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生まれた子が社会に迷惑を掛ける恐れをどう回避するか
32歳男です。 責任について考えるとき、私の考えは極論になってしまって、生きにくくて仕方ありません。 皆さんはどうやって処理しているのか、アドバイスをいただければ幸いです。 下記です。 先刻、ニュースで次のような記事を読みました。高校生の二人組みが、中国自動車道に掛かる人道橋から自転車を高速道路に投げ込むイタズラをして逮捕されました。本人たちは軽い遊びだったと供述していますが、大惨事につながる恐れのある凶悪な犯罪であるとして、殺人未遂で立件されています。たまたまドライバーのテクニックでそれを避けることができたそうなのですが、もはや、アリエナイでは済まされない、実に愚かな犯行であります。 このニュースを読んだときに思ったのですが、自分に子供ができたとして、その子がこのような犯罪をやらない保障はゼロではないということです。どんなに正しくまっすぐに育てても、絶対に犯罪を起こさないという保障はもてません。世間に迷惑をかけ、最悪、人様の命を奪う恐れがあります。 私は、この恐れがゼロにできない限り、社会への責任として、子供は生むべきではない、と考えてしまうのです。皆さんは、社会に迷惑を掛ける恐れがゼロにはできない状況下で、どうして子供が生めるのでしょうか。 このような話をすると、子供を生まなければ、人口が減って税収が減って、それこそ社会が成り立たなくなり迷惑だ、のような主張で返されます。私は、だから、もっと根本的に、人類は全滅すべきだと思っています。環境問題も根本は人類が全滅することに行きつくし、この意見を言っている私もそうですが、人間は自分が正しいとして主義主張をし、他を制しようとする、それが適わなければ暴力に訴えることになります。歴史の常です。楽しみのために殺生をする。快楽のためだけに強姦する。こんな種は全滅すべきだと思っています。 これは本題とは離れてしまいましたが、子供を生むことで社会に迷惑を掛ける恐れが発生する、だから、私は子供を生みたくない、これを覆す考え方を教えてください。 付き合っている彼女が子供は要らないと言っていたのですが、最近、そうでもなくなってしまったようで、将来的には結婚を考えていたところで、困惑しています。まあ、結婚についての答えは解っているし、そもそも、人類滅亡論者が結婚を考えているというのも矛盾であるのも至極解っているのですが、なにとぞ、ご容赦ください。 よろしくお願いします。
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- cliomaxi
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ANo.6、11再度です。 私のような回答をした場合、質問者の中には私に対して敵意をむき出しにしたり、自分がいかに正しく私が間違っているかを悪意のある言葉で返したりします。 しかしあなたは質問の内容に関して真剣に考え、子供を持つとはどういう事なのかに真摯に向き合っておられるようですね。 >その責任をどうお取りになるのでしょうか。 中略 法的な処罰を子供に受けさせる、そのことを親として真摯に受け止める、といったことなのでしょうか。 これこそ命題とでも言いましょうか、答えの無いものです。 刑に服させることは当然と思います。 しかし、問題はそれよりも被害者やその家族に対してです。 罪を憎んで人を憎まずと考える人は少ないでしょう。 お金で解決出来るのか、この腹かっさばいて詫びれば済む事なのか・・・。 被害者家族に少しでも心の平穏が取り戻せるなら、それを全て受入れる事しか出来ないでしょう。 実のところ私にも明確な答えがありません。 辛かろうが疲弊しようがそこから逃げたりはしない事が私なりの考えです。 ただ、そうはならないように人を傷つけたり悲しませたり迷惑をかけない事がいかに大切かを子供には教えているつもりです。 >子供の犯罪に対して親が責任をとることは論理的には出来ないと思っているので、したがって、子供は産むべきではない、なのです。 しかしこれはちょっと極論かなと思います。 大多数の子供が犯罪者になる訳ではありませんし、多くの子供たちは普通の大人になり平々凡々とした生活を送るだけです。 あなたが単に子供が嫌いなら話は簡単でこの様な質問はしなかったでしょう。 人類滅亡を切望し、万に一つの負の可能性を考え子供を作らないと決心しつつ、子供が欲しいと思う心もどこかにあるのでは無いですか。 私は結婚する時に子供が嫌いだから作らないと言う家内の事を受入れました。 しかし結構歳がいってから突然家内の方から子供を作ろうと言われ、実のところ困惑しました。 作らない事を覚悟して結婚して長らく生活していて、子供の事は「忘れて」いました。 私に子供が育てられるのか、前回の回答にも書きましたが、犯罪者になってしまったら等々とてつもない不安が襲ってきたからです。 しかしそれでも生れてきた我が子の成長を見ていると、自分の原動力である事をひしひしと感じます。 正直家内と離婚しても屁でも無いと思いますが、この子がいないとか、この子と別れる事になる事を想像するだけで心穏やかではいられないほどです。 次代を担う若者を育てることも大人の責務では無いでしょうか。 子供たちは私たちよりより良い時代を築いてくれる。 そう信じたいのです。 ※ネット上ですから年齢云々は無意味だとは思います。 中学生の質問者からのタメ口とかも結構あります。(私は数年前から回答オンリーです) ですがここは2ちゃんねるではないのである程度の分別は必要だと思います。 ですから私は出来る限り丁寧な言葉と誠意を心がけています。
