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どうして太平洋戦争で日本軍は負けたのか?

勝利しか知らない日本軍が負けた。ショックも大であったことだろう。負けて初めて知る、負け戦のミジメさ。 終戦の日には、それを思い出さねばならない、と私は思う。 それが運命ででもあるかのように、はじめから負ける予感が漂うあの一戦。なぜその流れが生まれたのか?  第二次世界大戦に参加していないヤングな私の、憤りを沈めれる答えを、誰か教えてください。 https://www.youtube.com/watch?v=SW7vemumD14

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  • isoken
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回答No.24

>どうして太平洋戦争で日本軍は負けたのか? 回答の全てではありませんが、ずらりと並んだ高論卓説を拝見しますと、大変失礼ながら、木を見て森を見ない類の御意見が多いとの印象です。 そもそも日本がどうして太平洋戦争で負けたのか、それは当時の軍部ですら負けると分かった不毛な戦争へと無理矢理引き込まれたから、しかしてその原因は、我が大日本帝国が非欧米列強以外の、アメリカからすれば取るに足らないアジアの新興国家であったから、それ以外に回答は有り得ないと思いますが・・。 例えば高名なハル・ノート、あれなどは二国間に於ける交渉でも何でもなく、皆さん御存知の通り、単なる最後通牒(に似たもの)に過ぎないでしょう、それも噴飯ものの・・。 仮に中国に権益を持ち、侵略・進出を意図していたのが、欧州列強の何れかの国とするならば、少なくとも交渉の余地はあった、つまり条件次第でアメリカが譲歩する可能性は高かった、そう思いますよ。 ところがその当事者が、彼らアメリカからすれば何の譲歩も交渉すら必要ない日本という国家であった為、他の欧州列強と同列に論じる必要がなく、高圧的な態度で一方的に通告すればそれでいい、そう考えたのものと・・。 ・・とすれば、当時の日本には負けを承知の戦争突入以外の選択肢は無かった訳でして、つまりヨーロッパ戦線でのナチス・ドイツの勝利と、そこに伴うアメリカの孤立化を希望的観測で織り込む一方で、対米初戦で手痛い打撃を与えて厭戦気分を誘発し、ドイツをその調停者として早期に講和に持ち込む戦略を立てた、そういう事なのかも知れません。 以下少々話が横道に逸れて恐縮ですが、例えば昨今の対米 TPP 交渉、あれを対等な経済交渉と捉える大変におめでたい自称経済通の方もおられるようだが、だれがどう見ても現状では或る種の片務条約であり不平等条約の類に過ぎない。 つまり憲法第9条に雁字搦めにされた我が国としては、自国の安全保障上極東からアメリカに手を引かれるのが怖い、即ち損して得取れという、経済よりももっと大枠の利益に力点を置いておりまして、アメリカもその点を知り抜いている為、我が国の国情を鑑みた些細な希望すら認めないという、現状になっているものと思われますが・・。 何れにしましても、概ね angel さんの質問は、どの辺りに力点が置かれているのか非常に分かり難くしてある(恐らく意図的に)、そう申し上げておきましょう。

angel25gt
質問者

お礼

原爆の矛盾、日本国憲法の矛盾、それらが解決しない限り、太平洋戦争の決着は、いまだ途中と言わざるを得ません。 敗戦という事実は、単に3本勝負の1本目です。第二次世界大戦に勝つか負けるかは、今後の問題です。 あれが結果だとしたら、その子孫である私たちとしては、たまったものではありません。 戦争はすべて経済的なもののための戦争ですから、そろそろ第2ラウンドに入っても良いのでは、と思います。 この質問に、いまだ正解は訪れず。今後さらに答えを探る必要があるものと思います。 ご回答ありがとうございました。

その他の回答 (24)

