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自分がどうしたいのかよく分からなくて。

今日バイクの卒業検定で落ちました。 急制動という急ブレーキのテストにて、 規定距離内で止まれなかったことが原因でした。 検定という大事な場面なのにもかかわらず、 急ブレーキ中に急に止まる気が失せて、 急減速で3km/hくらいまで減速したところで ブレーキを解放し、とろとろ走って、 距離オーバーしました。 教官も「え?」と驚いた様ですが自分も同様です。 何もやる気が起きずふらふらしている事も多いし、 今起きているのか寝ているのかよく分からなくなることもあります。 目的もないまま、あるいは入る覚悟もしないまま大学に入ったことも、 自分の無目標さの表れじゃないかと思います。 普段、人といるときは笑ったり笑わせたりしているみたいですが、 1人になると、急にもの悲しくなります。 自分が空っぽの躰を動かしている気がする時間の方が長く、 自分が実体を持つように感じるのは、 不意をつかれてそれに反応しようとしたとき、 カートなどでストレートエンドでコーナーへのつっこみを敢行するとき等、 攻撃的意志を持ったときのみで、 ちょっと危険なのでそれは努めて抑えようとしています。 IMで友人とその姉の心温まる(?)エピソードを聞いたときは、人知れず嗚咽しました。 日常、心配の種なんか無い風なキャラクターを装っているので、 友人に相談することもできないし、 引越と転校の繰り返しの人生だったので昔からの自分をよく知っていてくれて、 話も良く聞いてくれるという人もいません。 両親も"鬱"は精神的な弱さにより もたらされるものだと考えるような嫌いもある人間なので、 そういう話をほのめかしてもあしらわれてしまいます。 結局自分がどうしたいのか、どうすればいいのか、 自分はどういう状態にあるのかよく分からないでいます。 発散系の質問の仕方をしてしまいましたが、とりあえずどうすればいいのでしょうか。

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  • Syo-ya
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回答No.4

再びの3です。お返事ありがとうございます。しつこくすいません。 私はあくまでも想像だけで書いていますので、一般論で好き勝手なことを書いてますが、お許しください。m(_ _)m 参考になるかも知れないので、追記します。 その失った感のある闘争時の覚醒に関してですが、これは、おそらくノル・アドレナリン、アドレナリンという闘争、覚醒系の脳内伝達物質の働きによるものだろうと思います。 アイルトン・セナも存命中は「アドレナリン走法」などと言われていました。   これらを感じないということは、逆に言えば、低ストレス・低刺激の生活を送っているのではないかと思います。 もしくは最近、太り気味であるとかかも知れませんね。 しかしこれは、これで良いんです。 思春期のホルモン・バランスが一生続くわけもなく、加齢や、環境でドンドン変化していくものなんです。 ただ、このノルアドレナリンの不足が過剰になりますと鬱病にもなります。 ノルアドレナリンに作用するSNRIという抗鬱剤で鬱病に治癒もあるんです(余談です) あと興奮系で有名なのにドパミン(ドーパミン)というのがあります。 ギャンブル依存等もこのドパミン分泌の快感を追い求めた結果だと言われています。 ですから教習所での奇行も、天然の麻薬切れのような症状と言えるのかも知れません。 なんで、天然の麻薬が切れるかと言えば、良くも悪くもストレスとの関係だと思います。 低すぎてもいけないし、高すぎてもいけません。 で、今でこそ、こうやって脳内ホルモンの説明で、心の状態の概要が掴めますが、昔の人はどうしていたかというと、経験則で対処していたんだと思います。その代表例が座禅、瞑想、呼吸法、ヨガでしょう。(東洋発のものばかりですが) で、鬱病にも関係が深く、人体の生理機能とも関係が深いものに「セロトニン」というのがあります。 これは「爽やかな覚醒ホルモン」とか、「癒しホルモン」とか呼ばれています。 僧侶(優秀な)をイメージしてもらうと分かりやすいと思いますが、引き締まった表情、ピンと伸びた背筋、鋭い眼光、回転の速い頭脳・・・。と言った人達は、このセロトニン神経群の働きが活発であるということです。 http://physi1-05.med.toho-u.ac.jp http://www.ktv.co.jp/ARUARU/search/aruserotoninn/serotoninn_1.html 「行動は抑制的、気分は高揚」とも言われているホルモンです。 ですから、このセロトニン神経の賦活を目指して座禅、瞑想、呼吸法、気功法の実践をお薦めします。 ちなみに私は歩く時は、歩行禅のつもりで「正しい歩き方」「正しい姿勢」を保ちながら歩いています。 「調息」「調身」「調心」の三つが揃えば歩行だって、穴掘りだって、なんだって良いんです。 禅問答なんて、昔のカウンセリングですよね。 さらにその作法は、セロトニン神経の賦活に最適ですし、 現代科学に照らし合わせても、完成された、心身の健康法だと思います。 普通の椅子に座った状態でも良いし、立ったままの立禅でも良いんです。 自分がどうしたいのか? どうすればいいのか?も見えてくるかも知れません。お試しください。 あと、ACとTA(交流分析)は別物です。

