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自分の立場がもし質問内容の状況なら、どう生きますか
性別はご想像にお任せします。 日本に住んでいるという事にします。 あなたは不治の病を抱えているとします、 はたから見たら健康的に見えます。 ですが、長い事一緒に付き合いをしていないと 症状を垣間みる事が出来ません。 その病のせいで仕事をする事、努力する事が出来ません。 あなたは仕事や努力をする事を本気で望んでいます。 ですが、周囲の人からは迫害され、孤立しています。 自分の病の事を他人に説明しようとしても伝わりません。 あなたなら、どう生きますか? あなたなら、どう周囲の人と接しますか? 今度こういう内容を、グループで話し合いする事になり その参考意見として出来るだけ多くの人の意見を聞きたいので よろしくお願い出来たらと思います。
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別に病がなくても、本気でしたい仕事に就けないとか、そのための努力が出来ない人は5万といると思いますが。 それぞれの理由で。 >あなたなら、どう生きますか? だから、普通に生きるだけですよ。 >あなたなら、どう周囲の人と接しますか? 分からんもんは分からんので、病気のことは言いません。 設定からして、言う必要などもなさそうに思いますが。 けど、なんやろねえ。 そんなに大変なことに見えます? 健康的に見えるし、症状も滅多に出ないというのに。 そんなの、不治の病とはいえ、ですねえ。 本人にしてみれば、病気と捉える必要もない、ということですよ。 ちょっとしたハンディみたいなもんで。 ちょっと、この質問でよく分からないのが、周囲の人からは迫害され、孤立している理由なんですけど。 普通に生きてるようには見えないんでしょうか? 健康的にしか見えない人なのに。 なんか、実際そんな病を抱えている者から見れば、病には全く無縁な人たちの、おふざけの話し合いに見えてしまいます。 質問文に足らない点があるか?私の読解力が足らないからか? このどちらかだと思いたいところですが。 もしこちらの誤解でしたら、補足ください。
- oignies
- ベストアンサー率20% (673/3354)
やっぱりでるだろうなとおもっていましたが、一見病気でないならただの障害者という暴言がでてきたので、ひとこと。 あと、処世術としては、大きな仕事からはおりることという提言が出てきたのでひとこと。みなさん、事情通でないようですね。これは、たしかな筋からきいたはなしですが、某国の某首現役相首相は、消化器系疾患の持病があるということになっていますが、実は、某精神疾患です。身辺警等にあたる職業筋からきいたはなしですのでまず確かです。この話にかんしては、うらもとってあります。 一時期は顔色もかなりわるかったのですが、最近は、スポーツなど投薬以外の治療法もうまくとりいれ、仕事にも日常生活にも全く問題ありません。 あなたはこの人物にたいして、あなたは一見元気だが、持病があるので障害者だといえますか。それであなたの劣等感は解決されますか。 なお精神疾患の障害の障害認定は通院半年以上です。不治の病ではなく一年単位で回復の可能性もあるとの前提で認定されるので毎年のようにみなおしがあるのです。え、通院半年で障害認定?それならわたしの病気もとなるひとがおおいでしょう。制度上精神関係の障害の定義はそれだけおおげさなのです。なぜか、そのようにして治療費をただにする方法を講じてあげないと、だれもよろこんで通院してくれないから。某国某首相も半年以上、某国某王族も半年以上服薬ーーー服薬するためには医師の処方を受ける必要ありますから通院もしていたということですよねーーーですので、世界の支配者の複数は、あなたのいう一見元気な空元気でもっている障害者ということになります。 これは障害の定義をあくまで平等につかうならばそうなるというはなしで、そのようにつかってみると、それはちょっと都合の悪いことになるということからもわかるように、このことばは馬鹿という言葉と同じ程度に、自由につかえるのです。そして馬鹿な人間にかぎって、馬鹿という言葉をたようするように、健全なこころのもちぬしは、この言葉をあまりつかいません。