回答No.14

国力の差が如実に表れたということに尽きますね。かつては元寇、日清、日露と日本は自分よりも大きな国との戦いを余儀なくされました。そして、下馬評とは裏腹に、鵄の放つ金色の光は、邪悪な外敵に懲罰を与えました。此度の戦においても、その再来が期待されましたが、善戦むなしく敗れ去りました。 しかし神風は昭和三十年代後半になって吹き始めました。敗戦で殆どすべてのインフラを破壊され、在外資産のほとんどすべてを失った日本ですが、昭和39年には昭和21年の66倍以上の国民所得を記録するに至ったのです。アジアで最も貧しい国から、たった18年で最も豊かな国に変貌しました。これが神風でなくして何なんでしょう。 日本は多大な犠牲を払ってアジアを解放しました。客観的な事実が何よりもそれを証明しています。これからも天に代わりて不義を討つ忠勇無双の兵隊さんに期待を寄せています。

angel25gt
質問者

お礼

その神風が昭和19年ぐらいに吹いていれば、と悔やまれます。もうアメリカとは仲直りをしているので、とやかく言うつもりもないのですが・・・ 原爆投下の件ぐらいは謝っても良いのではないかと、そろそろ思い始める季節が来ます。 ご回答ありがとうございました。

  • miko-desi
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回答No.13

とってもヤングでナウい私の意見です。 あの戦争はアメリカ内部の代理戦争です。 日本が国連で差別撤廃の民主主義を提案したものの、 アメリカは既に奴隷なくして生産能力が確保できないので容認することが出来なかった。 白人至上主義に対する有色人種の多くの苦難から「差別をなくそう」とする運動が アメリカ国内でも連立していて、 社会が冷たい反動で国民の命を尊重するも連帯感はボロボロ。 キング牧師に代表される融和的に白人と平等社会を築くことを目的とした運動と、 黒人民族主義を唱え、国内で黒人が自主権を持った社会を唱えたマルコムX、 奴隷となる以前の地に戻ろうと呼びかけた「アフリカ回帰」を唱えたマーカス・カーベイ、 もう民主主義、自由を尊ぶ国という呈も身を滅ぼしかねなかった。 アメリカ国内の秩序をまとめるためにも より大きな敵を外部に求め、これらを団結させ国民の連帯感を強めたかったので ハルノートで日本を挑発し日本から攻撃させ、 政府に対する国民の信頼、忠義を保ちたかったのですね。 戦前の日本は豊かだったとアダルトな人は知っています。 日本は貧しくなってもアメリカの挑発を放っておくべきだったかもしれません。 が!戦争に負けても欧米の帝国主義は崩れ、アジアの植民地は独立を果たせました。 日本は戦争目的の「植民地の解放」を達成し犠牲は払い済みとし 戦争に負けたことにはならないと思います。 アメリカ人は個人として接するとユーモアに長け楽しく仲良くなれますが、 日本人が集まっているところに話しかけたりしませんね。 戦争を経験してない自分は残虐なことをしたことはないし、責任を取れるものではないし、 日本を好きだし仲良くしたいしであるけれど、 日本はあらゆる意味で戦後からもずっと桎梏となっててアメリカの孤独を感じます。 すまぬアメリカ。 あんなに犠牲を払った日本が今も何で謝らなきゃなんないのかわからんけど。

angel25gt
質問者

お礼

「1番じゃないとダメなんですくゎ!」 と言った人がいましたね。順番はどうでも良く、戦争は勝たないと何の意味もありません。 現在日本がボケるほど平和なのは、たまたまの中間発表です。現に昭和後半までの豊富な蓄えが、どこかに消えています。 レーガン中曽根が、日本の備蓄を最終的・決定的に奪い去ったのだと私は思います。 奪われていることに気づかない日本、まさに役人天国です。 ご回答ありがとうございました。

noname#215107
noname#215107
回答No.12

日本が太平洋戦争で勝利する唯一の可能性は、全ての戦においで「負けないこと」「勝ち続けること」が条件でしたのでミッドウェー海戦のような失敗は許されませんでした。 じゃんけんを10回やってすべて勝つくらいのハードルの高さです。

