね。 回答ありがとうございました。