使うということがご本人のどうしようもない劣等感をしめしているのだといえましょう。 というわけであなたのいう「不治の病」の対処法については、有名すぎて、ちらっと話がもれてしまうことをふせげないレベルの王族・首相・閣僚レベルの現役にかんして、調査することをおすすめします。 ぜんぜんふつうに仕事できてるし、そこそこ回復もするから。ただうつに関していえば、患っている間は、永久によくなるきがしないとしかおもえないという厄介な病気ではあります。 もちろん、ちらっとも話が漏れないレベルの一般人であれば、上司以外は知らない状態で、ふつうに仕事している場合がほとんどです。 障害者=無能=仕事できないと短絡的に連想ゲームしてるだけだとなにも理解できませんよ。え、このひともこのひともこのひとも、精神科医にいわせると病気になるの?としらべていけば愕然とするでしょう。ちなみにアスペルガーについていえば、アインシュタイン、エジソン、マイクロソフトのゲイツ、モーツアルトがほぼまちがいなく該当するといわれています。ちなみに亜アインシュタインは、マンハッタン計画というアメリカの核開発に参加して結果として、核兵器開発世界一をアメリカにもたらし、日本に敗戦をもたらしたので、そういうつながりでは、つかわれようによっては、世界の歴史をかえてしまう人間だったのはたしか。ただしそもそものマンハッタン計画をはじめたのは、アインシュタインでもなんでもありません。 天才や偉業を成し遂げる人間かわりものにかんしては、天才ときちがいは紙一重とむかしからいわれているとおりです。99%ではなく、1%なので、残りの99%からみたら、かわっててあたりまえです。 一般人には理解できないがゆえの才能なのです。障害はうらがえせば、特性です。なにももっていないひとでなくなにかもっているひとだというめでもう一回みなおせば、すこし何かがみえてくるかもしれません。わたしがみてきたかぎりにおいて、精神科の患者がいっぱん的傾向としてもっているのは、ピュアなハートです。 まあ、何にもわかっていない人間どうしあつまってグループ討議してもなにか有意義な結論がでるとおもいませんが。そもそも某国現役首相は、鬱を持っているということを知らないレベルで、はなしをしてもはじまらないとおもいます。
- hi12ka08ri
- ベストアンサー率19% (18/93)
No.5さんに共感しました。 なので私も経験上ですが一例を。 似たような状況の方を見たことあります。 女性ですが、生活習慣病の類で重症になり、大手術を受けました。 後遺症も残ったようですが、見た目は至って普通です。 そもそも生活習慣病なので、生活に気をつけていれば重症は十分に防げるものでした。 重症になると病院からも散々警告されていたにも関わらず、注意事項などを守らなかったため悪化しました。 自分の欲と楽をしたいという一心で、残念な結果になったのです。 親や配偶者は、本人は悪くない、病気が悪いとフォローしています。 しかし、外野からは冷ややかな目で見られています。 何故なら、病気を口実に自分の嫌なことは一切やらず、身近な家族に身の回りの事を全てやらせていたからです。 悪化する前から変わらない調子だったので、 これほど不摂生な生活をしていれば、どうせ悪化するだろうと誰もが予測していた結果でした。 本人の言い分は、 動悸と目眩で家事などは一切出来ない、自分の事しか出来ない。 でも他所のパーティーには行かれる、そこでは長時間でも起き上がっていられる。 出来れば早めに大好きな仕事に復帰したい。家事は家族がやれば良いだけ。 この現状を知った大抵の人は、呆れていました。 実は高収入の仕事をしていた彼女。 身近な家族はそのため必死に看病?していたのが現実で、 彼女そのものよりも、身内にとって貴重な彼女の収入を途絶えさせないためだったのです。 彼女やその身内は、少しでも指摘されれば、迫害されているなどと被害妄想が凄まじかったのを覚えています。 身内は必死になって周囲に本人は病気で大変だと説明していましたが、誰もろくに信じませんでした。 自分の嫌なことは病気を口実に他人任せ、 でも自分の好きな事だけは続けたいがために、身内を金で飼い慣らしている。 誰もが口を揃えてそう言っていました。 たとえ病人だから大変だと煽っても、不自然で矛盾した行動をとっていれば誰も同情しないのは当然です。 