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創価学会

創価学会とか宗教全般的が死ぬほど嫌いです 本当に気持ち悪いし、全員吊って欲しい位です 母親は押しに弱いせいか、聖教新聞の購読を兄弟から強制されたようで毎日届きます 資源の無駄です、くそ汚いです くそ汚い新聞の文章の羅列など全く見たくないので再利用の仕方を教えて頂きたいです 因みにおばあちゃんは好きなのですが、日蓮宗崇拝者のようで数珠は有難いのですが… 果たして日蓮宗も嫌いですが、おばあちゃんは大好きです こう人は何故宗教にのめり込むのでしょうか? おばあちゃんの場合は先立たれたので、と、理由がありますが、それ以外の奴等は脳に蛆虫でも沸いてるのですか? 真剣な質問です 回答願います

みんなの回答

回答No.9

生き方を教えるからですかね。殺しを考える人には、合わないですから。何時の時代も攻撃材料にされます。ハイペリオンと神官の関係は、ギリシャ神話に出て来ます。まあ、現実の世界に対応出来ないと生き残ることができませんが。

回答No.8

天文法華の乱  天文法華の乱は延暦寺の衆徒が京都の日蓮宗徒を襲い、放逐した事件をいう。  天文五年(一五三六年)は三月まで遡ることになるが、京都の一条烏丸において、比叡山延暦寺の僧侶と法華宗信徒が法論を行い、叡山の僧侶が敗れたのである。……なんて言ってしまえば、実に他愛無い問題に思えるが、この実に些細な問題をきっかけとして、叡山と法華の対立が深刻化するようになったのであった。  平安期に最澄が創建して以来、長らく天下にその名を轟かせてきた叡山にとって、天文元年(一五三二年)の法乱の後、洛中の実権を握るようになった法華宗は邪魔者以外の何者でもなかった。それでも、細川政権との親密な関係を背景に強勢を誇る法華の勢いを前にしては、ひたすら耐え忍んで今までの日々を過ごさざるを得なかったわけだが、度重なる法華宗の横暴な振る舞いを目の当たりにするにつれ、彼らの我慢も限界を超えていったのである。  だから三月二十三日。 法論敗北を契機とし、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、兎にも角にも今まで堪えてきた怒りを一挙に爆発させた比叡山延暦寺の僧侶たちは、まず法華宗の急激な勢力拡大を不安視するようになった細川晴元を強引に説得し、さらに六角定頼、木沢長政までも巻き込んで、総勢六万とも言われる大軍で都に突入した。そして二十七日には、法華二十一ヶ寺と呼ばれる法華宗系寺院を次々焼き討ちすると、これまで洛中に絶大な権勢を誇ってきた法華の信徒を、悉く都から追い払ったのである。 ~  既に天文五年も八月になり、長年晴元政権に抗い続けた細川晴国も滅びた。一向宗騒動にもけりをつけ、いよいよ政権基盤の強化に尽力できると思った矢先の事態に、晴元は芥川山城内で、すっかり頭を悩ませていた。 「いっそ、この際ですから、法華宗と叡山を争わせ、御所様が漁夫の利を占めるというのも一興ですぞ」  と、木沢長政は言った。「漁夫の利、のぅ」 ~ 日蓮宗の在家信徒である松本久吉が天台宗僧侶を論破したのが発端と言われています。

当時は寺社が莫大な資産を保有しており、他からの攻撃の的にされており、自衛の為僧兵となり徐々に強大な力を持っていきました。戦国武将の間でも一目を置かれていたのですから、相当な力があったのでしょう。
白河法皇ですら意のままにならぬのは、双六の賽と、鴨川の水と、山法師であるとまで言わしめたのですから、相当厄介ものだったようです。
自らも天文法華の乱の33年前の1499年に、天文法華の乱の39年後の1571年に織田信長に焼き打ちされ、日蓮宗側も一向宗を焼き打ちにしており、結局は因果の裁きでしょうか、双方焼き打ちという残虐的行為をされるという同じ目に遭っております。

色々種々理由はあるようですが、政治的にも利用された経緯もあります。 ~ http://sky.geocities.jp/mifune008/000n1.htm  (スクロールバー 4/10) http://sky.geocities.jp/mifune008/     政治、宗教、天台宗、一向宗、法華宗の残虐的行為の連鎖反応が見られる。 それらの、攻撃性&暴力性は、徹底して監視し改善していくことが歴史の教えでしょうか? 政治も、宗教も、台風の目となることが、見て取れる?

