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作風の変化
作風って変化する画家がいますよね。 ゴッホなどは南のカラフルなものに影響されたり。 知らないものを知ると変化するといった具合でしょうか? 変化しない人もいるのでしょうか。 変化する画家は試行錯誤で新たに学ぶのでしょうか。 個人の感性自体はそんなに真逆にはなるような変化はしないと思うのですが。 変化する人と変化しない人も違うのでしょうか。
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西洋絵画にしろ日本の美術にしろ、近代あたりまで、多くの作家は今で言う「画壇」のような団体に属していました。 そのため、画壇そのものの風潮や◯◯主義、といった新しい表現様式などが流行すると、それに乗じて作風を変えて行ったりもしました。 一般的には、自己表現として、唯我独尊的で自己陶酔のように画風を確立していくものと思われがちですが、絵画など美術の作風というのはある意味で学術的研究にも似ていて、周囲の他作家の動向や画壇での流行などを受け、また◯◯主義などの芸術理論や哲学思想の影響を受けて作風も変遷していきます。 画家などの作家個人、と考えるよりは、「業界」的な集団性で考えた方がいいと思います。 要するに、目立った作風を確立した画家というのは、さまざまな主義や傾向の一派を代表する画家、というわけで、その背後には、後世にはさほど名を残していない無数の画家たちがいる、という感じです。 音楽で言えば、ポップス、ロック、ヒップホップ、R&B、レゲエ、エレクトロニカ、トランス…などジャンルがさまざまあるわけですが、絵画の中にもそうしたジャンルが、写実(具象)/抽象といったジャンル分け以上に、実際にはもっとさまざまあるということで、それぞれのジャンルを代表するような画家が、今日、多くの人に一般的に知られているというわけです。 なお、画家たちの活動の場であった画壇などの資金源となっていたのは政治や宗教など、世間的に権力を持った人たちと言えます。 言い換えれば、芸術が今日よりも政治的な動向とも密接であったと考えられます。 ですから、政治の変動による思想的転換から、真逆の方向性へと作風が変わっていく、また表現のジャンルそのものを禁じられる(例えばナチス統治下のドイツや近隣国家)などし、作風を変えざるを得なかったというような場合もあります。 ー ー ー ゴッホはわりと死後に有名になったタイプの画家(つまり生前に有力なパトロンが多数いたわけではない)だと思うので、身近な環境の変化が作風に影響を与えた、という感じでしょう。 しかし、昔はネットやテレビがあるわけではなく、今ほど情報の伝達も速くないですから、当時の世間一般の人々は外国の文化などを知る機会はほとんどなかったでしょう。例えばフランスの田舎の農村の人々が、都であるパリに行くことなく、またパリでの流行など知る由もなく生涯を閉じる…なんて普通のことだったと思います。 それに比べて画家たちは、大なり小なりパトロンなどから援助を受けさまざまな国へ旅に行ったりと、他国の文化や風土を目にする機会があったと考えられます。ですから、知らないものや目新しいものを受けて作風が変化した、とも考えられますが、それよりも、当時の絵画や芸術などには、情報伝達として他国の文化・風土を取り入れる、一種の社会的な役割も(無意識的なものかもしれないが)あったのではないかと思います。 個人の感性だけで、芸術が行われ作風も変化している、というより、作風が変遷するのはさまざまな社会的状況を反映しているから…という感じだと思います。
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- ways
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クラシック曲を見ても、一生涯でずっと似たような曲をたくさん作った方もいらっしゃいますし、その人らしい感じはしますが、幅の広い作風を持った方もいらっしゃいました。芸術家として、自分のアンテナに反応するものがあると、驚いたり感動したりします。それは他の人の作品にとどまらず、日常のなかで、動物の動きからだったり、人との話しからだったり、自然の景色だったり、何に感動して心を動かされるかは、決まっていません。そのピンときたものを描きたいと思うかどうかです。それと、芸術家はある程度までひとつのやり方を構築していくと、その土台を壊して、一からまた土台を作り直そうとするタイプの人がいます。それは、同じことをしていると飽きてしまう、ということもあるし、新鮮さを求めて、ということもあるし、今までとは違ったものに興味を持った、ということもあるし。理由はいろいろですが、何を描くかというモチーフを、画家はいつも探している旅人です。心の旅というか。
- Postizos
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同じ事を続けているとやはり飽きますからなにかしら変わってしまうか変えるのが普通のようです。 もちろん現実に触発されたり、他の作品に触発されたりする事も多いでしょう。 また模倣者が出て来る事で嫌気が差してしまう事もあります。 あるスタイルで有名になった作家はそのスタイルをトレードマークのように守り続けたりする事もありますが、それはむしろ営業上の都合であると考えた方が良い場合が多いと思います。そういうひと目でだれとわかるスタイルを作る事が作家として名を売るために必要だからなんとか考案するという倒錯した発想も生まれます。 しかし中にはそのようにしかできないある意味で不器用な人とか現実がその人にはそのように見えてしまっているからしかたない人もいますのでスタイルが変わり続ける事だけが正しいとは言えないと思います。形は変わっても根っこの考え方や見方が変わっていない事も多いのではないでしょうか。 美術は、今までこれをテーマにやったから今度は逆にこれをやってみようという風に制作する事はいくらでもできるのではないでしょうか。芸術だからといって感性(あるいは単なる感覚)だけに頼っているようには思いませんし鑑賞する場合もそれは言えると思います。 余談ですが、演歌歌手などが昔大ヒットした持ち歌を歌うと、元のメロディーやリズムをずらして崩してしまって変な物になってしまう人が多いように思いますが、何度も歌っている内に同じ事の繰り返しを避けてしまうのでしょう。 スタイルだけを踏襲して元の良かった本質的な出発点にたちかえる事ができない場合もあるのではないでしょうか。
- guess_manager
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私が一番面白いと思ったのは、20世紀初頭に活躍したシュルレアリスムのさきがけとなった、イタリアの画家、ジョルジョ・デ・キリコです。 この人は、有名になった絵はヘタウマっぽいのですが、実は本当に下手なのです。全然デッサンとかできていなくてひどい有り様でしたが、シュルレアリスムの絵で一躍有名人になります。その後、何を思ったのか絵の勉強をし始めて妙なクラシシズムの日曜画家のような中途半端な作風に変わっていき、全く感動しないクズのような絵を量産しました。 それぞれ、心の変化、時代の変化や流行、病気、画家仲間の影響、結婚や子供など家族の変化、技巧が上達した、戦争や経済危機などの政治状況、画商から作風を変えるように指示されたなど色々な要因があるのでしょうね。背景を調べていくと面白いことがたくさんあると思います。