努力できないのを理解しろとか大目に見ろとか、周囲にいちいち主張する事自体どうかと思います。 ちなみにこの病人の彼女、重症になるまでは 他人がどんなに大変な状況でも 「努力が足りない、自分に問題がある、自業自得」 などと弱者に威張っていたのが印象的でした。 自分のことを棚に上げて。 未だに彼女は、仕事すら復帰していません。 何もしなくても良い楽な環境に慣れてしまったのだから、 元の生活に戻るのは難しいことくらい、誰が見ても分かります。 出来る範囲でも精一杯やっている人は、自然と評価されます。 過半数に渡って理解してくれない人が出てくるのは、必ず何か原因があると疑うべきです。 他にも様々な難病を抱えている人を見てきましたが、 中には大勢の方々から高い評価をされている人もいます。 決して、仕事や努力が出来ないのを病気のせいだと言うような人では無かった。 今の時代に迫害され孤立するのは、病気だけが原因でなる状態であるとは考え難いですが。 努力できないのが前提というのは、自分に都合の良い言い回しだと思います。 理解されたいなら、まずは自分が相手を理解する努力から始めないと。 人間関係では一番基本的なことであり、重要なことですから。 そのような当たり前の努力も出来ないけど、理解は欲しいだなんて、ちょっと人としてどうなのかなと。 それは周囲の理解云々ではなくて、自分自身の問題だと思います。
- tomban
- ベストアンサー率26% (2616/9771)
もう若く無いですからね。 だから、こういった時の「処世法」みたいなものは、もうわかってるんです。 会社という組織からしてみれば、社員というのは「歯車」みたいなものです。 歯が欠けた歯車は、そうでないものに比べて仕事量が落ちるのは当たり前。 完全に身を引くのが不可能である場合は、自分から主要なポストから降りることを提言します。 正直に言い出すことが、結果的には一番いいということ。 その上で、どれだけのことが可能か、周りの援助がどの程度さけるかなどの案は、会社にお任せする。 孤立化してしまうのは、会社という見地でなく「個人」という見地にこだわってしまったからこそ、起こることです。 病状を「完全に」会社が把握する必要はありません。 病名と、どのような状態であるかの説明と、自分自身の(社内で)求めるものを話せばいいということです。 叶うものもあれば、叶わないものもある。 それは仕方がないことです。 小手先は絶対に損だということです。 オープンに会社に対して状況を説明し、沙汰を待てば良い。 いくらなんでも、いきなりクビというところは稀でしょうし(労働法に違反しますしね)、会社も損失は嫌だから、そこは考えるはずですよ。
- sakura-333
- ベストアンサー率10% (952/8905)
>周囲の人からは迫害され、 これが一番厄介で心を悩ませるのでしょうね。 自分の聞きたい話しか耳に入らない人に何を言ってもムダ。 理解してくれる人が1人でもいれば幸い。 やはり出来る事を出来る範囲でやっていくとしか・・
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34518)
要するに前提条件として、「どうあがいても自分の病気については周囲の理解や協力は得られない」ってことなんですよね。 じゃあもうしょうがないので、それが現実であると淡々と受け入れて生きるしかないですね。だってさ、それって「A、B、C、Dという選択肢があります。しかし、B、C、Dを選ぶことができません。あなたはどれを選択しますか?」って聞かれるようなものじゃないですか。こっちの答えは「Aしか残されていないじゃない」です。 周囲の人との接し方ですが、理解してもらえないのだから、理解してもらおうと期待せず、その病気のことを明らかにしなくてよいなら明らかにせずに静かに暮らしますね。私は元うつ病ですが、それをカミングアウトしているのはここだけで、現実の私はそのことを親にも隠しています。それで大きな問題が発生したことはありません。 ディスカッションのネタにするそうですが、なんだか最初からある一定の結論しか出せないような前提条件になっている気がしますね。他の選択肢が選べない前提条件でディスカッションするのって、意味があるのかしらん?