angel25gt
質問者

お礼

ジャンケンですか?アメリカはジャンケンに負けたことがないように見えますが・・・ 戦争での勝ち負けの確率は、運ではないはずです。 ご回答ありがとうございました。

  • kia1and2
  • ベストアンサー率20% (482/2321)
回答No.11

日本軍は負けたけど、日本は勝ったと思っています。 太平洋戦争はアメリカ側の表現で、日本側は大東亜戦争でしょう。最大の目標は、欧米のアジアの搾取されっぱなしの殖民地を、日本が中心になり、アジアが一体になって独立させようと。 結果は、すべての植民地が独立。欧米は、自分勝手に好き放題していたアジアを失ってしまったんですが。朝鮮や中国の人や、その親衛隊の日本人は、日本がその両国を植民地化してたなんて、事実を調べずに、言葉だけを信じていますが。 インドネシア、マレーシア、シンガポール、タイ、ナオス、インド、など、太平洋戦争が終わっても、元日本人軍人さんは、植民地解放軍に戦の仕方を教え、勝利へと導きました。 終戦の日には、外地に取り残された元日本人軍人さんが、最大の日本国目標のアジアの開放をめだして、終戦の後も数年にわたり戦死された事実も思い出し、供養する日でもあります。終戦後の戦死者で靖国神社には祀られていないとの報道で、独立した国々が、感謝の記念碑を立て、各大統領が毎年感謝の報告と供養をしています。 その後、日本国民が、思想・信条は違えど、一丸となり結束し、日本を植民地にさせず、独立した国家の形成のために一日16時間労働で、頑張りぬいたのが、今の75歳以上のお年寄りです。70歳以下は、今のお年寄りのお陰で、贅沢三昧で、世界で一番自由で平等な国の恩恵を受けているので、残り少ない余生を満足いくように暮させてあげる義務があります。 多少、歳でやることすることが現在に合致していなくとも、優しく接してあげるのが、ヤングを含めて70歳以下の国民の礼儀で、それをすれば、憤りも沈められると思います。 日本国籍を持たない欧米からの日本人妻ですが、負戦さを感じても、他のアジアの国を救うための英雄行為には尊敬しています。一生懸命に日本語勉強しましたが、大人になってから覚えた外国語なので、未熟で読みづらい点があるのは、お許しをお願いします。 結婚45年目の白人の婆さんより、

angel25gt
質問者

お礼

日本は勝っていないです。ちょうど世界中が科学の進歩の波に乗っている時期でしたので、奴隷のように働いた結果、ピンハネされつつも、余剰金が発生しただけでしょう。 長い目で見たら、 「日本植民地化計画」 以外の何者でもないと私には思えます。 ご回答ありがとうございました。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.10

結局、勝てる戦争では無かった、ということに 尽きると思います。 勝てる戦争でないのにやったから負けたのです。 では、どうしてそうなったのか。 当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。 GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の失業者が 街に溢れ、あちこちで暴動が発生していました。 ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は さっぱりです。 それでどうしても戦争をやる必要があったのです。 戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国 経済は見事な復活を遂げています。 これは私の偏見ではありません。 米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は 公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きづり込んだ 過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分 にされてしまいました。 31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に 引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。 彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。 マッカーサーは戦後、あの戦争は日本の自衛戦争であったと 米国議会で証言しています。 ハルノートのハルは、真珠湾攻撃を耳にして躍り上がって 喜んだ、という側近の証言が残っています。 「これで戦争ができる」 また、パル判事は、あのような要求を突きつけられたら モナコのような小国でも銃を持って立ち上がっただろう と述べています。 では、日本が米国に屈してハルノートを受け入れれば、戦争を避けられた でしょうか。 私はそうは思いません。イラク戦争を見て下さい。 ありもしない大量破壊兵器を口実に戦争を始めたのは 米国です。 その後、英国BBCは、911以前から米国はイラク、 アフガン戦争を計画していたことを暴露しました。 米国は何か罠を仕掛けて、戦争に持って行ったと思います。 1898年 2/15 ハバナ湾で、米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没しました。 これで米兵266名が死亡し、スペインの仕業だ、 ということになり、あの米西戦争が始まっています。 後になって米国政府は、事故だと発表していますが 陰謀ではないか、という説が強いです。 ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。 1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の 哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した とされる事件です。 これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが、 その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを暴露し 真実が明らかにされました。 湾岸戦争 1990年 では アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーが イラクのクエート攻撃に対して 「介入するつもりはない」と発言しており これを信じたフセインがクエートを侵略しましたが、 米国軍等により撃退されています。 米国は約束の存在を否定していますが、当の大使は、それ以後、公式の場には 一切姿を見せなくなりました。 その他にも怪しいのはいくらでもあります。 以上が、日本が戦争を拒んでも、ダメだったろうと思われる理由です。

angel25gt
質問者

お礼

私たちが実体験できたのは、対イラク戦だけです。あれはリアルタイムで実況されましたので、誰もが目撃者になりました。 サダム・フセインを強引に悪に仕立てて峠を乗り切りましたが、 「テロ」 という名の抵抗運動など、大国の無差別攻撃に比べたら、あまりにも小さな出来事です。 ご回答ありがとうございました。