yamai
質問者

お礼

フォローまでしただいて Syo-yaさん、本当にありがとうございました! 今回Syo-yaさんからいただいたアドバイスをもとに、 調べたり、実践したいと思います。 正直に「ほーっ」って思える話がたくさん聞けて良かったです。 重ね重ねありがとうございました。

その他の回答 (3)

  • Syo-ya
  • ベストアンサー率31% (558/1780)
回答No.3

第一印象をあえて率直に書きますと、質問文が「自分」という主人公を据えた物語に仕上がっていると思いました(反論もあると思いますが、率直にそう感じました) 私の周囲にも好戦的な人は居ますが、本人にとっては、それは「確かな繋がり」を意味するものだろうと思います。誰かに食ってかかれば、かなりの割合で反応を得られますから、それが「報酬」になって、快感を伴なっている可能性もあると思います。 単純に考えますと、闘争は本能ですが、人との繋がりでもあるわけですから、質問文にもありますように、やはり「寂しい」というのが、本音なのではないかと思いました。この一点が全てなのかも分かりません。(人類共通の悩みですが・・・) 寂しさも慢性的になると、痛みを伴なわなくなります。 若い頃のようなストレートな感覚が麻痺して、その表現方法もいろいろな形に進化、発展します。(一見して分からなくとも、寂しさが根底にある行動は多いです) 「寂しさ」に限らず、感情というのは受け止めてくれる誰かがいて、初めて、報われると思うんです。 しかし他人にとって、これほどやっかいなモノはありませんし、ご質問者さまだって、他人からの謂れのない感情は排除するでしょう。 ですから、感情の処理もマスターベーションで処理するしかなくなっていくんです。イメージは悪いですが、これは普通の反応だと思います。 そうすると、やっぱり、マスターベーションは止められなくなりますし、気持ちを汲んでくれない他人よりも、気持ちが良いですから、さらに止められなくなっていくと思います。そうして、気が付くと「独りが一番だ」と進化、発展していくと思います。 でも、やっぱり、本音は「寂しさ」だろうと思いますから、無意識で、いろいろなアプローチで、この寂しさを解消しようとなると思います。 ですから、(と、勝手な想像で、結論付けますが・・・) >自分がどうしたいのか、分からない は、仲間との触れ合いの中で、傷ついた心を癒し、「自分」ばかりにピントが合いすぎた自己注目の心を解放して、「気負いの無い、オープンな人間になりたい、そういう生活がしたい」と言ったところではないかと思います。 何よりもまず、「癒し」があって、「気付き」があって、「解放」があると思いますので、傷ついた心の癒しに専念して欲しいと思います。 「インナーチャイルド」を勉強してみてください。 http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&q=%83C%83%93%83i%81%5B%83%60%83%83%83C%83%8B%83h きっと、役に立つと思いますし、自分の本音もみえてくるかと思います。(図書館に、本もあるでしょう) で、転校以外にも、親の性格であるとか、生育環境に問題があったと感じているのでしたら、「アダルトチルドレン」AC概念を勉強されると良いと思います。 自助会(セルフ・ヘルプ・グループ)もありますから、参加されるのも良いと思います。(これも図書館に多数の本があるはずです) http://www.hi-ho.ne.jp/sugiyuki/omoni/jijyoG.html (AC以外の自助会も多数あります) いずれにしましても、「気付き」なんだと思います。 今、歩いている道から軌道修正するにも、気付かないと道を変えることも出来ません。 でも、「気付き」って、道で石コロを拾うような、タイミング、確立ですから、平常心を養うことも必要だと思います。(短絡的なようですが瞑想、座禅もお薦めです)