- oignies
- ベストアンサー率20% (673/3354)
不治の病ではたから見たら健康的にみえるが、長いこと一緒につきあいをしていないと症状を垣間見ることがができません。 という設定が非現実的です。また、その病のせいで仕事をすること、努力することができないのであれば、それが継続するのであれば、一日としてなにかできるひがなく、なんの努力もできないのですから、1週間とはかくしておけないはずです。またなにも達成できないはずです。 その場合はたから見ても健康的ではないとおもいます。すくなくともわたしの知り合いで、これはまあ不治の病かなというひとは、はたからみても健康的でなく、行事などには参加できない状態です。たとえば、葬式などに出席してふつうにふるまうこともほぼむりで付き添いが必要です。葬式の段取りを裏で仕切るなど到底むり。当然ながら、葬式では、あのひとはどこがわるいの、という話になります。 そしてそういう本物の病人は仕事や努力することをけっしてのぞみません。なぜか。わかりません。意欲がでないのが病気だからでしょう。一日中テレビをみています。お菓子もかくれてたべるのがやめられません。いきさきが、毎日こどものかよっている学校など、ふつういかない場所に毎日でかけます。なぜかデパートに買い物にいくだとか、ふつうのひとのようなコースで散歩などができないのです。 というわけでありえない設定で話し合いをしてもしかたありません。ご自身のおはなしでしたら、病名をおかきください。そうでないとはじまりません。またそれは何のための話し合いなのでしょうか。 何年間も公式行事に参加できないレベルであれば、長いことつきあいなどなくてもだれにでもわかります。まあ症状をよんだかぎりでは、この症状にいちばんあてはまるのは、いわゆる非定型うつ、かとおもいますが、この病名にかんしてはそもそも病気とはいえない人間にたいしてつけられているという説が有力ではあります。うつでありながら特徴的なのは、遊ぶときは元気。それ以外のことはできない、そして本人もやりたがらないがあえていえば特徴の病気です。 ただ長引くものの、これを不治の病とはわざわざいいませんね。一般には不治の病とはがん、エイズなど、そのまま死に直結するものをいいます。かならずしぬのでかくしようがないです。症状はみるみる悪化します。病院にかかる時点では手遅れのことがおおく、その前日はぴんぴんしていたなどはありえません。当然ながら、これについても余命半年といわれてから5年がたったという誤診もありえます。 ただの慢性疾患などたとえば糖尿病、高血圧、勃起障害などについていちいち、不治の病といってとりあげおおげさに議論するなどないです。 不治の病にかかったらどういきるかでなくどう死ぬかの準備でいそがしくなるんじゃないでしょうか。みじかなひとみていても、みんな覚悟ができるまえに寿命がつきるようなかんじで忙しかったですよ。 また、特定のものについてどうしても嫌いなものがある場合そのことは別に病気とはいいません。 あと努力についてはうまれつきですね。できないひとは子供のころからできなくて、そのままおとなになります。これについてはほぼ一生かわりません。気質ですので。どんな病床にあっても努力するひとはします。その人にとっての努力です。仕事にてをつけるきがおこらないのであれば、仕事そのものにはてをつけなくとも、仕事をするうえでの能力維持に関連する作業で娯楽的なものに集中するなど。たとえば、仕事の書類づくりがおっくうでも、それ以外の文章をまとめることに時間をつかうなど。いくらでもほかの仕事に応用がきき、役に立つ能力を養うことに時間をつかうということです。 それをもって仕事してない、遊んでる、とみるか、新たな能力開発につとめているとみるかは見る側次第です。 何の努力もしていないのに仕事したいであればそれは妄言です。これだけのことがこなせるのだから当然仕事もできるよな、という判断で仕事をさがすほうもさがすのだとおもいます。 とにかくなさそうな設定ではなしをされてもねえというところです。努力できない病気、仕事できない病気という定義がまずないようにおもうので。それはいったいどこから出てきた定義なのかしりたいです。無理はできない病気というのは世のなかにはいくらもありますが。できる範囲の仕事ならだれにでもできる。
- dogday
- ベストアンサー率29% (2313/7949)
カラ元気も元気。 はたから見たら健康的に見えるのは、客観的に健康なのであって、病気のフリをわざわざする必要はない。 不治の病は、治らないだけであって、すぐ死ぬ大病は不治の病ではない。すぐに死なないから不治。 はたから見たら健康的に見える病気なら、日常生活が送れる病気。障害者の一人に過ぎない。その不運を受ける宿命のサイコロは生まれてくる人の誰にでも平等。 その病のせいで仕事をする事、努力する事が出来ないなら、仕事や努力をする事を本気では望まないこと。 死ぬまで病気なら、仕事や努力をしないで暮らすことに努力しなければならない。 自分の身の丈を無視した願望はムダな努力。それ自体が病気のせい。 そのムダな努力と行動の結果、周囲の人からは迫害され、孤立してしまう。 周囲の人から迫害されず、孤立しないためには、社会に適正化すること。 それは他人に理解を求める事ではなく、一般健常者レベルまで努力することでもない。 