回答No.9

#1さんが示唆されているように、日本とアメリカでは最初から圧倒的な国力の差があったので、まともに戦っては絶対に勝てなかった。 しかし、勝機がゼロではなかった。 当時は ソ連はイデオロギー的には アメリカよりもドイツに近かった。そもそも、アメリカやイギリスとソ連は水と油だったのだから、そこで アメリカ・イギリスとソ連が戦争するように仕向け、日本が ソ連とドイツの橋渡し的な存在になれば、アメリカを任すチャンスがあった。そして、アインシュタインを ソ連に亡命させ、アメリカよりも先に原爆を開発し、ソ連が ワシントンに原爆を落としていたら 枢機軍が勝っていた。 こういう策略って、戦国時代の大名が生き残るためによく用いていた。 当時の軍の中枢は 戦国時代の大名よりも愚かだったわけだ。 >それが運命ででもあるかのように、はじめから負ける予感が漂うあの一戦。なぜその流れが生まれたのか?  私は それを 蟻地獄の論理と呼んでいます。つまり、人間、特に日本人は 誤った方向に進んだら、途中で気づいても 後戻りができなくなって、たとえ 破滅するのが分かっていても その方向に進むことしかできなくなることです。 原発問題でも、ここで原発を廃炉にしたら これまでの投資が無駄になるとか 屁理屈を並べて、日本の存亡を危うくしようとしている人も少なくありませんしね。

angel25gt
質問者

お礼

その時期にはこの世に生を受けていないので、よくは分かりませんが、日本が当時ソビエトをコントロールはできなかったと思います。 そのスピードよりも、アメリカからの圧力の方が速そうですから。まあ私たちとは無縁の出来事ではありますが、繰り返しますが、 原爆投下ぐらいは謝ってくれないと、機嫌よく棺桶にも入れません。 ご回答ありがとうございました。

  • ape_wise
  • ベストアンサー率34% (311/907)
回答No.8

「英語教育大論争」という書籍の共著者、平泉渉氏(自民党の元参議院議員)によれば、太平洋戦争の発端は日本人の多くが英語ができなかったため、ミスコミュニケーションが欧米諸国と生じたため、だそうですよ。 今でもネトウヨは日本人しか来ない板でで自らの主張を日本語でしていますよね。 そんな主張、世界は誰も見向きもしないのです。主張するなら英語の板に行って英語で堂々と主張して来るべき。 相変わらずだなと思います。また日本はそのうち戦争に巻き込まれて負けるではないでしょうかね。

angel25gt
質問者

お礼

今度戦争になっても、ネトウヨは防空壕でパソコンいじりながらポテチでも食ってるんじゃないですか。常に菓子類を準備していそうですし。 戦わずして勝つ、そんな連中なんでしょう?よくは知りませんが・・・ ご回答ありがとうございました。

  • hanak00
  • ベストアンサー率7% (10/126)
回答No.7

窮鼠が猫に噛みついてみたけど、やっぱり駄目だった。

angel25gt
質問者

お礼

アメリカにとっては、プロレスだったのでしょうかね。 ご回答ありがとうございました。

noname#195579
noname#195579
回答No.6

軍幹部が馬鹿だったにつきます。 兵士の命を軽視した作戦では勝てるはず ないよ。 小学生レベルの将棋です。 負けるべくして負けた戦争ですね。 安部も退陣させないと。

angel25gt
質問者

お礼

勝てない相手に対しても、絶対に譲れない瞬間はありますよ。人間だもの・・・ ご回答ありがとうございました。

  • cubetaro
  • ベストアンサー率24% (1289/5171)
回答No.5

 アメリカの戦略にハメられたというのと、情報が少なくて、アメリカの戦力を読み違えたという所ではないかと。  あと、同盟国が早々に降伏したり、アジアに手を拡げすぎて補給線が伸びきって、末端まで物資が届かなかったり。  軍部(関東軍)が調子に乗ってたというのもあります。  ------  これはバブルの時にも引き継がれて、調子に乗って散財して、絵画やビルで高値をつかまされたり。。。当時不景気だったアメリカの格好の的になりました。

angel25gt
質問者

お礼

戦後の日本人は、アメリカに労働力の一部を捧げ続けました。その最終段階が、レーガン・中曽根の約束事だったのだと思います。 あのタイミングは、アメリカ的にはベストだったのかもしれませんね。 ご回答ありがとうございました。

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