参考URL:
http://www.ktv.co.jp/ARUARU/search/aruyuutsu/yuutsu2.htm
yamai
質問者

お礼

Syo-yaさん、回答ありがとうございました。 ほんとにインテレスティングで、回答の中の自分がアミュージングで、おもしろく読ませていただけました。 なんだか今朝は気分がいいです。 > 私の周囲にも好戦的な人は のくだりですが、「自分小学生じゃん!」というのが正直な感想です。自分が滑稽に思えました。 平常心のお話もありますが、座禅などの静的なものでなくて、いつだったか、闘いの時の冷たい炎のような平常心(そんなもの平常心じゃないとか)は、持ち合わせていて、今はそれをどこかに見失っちゃったんじゃないかなぁ、なんて。 それで、いつもぽかーんと空虚なのは、いつまでも「祭りの後」が続いている状態なのかなぁと。 > 仲間との触れ合いの中で、気負いの無い、オープンな人間になりたい、そういう生活 に戻りたいっていう部分もあるのかなって。 > AC というのは「交流分析」上の概念ですよね。 「理想的な幼なじみ」がいないことは大変残念だし、今の自分を生育環境のせいにもしきれないのですけれども、交流分析を勉強して一度自分を見つめ直す材料にします。 回答から、新たな視点も発見できました。非常におもしろかったです。 また、何度も読み直してみようと思います。 ありがとうございました。

回答No.2

『どうしたらいいのか分からない』という思いをできるだけ若いうちに持てたことを,まずはうらやましく思います.今,大学生さんでしょうか.そうでしたら,まだまだ若く,時間もたくさんあると思います.いろいろなことにチャレンジしてみてはいかがでしょうか.何でもいいです.自分に自信が持てるものを見つけてみてはいかがでしょうか.クラブ活動でも勉強でも,いろいろな知識でも,趣味でも,旅行で北海道一周するとか,英単語で知らないものは何もないとか,道に生えているすべての植物を分かるようにするとか・・・なんでも結構です.何か,これならば絶対に他人には負けないぞというものを持ってみてください. 以前,自分もこのように感じたときが何回もありました.やはり落ち込むこともありました.でも,多分誰もがこのようなつらい経験をして,言えずに苦しみ,そして打開していっているのだと思います. 自分に自信を持てたら,きっと,『入る覚悟もしないまま大学に入ったこと』への後悔も不安もすべて吹き飛び,いま自分が立っている場所が,そして,次に自分が向かうべき場所がおのずとみえてくると思います. 人生に無駄な瞬間はひとつもありません.今回の失敗も,いい経験となり,つぎの新しい自分へとつながっていくはずです.でも,向かうべき方向を決められるのは,貴方だけです.みんなが同じように何かしら悩んですること,悩んでいるのは決して自分だけではないこと,そして,自分自身の可能性の信じて,何か大きなひとつのものに集中してトライしてみてはいかがでしょうか.ただ,人から課題を与えてもらうのではなく,自分でいまできることをしっかりと考えてみてください. 最後になりましたが,自分のことを『鬱』とは考えないで下さい.前向きな気持ちを形にできるのも,若さの特権です.まだまだ貴方の前には,様々な道が続いています.いくらでも貴方次第で,どの道でも選べるのです.がんばってください.

