- ベストアンサー
リムティスさんの消息 | リトアニア独立回復後の待遇とは
- 1991年ソビエトの軛から解放され独立を回復したリトアニア。リムティスさんはどういう待遇を受けたのか?
- ソビエトの傀儡政権に抵抗し、領事館を維持したリムティスさんの名誉は回復されたのか?
- リトアニアの人々は帰国したリムティスさんをどのように迎えたのか気になる。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
久しぶりにGooglerの血が騒いだので、図書館でその本を借りてきて、その情報を元にググりまくってみましたが、NHKの本の情報がイマイチ正確でないようで、結構苦労しました。 大体、リムティスという名前が間違っているし、当時アメリカはソ連によるバルト3国併合を承認せず、旧リトアニア共和国の大使館・領事館に 引き続き外交使節団としてのステータスを認めていたのだから、そこで発行されるパスポートが「現実世界では無効」ということはなかったんじゃないかと思います。 とはいえ、Anicetas Simutisという名前が分かれば、英語の情報はそれなりに見つかりますし、リトアニア語版のウィキペディアには、この方の記事もあるようです。 で、ご質問への回答ですが Simutisさんは、その後もずっと総領事の仕事を続けられ、1991年に祖国が独立を回復した時も、その職にありました。 新生リトアニア共和国政府は、1991年、Simtisさんをリトアニアの初代国連大使に任命。 1994年に国連大使を退任された後は、2006年に亡くなるまでリトアニア共和国国連大使特別顧問を勤めておられたようです。 2006年にニューヨークにて逝去。97歳。翌年、遺骨は大西洋を渡って祖国に帰り、現在はVilnius郊外のAntakalnis Cemetaryで安らかに眠っておられるとのことです。
その他の回答 (1)
- xx x(@hateha2_goo)
- ベストアンサー率14% (104/711)
これは、今後の世界人類の人権を創造する上で大きなターニングポイントを有する問題となるのではないでしょうか。 PC/テレビの液晶画面一枚でも 1360 × 760 ピクセル 100万画素以上あるわけで、全世界70億人強の人間はすべてコンピュータ管理登録で網羅できる環境は既に世界にあるのではないでしょうか? 消息が分らない等の何らかの犯罪が関与したかの様な古い人権管理は、犯罪であるような感じすらする。 世界の政治姿勢こそ、極まりない無責任環境にあるのではないでしょうか。 わずか数台のPCで、世界の全住民の安全が保障される時代&技術は、既にあるのにも拘らずの感がある。...... リムティスさんの消息については、門外漢です。失礼しました。
お礼
そうですね、仰る通り存命の可能性のある人物の詮索を公開ネット上でやり取りすることが包含する危険性にまで考えが及びませんでした。 ただ、今回の件につきましては既にNHKの出版物の中に実名で公表されておりますのでご容赦くださいませ。
お礼
この質問はこのサイトで三回ほど投稿したのですが、なかなか回答が得られず半ば諦めかけておりました。そこを大変お手数をかけさせてしまった上に詳細な回答をいただき深く感謝を申し上げたく存じます。真にありがとうございます。 正確にはSimutisさんだったのですか。頂いた回答を読んで涙が出てきました。祖国が彼を忘れずに在職を認め、国連大使、さらには特別顧問に任命していたとは。長年の孤独ののち祖国に温かく迎えられたSimutisさんの胸中いかほどだったでしょう。私は国粋主義者ではありませんが彼の愛国心を感じました。また彼に対する祖国の応対に安堵も感じました。 d-y様、重ねて深く感謝申し上げます。ありがとうございました。