自分の病を自分が受け入れ、自分らしく生きる態度を他人に許容させること。それは他人に強要することではない。他人が自分を認めること。 仕事や努力をしないでも、左団扇で涼しい顔して暮らしている人に、他人は批判のしようがない。そんないい加減でも生活できているんだから。金持ちケンカせず。 他人が自分を批判して迫害するのは、相手にとって自分の行動言動が見苦しいから。それは自分が自分らしく生きていないから。 自分が自分を認められないのに、他人が自分を認めてくれるはずもない。 自分が病気に甘えて、自分を差別してはいけない。自分も社会の一端であり、周囲の一人である。 自分だけが不幸だと嘆いていては、他人だって自分を平等に扱ってくれない。 他人に謙虚に、自分にも謙虚に、他人を敬い、自分も敬う。
なるほど!ディスカッションするんっすね。 これは3つの視点があると思います。政治的視点・企業的視点・家庭的視点ですね。 政治的視点で考えるのであれば、そうした人がいたとしても社会が運営できるように制度設計しなければいけませんよね。今時だと、『ベーシックインカム』という案があります。これは、社会に帰属している人には、働かなかったとしても生活していける最低報酬を与えるべきだと言う考え方ですね。実際、可能だと思いますけれどね。生活保護制度とは、思想の意味では異なるものだと思います。 企業的視点で考えるのであれば、市場主義全盛の現代としては、余剰人員を抱えていられない状況なので、そのような人を雇用できるだけの体力は、もはやないですよね。以前、カルロスゴーンが日本にやってきてニッサンが大リストラをした時、労働組合が強いパナソニックが、強く批判し、駄目な社員も雇用するべきだと主張しましたが、企業業績が悪化し、やっぱり大規模なリストラしていますよね(笑) 政治の論理と企業の論理は違うのですが、家庭の論理も全く別物です。生計を立てるための収入を得なければやっていけないのはわかりやすいですが、家庭内には、『期待』がありますからね。友達でも同じことですよ。暗黙のうちに何かを相手に期待しており、また自分と同じような、似たような人を肯定し、そうではないものを否定するので、『醜いあひるの子』は、仲間はずれにされたり攻撃されたりするわけです。 この3つの観点から言えば、政治的には保護政策を取るべきで、企業的には排除し、家庭では問題児であることを逃れられませんね(笑)この視点から自分のあり方を考えるのであれば、『孤立していてもやっていける仕事を選び、貧乏でも自立すること』かなと思います(笑)実際、そうした仕事はありますからね。でも、そうできないのだとしたら?どうしてなのだろうか?と考える必要はあるかもね。 4年くらい前になるかな?アメリカの大学(確かワシントン大だと記憶しているけれど)で衝撃的な論文が発表されました。鬱病患者の家族の脳をfMRIで撮影してみたら、なんと!大脳新皮質が1センチも陥没していることが分ったのです。単に相手を悩まされるだけではなく、脳が陥没してしまうとなるとどうだろう?。この部位は再生しませんからね。もはや伝染病のように隔離する必要すらありますね。 心の病を持っている人は、『相手に分ってもらいたい』と思うもので、『孤立していればいいや!』とは思わないものですよね。これは、ごく当たり前のことです。ですから、先に書いたような論理的な検討なんてものは実は無意味なのです。でも、普通の人には、まず分らないのですね。これは米国で非常に面白い実験も為されています。精神医学の世界では非常に有名ですが、すこしだけ紹介しましょう。 精神分析なんてインチキだ!と考えた医師が、友達を集めて精神科医を演技で騙せるか実験しよう!と企画してやったのですが、見事、入院することができたのです。演技で騙せる精神医学って何だ?ってことなのですが、実際には、ココから先に新しい発見がありました。それは、精神病院に入院したら、病気の人達からは、演技がバレた!ってことなのです。本物は、ニセモノを見破れるというわけです。 さてこの意味では、こうしたサイトも良く利用されていると思いますが、心の病を持っている人達は、同じ人達が集まって話しあって行く場が必要なのではないか?と私は思います。心理カウンセリングの世界でも、集団で治療を試みる人達が現れているようです。健常者に分ってもらおうなんて無理なのですね。実際、質問サイト等でも、精神病が精神病に教える(笑)みたいな流れが目立ちますよね。 ということで結論から言えば、もし私がそうした立場になったら、自分にでも出来る仕事をなんとか探して、身の丈の生活をして、同じような悩みを持っている人を探して、ゆっくりと回復させようと試みると思いますが、実際に、そうだったらそんな冷静にやれるかどうかわかりゃしませんね(笑)
- nobu1717
- ベストアンサー率17% (218/1217)
本気で望んでも絶対に出来ないと分かっているのですから、出来ることをやって自然に生きます。 仕事や努力が出来なくとも、嘘をつかずに思いやりを持って生きていれば理解されることもあるでしょうから。 周囲から迫害され孤立するのは出来ないことを出来るように振る舞ったりするからですかね。 ありのままの姿見せるのよ~
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