  • hyakkinman
  • ベストアンサー率16% (738/4426)
回答No.7

★再利用方法 山に、大量に捨ててください。 【環境と福祉の公明党】と言いながら、自動車を使って、エアコンをガンガンきかせた会館で集会に励む行為に対する抗議行動として。 捨てるのが一番! 反逆者の悪口ばかり書いてある新聞など、再利用するのも汚らわしいです。 ★なぜ、宗教にのめり込むか? 洗脳されるためです。 宗教洗脳されると、自分の身の回りで起きるすべての出来事を、自身の成長のためととらえることができて、幸せな気分になれるからです。 宗教洗脳者は、あのオウムと同じように不気味で、反対者の意見など聞く耳をもちません。 洗脳とは、脳に虫がわいている状態かもしれません。 戦争のひきがねになってしまうほど恐ろしいことです。 真面目な回答です。 削除されませんように。

回答No.6

 大好きなおばあちゃん、そして、揉め事&角の無い数珠について、考察する必要があるのではないでしょうか。  http://sky.geocities.jp/mifune008/000n2.htm  http://sky.geocities.jp/mifune008/000n3.htm  地球と人類は、本来、どのようなものなのか? 、と、なるのかも ?

  • shorinji36
  • ベストアンサー率17% (406/2382)
回答No.5

宗教のおかげで生きる希望をもらって立派に社会で活躍している人も沢山いるので無宗教の無職の方が死ぬべきかな。 本来の宗教てそういう存在。

aoaoqpqpyyyyy
質問者

お礼

確かに無職は死ぬべきという貴方の意見には一理ありますね 勤労の義務、これは国民の義務ですし国を裏切っていますよね しかし宗教を肯定するには根拠が不足しております

回答No.4

Q、こう人は何故宗教にのめり込むのでしょうか? A、「救い」と「絆」とを求めてのこと。  人間は、どんなに足掻いても「病」「老」「死」から逃れることはできません。また、一般庶民の多くは、富裕層の暮らしとは縁がなく、それぞれに苦労の日々を送らざるをえません。そんな時、「信じれば救われる」、「信じれば報われる」と説かれれば、心が動く人もいます。仮に、その宗派の教義そのものに関する理解と納得がなくても、その宗教活動を共にすることで「病」「老」「死」に関する不安、日々の苦労に対する不満は大きく緩和されます。各個人が孤独である日常を強いられている現代では、この連帯意識・仲間意識の共有母体としての宗教の出番は増えるばかりだと思いますよ。  私自身の体質は、そういう現実世界の矛盾から目をそらす役割りしか果たしていない宗教を生理的に受け付けることは130%ありません。でも、一方では、終末期を迎えた患者で安らかな最後を迎える方の多くが宗教に帰依している現実。宗教によって、多くの独居老人が孤独に耐える力を得ている現実。これは、認めざるをえません。 >宗教に「救い」と「絆」とを求める人を責めるなかれ! >大事なことは、そういう風潮を払拭する社会を目指すこと! >その為に、自分は何をなすべきか? >その答えを知り、多少なりろも実践することが大事! >人の頭の上を飛び交うハエよりも・・・。 と。思いますよ。

aoaoqpqpyyyyy
質問者

お礼

救いを求め自らに負けた者の末期的結果、終着点と捉えると少々納得できますね 恐怖に打ち勝つ力を得たのは結構ですが、どうせ誰しも死ぬのにねー…

noname#196600
noname#196600
回答No.3

信仰の自由はあると思いますが。。。 名前は伏せますが 関心のない人に 無理やり。。と言うのは 本来の「宗教」とは呼べないでしょうね。。 私は 貴方の意見に賛同します! 聖教新聞代ばかにならないでしょ? お母様の変わりに貴方がキッパリと 断る事をお勧めしますよ 「信じるものは救われる。。」その通りで 信じている人だけで 信仰すればいいんですよ 他人を巻き込むのは 止めて欲しいもんですね

aoaoqpqpyyyyy
質問者

お礼

憲法20条では確かに宗教の自由が認められております しかし強制も同時に禁止されていますよね 平気で日本最高権力の憲法を犯す者の集団は神を信ずる前に国民としての生き方がなっていない これで神に救いを求めるのはもはや冒涜ですね

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.2

”再利用の仕方を教えて頂きたいです”    ↑ ・昔のくみ取り式トイレなら、便所紙にして  使用可能です。 ・紙粘土、という方法もあります。  新聞を細かくちぎって水に溶かし  水を切ってから洗濯糊を加えます。 http://kaneco.ddo.jp/kaminendo/ ・古紙回収に出すのが一番手っ取り早いのでは。 ・細かくカットして、紙吹雪。 ・燃やして燃料に。 ”こう人は何故宗教にのめり込むのでしょうか?”     ↑ 私の祖母も宗教にのめり込んでいましたね。 死ぬような経験をした後、そうなった、という 説明をしていました。 知人は、子供との仲がうまくいかず、宗教に入ったら 仲直りができた、ということでのめり込んで しまいました。 世界レベルでみれば、宗教をやっているほうが多数派 です。 宗教は人間だけのモノです。 動物にはありません。 いつか死なねばならないことを知っている人間は、 神を信じたいのでしょう。

aoaoqpqpyyyyy
質問者

お礼

すがり付くモノが自らに幸福を与えると偶々の事象ですらそれをまるで宗教のお陰と置き換えるのはまさに意思の弱さと自己の無さの象徴ですね

  • marbleshit
  • ベストアンサー率49% (5033/10253)
回答No.1

あなたのような方を全うな人間に更正させるために創価学会はあるのです。 お婆様はさぞかし素晴らしい方だったことでしょう。

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