yamai
質問者

お礼

自分はうつだなんて思っていません。心配ありがとうございます♪ "鬱"はもっと激しいって知人の様を見て一応心得てます。 「今回の失敗」の例は、自分があんまり自分の失敗成功に 興味無いんだなぁっていう意味で挙げました。 噛みつくようですが、すっきりしそうだなぁって思うので、書くだけ書かせてください。 「目標」なんですが、持ったとたんにどうしても否定要因を考えてしまう自分がいるんです。そしてオンリーワンを手にしたくてどうしようもないのかな。結局言い訳しながら人のせいにしながら、何もしたくないって自分からシャットアウトしちゃっているのかな。 例えば、カートにしたって、お金がかかる、上手くなるにしたって相当上がいる。うちの車は峠仕様じゃないし、そもそも走り屋なんてやっていたら社会迷惑だ。知識も単語も本を一度読めば手にはいるし覚えられる、うちの学校には頭良い奴なんてごまんといる。格闘技するにしてはもう目が見えないし。現役の時芸大に行こうと思った時期もあったけれども、とてもじゃないけれども器じゃないと分かり、また、家でもそういった非堅実な仕事に就く道は奨めない。それでも後期で受けようと思ったけれども、前期で別のところに受かってしまった。 うぬぼれも甚だしいですが、何でも直ぐに人並み以上に出来るようになる自信はあるけれども主役になれない、 そして"何でも"をひとつに絞る勇気がない。 結局目立ちたいだけなんだろうか。 そうして何でも出来て何でも持っている自分は、何も出来ないし、何も持っていない。 wingdreamyさん、考える糧とアドバイスありがとうございました。 もっと整理してもっと悩んでみます。

  • ginga3104
  • ベストアンサー率23% (510/2208)
回答No.1

強いなー。逞しいなー。と言うのが私の第一印象です。 僕もそんな時期が有ったけど、結局は一人で抱えていることが出来なくて、話を聞いてくれる人を探していたような気がします。最初は、馬鹿話をしてるのだけど、時折、「あのさー、これってどうよ?」って聞いてたかな。 親とはそんなに話はしなかったけど、これまた時折、「仕事辞めたくならんの?」とか世間話風に切り出すと、「うーん、惰性だよ。」と、びっくりするくらい素直な意見が出てきたりしましたね。(笑) 今では、自分も親となり、友達付き合いもかなり限られているなか、色んな役職を仰せつかって知り合いになる方々とも、その役割についての話し合いの合間に、自分の気持ちを吐露しては、慰めてもらったり、励ましてもらっているのだと思います。(普段は妻や養母相手に日々の所感を述べて、自分の想いとか感情を言葉に紡ぐ練習をしているのだと思う) で、何とか自分のぐらつきがちな精神を保てているのかなーと。 ですから、yamaiさんもこの質問のような感じで、お話されたら良いんですよ。対人で話すからこそ、自分をより客観的に眺めることが出来ると思います。こういうのは、聞かされている人にとっても、それが刺激となり、新たな自分と出会えるから、貴方が思っているより聞いている人は面白いから嫌がられないと思いますよ。(ポイントは自分はこう思うんだけど貴方はどうですか?と言うような聞き方にすることです。自分の意見を出さないと相手も出してくれません。)

yamai
質問者

お礼

自分も"話を聞いてくれる人"を身近に探してみようかなぁ、 自分は初対面の人に対する心のガードも固すぎるんじゃないかなぁって思いました。 どうしても無意識に戦略的につき合ってしまうんですよ。 自分の意見をつけて聞くってことはするんですけど、 どうも心の底から本心の意見を語っているっていうわけでもなさそうだし…。 実体の自分、かなり好戦的、を見せたくないから自然抑えちゃうんだろうなぁ。 もっと素直になって、 目の前で泣いてもいいと思える人が見付けられたら、いいな。 アドバイスがいただけて正直嬉しかったです。ありがとうございました。

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