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資本主義の勝利と公共の軽視
- 資本主義の勝利と社会主義の敗北というキーワードがあったが、資本主義の勝利=社会の軽視、反社会的なのはどうなのか
- バブル期前後に社会制度への関心が高まり、社会を否定して個を重視する風潮が生まれたが、最近は社会の軽視が目立つ
- ヨーロッパでは社会を大切にする考えがあり、日本も公私の区別する国民性であるが、社会を否定や軽視するのはどうなのか
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> 公共、社会も大事で個も大事というのが実際かと思いますが、この考えであっているでしょうか? 概ね合ってますし、実際に国際社会もそう言うトレンドかと思いますよ。 そもそも経済システムとしては、ネーミングに経済用語を冠した資本主義が、社会主義に遅れをとるワケも無いのですが、それが鮮明となった結果、社会主義国が経済的には資本主義的な要素を取り入れたと言うことです。 即ち、社会主義国が「社会も大事で個も大事」に舵を切り、その結果、経済的には資本主義国にとっても脅威となりつつあるのですから、「資本主義の勝利!」などと喜んでばかり居られません。 とは言え昨今は、北欧あたりは「高福祉高負担」と言う、かなり社会主義的な政策で、コチラも成功しています。 東西冷戦時代とか天安門事件の頃までは、「資本主義 VS 社会主義」と言う極論的な対立軸でしたが、昨今は「社会主義的資本主義 or 資本主義的社会主義」みたいな、真ん中あたりで「いずれを採択するか?」と言う構造にシフトしてきていると思いますよ。 ただ日本は独特で、バブル期までは「一億総中流」と言われ、各国からも「最も成功した社会主義国」と揶揄されたほど、「早過ぎた社会主義的資本主義国」でした。 ところがバブル崩壊は、日本モデルの崩壊でもあった様に思います。 即ち、欧米の内政干渉を甘んじて受け入れざるを得ず、経済的には時価会計とか派遣の適用拡大などが該当します。 一方では、人権なんてのは、どちらかと言うと社会主義的と思うのですが、こちらは資本主義社会全体も、受け入れる風潮です。 資本主義と社会主義の決定的な違いは、富の分配を「公平」に行うのが資本主義で、「平等」が社会主義ですが、人権は平等なものですから、社会主義的と言えるかと。 昔は「富も人権に帰属させるのが社会主義」と言っても良かったのですが・・それは社会主義が断念しつつあります。
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- hekiyu
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”バブル期前後に社会制度など関心高くて抑圧が多いという経験則の 過剰な反動で社会を否定して個を大切にすべきとなったと思います。” ↑ バブルじゃなくて、戦後でしょう。 全体主義から欧米流の個人主義に移行したんで ないですか。 それが70年経って徐々に個への比重が大きく なってきたという構図ではないですか。 ”公共、社会も大事で個も大事というのが実際かと思いますが、 この考えであっているでしょうか?” ↑ そもそも論ですが、政治てのは公と個の調整です。 公に比重を置くと全体主義になり、個に比重を置くと 個人主義になります。 そして、個人主義においても、どの程度重視するか 公との調和が求められます。 個人主義が行き過ぎると、無秩序になります。 各自が己の利益を追求すれば、それが見えざる手に よって最適になる、とかつては言われましたが、 現代では合成の誤謬が問題視されています。
お礼
すごくうまくまとめられていると思います。 純に個が大事でも公が大事でもおかしいです。 神の見えざる手が合成の誤謬ですね。市場の失敗とも。 市場自体が公共財ではあるのですが。難しいです。 ご回答ありがとうございます。
お礼
おっしゃる通り、共産圏の国で市場のメカニズムが日本以上ということも実際存在している状態ですね。 日本が資本主義的資本主義の純化したものを目指すとバランスが悪くなるんでしょうね。 ご回答ありがとうございます。