情報がほしいと思ったらすることはひとつです。
欲しい、と心から思うこと、それだけです。
情報のほうから歩いてあなたに向かってやってきます。
これを「ジョセフマーフィーの成功法則」だとか「思考を現実化する」なんて魔術師のように言う人があります。
そうするとインチキだとか新興宗教だとか悪口を言われることになる。
が、それほどのことではありません。ジョセフマーフィーもナポレオンヒルも全部忘れましょう。
日常生活で始終起きていることです。
大学受験なんかで、自分の受験番号が53214だとしたとき、合格発表でどう見えますか。
100人合格者の名前が模造紙に書いて張り出されていたとして、あなたの目には100人分が全部はいってきますか。
あなたは53000ぐらいの場所をざっと探して、それから少々ゆっくり見て行って、自分の番号を見つけようとしませんか。
そしてその番号があったら、53214だけが立ち上がって、浮き上がって見えませんか。
これ、ほしい情報の方からあるいてきてくれたんだと思えませんか。
架空の話ですから名前は他意ありませんよ、仮にあなたが光代さんというひとに恋しているとします。
恋人でなくてもいい、意識しているだけでも構いません。
街をあるいていて、「光代がさあ」ということばを発していたら、前後の会話は全然聞こえていないのに、立ち上がってそのことばだけ聞こえませんか。
それが自分の意識している光代さんでない可能性が高いのに、やっぱり浮き上がって聞こえてくるのです。
自分の名前を誰かが話しているときもそうでしょう。
同姓か同名にすぎなくても、ぴったり聞き取れます。騒音の中でも。
たとえば「発達障害」ということについて知りたい、と本気でおもっていたら、書店に行けばその用語を含んだ本が浮き上がって見えます。
もしその一冊を読んだら、中に研究者の名前や主張が書いてあります。
これを味わっていると、こんどはその研究者名で立ち上がってみえてくるものがあるのです。
この人にあいたいな、と思ってください。
おそらく3か月以内に必ずその人と会うことができます。
自分自身という車をドライブしているものが、ハンドルさばきギアさばきで、その人に会える道に車線を変更して走ってくれているのです。
そのドライバーは誰? 自分自身ですね。
この話は簡単で、理屈をかんがえたらだめです。会いたい、欲しい、知りたい、と生の感情で思うだけです。
具体的に思うことです。石崎朝世先生に会いたい、と名前でおもっていたら、必ず会えます。
つべこべ理屈をつけていたら、すべては架空のことになって止まりますからご注意ください。