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1977年、捕手、池辺
1977年4月30日、大洋対阪神。田淵、片岡負傷で捕手がいなくなる事件がありました。途中、町田に捕手練習をさせるが、チャンスに投手池内の打順で町田を代打で起用してしまい、次の回、町田を捕手として使えなかったと伝えられてますが、町田を代打で使ってもそのまま捕手として起用することは可能だと思いますがなぜ使えなかったのでしょう?。 http://blog.goo.ne.jp/nji159bgr357/e/188fb6b63337fcda43464d1bf986bc17
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当然、8回の表に代打に出て、8回の裏に、そのまま捕手として出ることは可能でした。 しかし、町田外野手は、守備が下手という定評があり、しかし、強打者という評価もありましたから、専ら、代打専門の選手でした。ところが、176cm、80kgという捕手タイプ体型に目を付けられたばっかりに、急遽、ブルペンでの捕球練習をさせられましたが、まあ、殆どプルペンピッチャーの球さえ、捕球できなかったのだと思われます。 守備センスがある守備の上手い選手なら、捕球練習などしませんからね。つまり、あれは、捕球練習ではなく、町田に球が捕れるかどうかのテストだったということ。 で、その結果、本人も捕手は出来ないと自覚し、周りのコーチ陣も、町田は球を捕れないよと監督に報告したはずです。で、捕手は諦めて、代打として使った。
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- jyunkyuu
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no.2 続投です。URL拝見しました。 そう言えば確かに6~7回あたりからアナウンサーもしきりと「片岡大丈夫ですかねえ・・・」とか「大島をここで代打で使ってしまうんですねえ。片岡9回まで持ちますかねえ・・」とか、9回は「やっぱり片岡無理ですねえ。しかし交代しようにも阪神はもうキャッチャーいません。すでに代打で大島使っています。キャッチャーどうするんでしょうか。おっと、何と池辺です!」と言ってたのを思い出しました。 しかし、私が大洋ファンだったせいか、町田が捕手の練習をしていたというのは記憶にありません。 無死13塁は8回でしたか・・・・ニッポン放送はあそこで終わったのでてっきり9回と思っていました。ということは大洋もう一回攻撃があったのね・・・・余計情けない(笑)。 当時の大洋対阪神は0対8からの逆転勝ちをお互いでやりあったり、目が離せませんでした。 個人的には阪神戦だけは好投する高橋重行投手が印象に残っています。大洋を自由契約になったら「他球団に行かれるくらいなら、いっそ獲得してしまえ」と阪神がコーチにしたのにはびっくりしました。
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ありがとうございます。そうなんですよ。8回奇跡的に切り抜けて、そのあと9回は?。と思います。9回の記述がないんですよ。 古沢の調子も随分良かったんでしょうね。 池辺いいですよ。この頃は、東田、桑野なんて、雰囲気のある選手がいたんですよね。僕は51年52年が好きなんですよね。48年、最終で優勝V9の終焉を逃し、49年は中日、50年は広島にまさかの出し抜かれ。 そして、51年、江夏、アルトマン、テーラーなんて「もっさい」のの代わりに江本、ラインバック、ブリーデンの「スマート」なのがやってきた。 星野、山本の盟友に先越され、「次は俺」という田淵に、巨人は、張本補強でV字復活。連覇するのだ。
- jyunkyuu
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ニッポン放送でこの試合のラジオ中継を聞いていました。 8回か9回に町田を代打で使ったあと、9回裏の大洋の攻撃の最中に捕手(大島だったか?)がファールチップを受けたかのアクシデントで負傷してしまいました。 アナウンサーの「すでに町田を代打で使ってしまっていますので、阪神はキャッチャーがいません、大変なことになってしまいました!」と半ば絶叫していたのをはっきり覚えています。 ということで、初めから町田を捕手で使うつもりはなかったようです。そのあとで起きた捕手負傷のアクシデントでした。 この時点、阪神が5対4で勝っていましたが、大洋は無死一三塁の大チャンスでした。 ところが、何とここでラジオ中継が終わり。「阪神は9回無死13塁の大ピンチというのに捕手がいなくなってしまいました。なんと捕手は池辺!阪神体絶命!しかし、ここで中継を終わらねばなりません。みなさん誠に申し訳ありません!」・・・でCM。 私は大洋ファンでした。「こりゃ勝ったも同然、池辺のパスボールでサヨナラだろうな。まあ、悪くても引き分けだろう。しかしニッポン放送こんなとこで中継終わんなよ!」と余裕をかましていたのですが、その夜のニュースで阪神がそのまま5対4で逃げ切ったと聞いて我が耳を疑いました。敵ながらあっぱれ池辺(笑)。 大洋情けね~。 ちなみに、この前の日は佐野が左翼フェンスに激突して頭蓋骨陥没骨折、連休中の呪われた大洋対阪神でしたねえ。あれからもう37年か・・・・・懐かしい思い出です。
お礼
URLを見ていただけると、代打の前に町田に練習させているくだりがございます。関東では当然、中継が終わってたんですね。大阪では、サンテレビが最後までやるので。^_^ 前日の佐野事件もかぶりついて見てましたが、これが「連日」だったとは忘れてました。 大洋のタッチップ、翌日の片岡へのバントなど、非情な攻撃は、まるで、虎の穴のレスラーのようでした。 大洋は、同じ頃の次代、好投の山下律夫を左打者のときだけ三塁を守らせ再びマウンドへあげだ采配が記憶にあります。ノムさんみたい。 この頃は、セオリーを超越した野球がありました。
お礼
なるほど。納得です。他のメンバーも知りたいですね。 私もリアルタイムで見てたのですが、昭和52年だと、途中交代や、たまたまスタメンが変わりえますが、 ブリーデン 中村勝 掛布 藤田平 東田か桑野? 池辺 ラインバックですかね。 引き受けた池辺、カッコよかったなあ。