大丈夫だよ。
「時折」なら問題無い。
そういう時もある=「時折」。
貴方が書いているように、
今は大人になり辛い事も増えている。
その分だけ、
子供の頃の思い出(楽しい事)が宝石のように見える。
対比になってしまう事ってあるんだよね?
そして、
昔を思い出す際の貴方の心のコンディションも大きい。
明るく過去を振り返れる、思い出せる時もあるんだよ。
そして過去から良いエネルギーを持ち帰れる。
でも、
今の現実「逃避」じゃないけれど、
今の自分が中々もどかしい日々を過ごしている分。
必死に過去に舞い戻って、
マッチを擦って小さな炎の中に子供の頃の楽しかった事を思い出す。
そういう思い出し方もあるんだよ。
そういう思い出し方って、
イメージしてみると凄く切ないんだよ。
マッチの炎が続いている時は優しく思い出せている。
でも、
マッチが短くなり、炎が弱くなり、そして消えてしまう・・・
小さな一筋の筋煙だけが残り、明るかった世界が暗くなってしまう。
炎の中に見ていたのは明るい事なのに・・・
思い出した「後」の暗さが何倍も濃く感じてしまうんだよ。
結局心に残るのは、
思い出の炎が消えた後の暗さ(濃さ)の方なんだよね?
それって凄く胸を締め付けるんだよ。
今に優しい気持ちで持ち帰れない時があるんだよ。
その暗さの延長上に「今」の私の日々がある・・・
そんな気持ちになってしまう時もあるから。
貴方はどう思う?
確かに以前の(子供時代の)日々は単純だった。
その分だけ、
凄くシンプルに貴方の中に「良さ」として残っている思い出も沢山ある。
じゃあ今、
大人になって辛い事も増えて、複雑な事が多くなったから。
今は以前のような「良さ」が無いのか?
あるんだよ、ちゃんと。
今は今の良さがあるんだよ。
今は今の良さがあるんだけれど、
それを気持ち良く感じられない時もあるんだよ。
単純故に見えていない世界も沢山あったんだけれど。
単純である事の、
シンプルである事の大切さや愛しさもあるんだよね?
大人になると、
中々単純なものって見つけ難かったりする。
今は今の良さも感じているから今の貴方がいるんだけれど。
時々(時折)は、
子供のような感覚が懐かしくなる時もあるんだよ。
理屈なんて無い。
ただそう感じる時もある。
ただ・・・
涙が少し多くなる時は、
どこかで「今」の自分に息苦しさを感じているから。
もし今後、
貴方が過去を思い出して涙する事があるなら。
過去の楽しかった思い出を通過した後の自分が「暗く」ならないように。
そういう日々があったから「こそ」、
今の私があるんじゃないか?と。
思い出したい過去がある事はとても素敵な事じゃないか?と。
自分で自分の目の前に明るさを取り戻していく事。
同時に、
今の自分にも優しい目を向けてあげる事。
ただ昔は良かった⇔今や良くない(辛い)では無くて。
今を生きる、
今の貴方の気持ちに対しても丁寧に向き合ってあげる事。
感情的にウァーッとする事でスッキリするなら良いよ?
でも、
その起伏に自分自身がついていけなくなったり、
その「後」の貴方がグタッとなってしまうとしんどいからね?
もしかしたら、
今の私にはもっと丁寧に向き合いたい(でもそれが上手くいかない)。
無意識で抱えてしまっている何かがあるのかもしれないな?と。
過去を思い出して涙する自分を感じた時こそ、
「今」の自分に対するメッセージにもちゃんと耳を澄ませてあげる事。
それは凄く凄く大切な事かもしれないからね☆
お礼
回答有難うございます。 皆さんの回答で気持ちが楽になりました。