- cliomaxi
- ベストアンサー率33% (2921/8736)
ANo.6再度です。 はぁ、どうも私の回答を理解しないのか出来ないのか、曲解しているようです。 >国防というのは、もしこんなことが起こってしまったらどうしよう、ということを徹底的にシュミレーションして備えるものです。子供を持つということは、それと一緒だと主張しているんです。 あなたの言い分だと「国防のために軍備を揃えると、不慣れな新兵がご操作で事故を起こすのでは無いか、最近は全てコンピューター制御だからそのコンピューターにバグがあったら、誤動作したら大変だから、これらの問題を鑑みると兵器は持たない方が良い」になります。 私には腑に落ちる喩えにはなっていません。 >子供が罪を犯したときに、それでもその子を愛せるか、そういう命題です。 命題でも何でもありません。 罪を犯したから愛さないのなら、それは他人やせいぜい知り合いに対する感情と何ら変わるものではありません。 私には子供がいますから、事故や事件の被害者になってしまったらどうしようと考える事もありますし、あなたと同じ様に加害者になる可能性も考える事もあります。 だからこそ子供には出来る限り人の道を外れる事の無いよう育てているつもりです。 それでも人の道を踏み外してしまったら、それは私の責任です。 >社会に貢献する人間に可能性を求めるくせに、私に対してはその口の利きよう。ご自身の矛盾に気づいておられない。 無矛盾です。 私の回答は社会に貢献する可能性が「ある」とは言いましたが「求めて」はいません。 そもそもあなたは「子供を作らない」事を前提としています。 私にはそれが「自分の子供とは言え、やっていない事に責任を取りたくない」と言っているようにしか思えません。 だから前回の回答に書いたように理屈こねずに「私は子供が嫌いだ、甘やかすとつけ上がり、放ったらかすと悪乗りする、そんな子供なんか欲しくない」と言えば良いのです。 ※重箱の隅つつきですが、あなたは私より目上では無いので普通は「口の利きよう」は使いません。
- suzuko
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#5です。お礼ありがとうございます。 若干、誤解を招いたかと思うので補足します。 >>または、親自体が「虐待」や「育児放棄」の被害者であった場合も多いです。 >>ですので、暴力を躾と称する人たちは「自分もそう育った」と言います。悲しい話です。 >その一番の方法は、親にならせないことではないでしょうか。たしかにその方にとっては虐待を受けた上に親になる資格を剥奪されるという点においては永遠の被害者かもしれませんが、社会全体で見れば、仕方のない端数ではないでしょうか。 う~ん。私が書いたのは、「虐待を受けた」=「虐待をする」ではありません。「虐待をする人」の中に「虐待を受けたことがある人が多い」です。これは「逆もまた真なり」ではありません。 「虐待を受けた人」の中で半数以上は、虐待をせずに、きちんと子育てをしています。 ただ、人は「真似る」ことでしか色々な技術を身に着けれません。(独創性を発揮できるのは一部の人です) そして、子育ても技術です。 親から「真似ることができない」場合は、親に代わる人を「真似る」ことで子育ての技術が身につけます。 「虐待を受けた」=「子育ての技術がない」ではないのです。 >子供が罪を犯したときに、それでもその子を愛せるか、そういう命題です。 深い命題ですね。 昔、大阪であった銀行強盗立てこもり事件を思い出しました。 かなり凄惨な事件で、リアルタイムでTVが報道していたのですが、その過程で犯人の母親が「説得」の為に連れ出されていました。 丸く曲がった小さな背中の老母は、必死に「犯罪を犯したわが子」に呼びかけていました。 後から聞いたことですが、老母は「それでもわが子を愛している。あの子の味方が、私だけになっても」と言ったとか… ご参考までに。
お礼
ご丁寧に再度ご回答をいただきまして、本当にありがとうございます。ご説明いただいた内容を真摯に受け止めております。 もちろん、すべてがそうではない、という論は十分に理解しております。しかしながら、すべてがそうではないが少なからずそういうことがある、ならば、その集合は摘み取ってしまったほうが政策としてはアドバンテージになるのではないか、というふうに考えています。 恐れがゼロにならない限り子供を産むべきではない、という極論故です。 誤解を恐れずに申し上げれば、企業の採用の際、慶応大学と明治大学の複数の学生がいて、すべての明治大学の学生が劣っているわけではないが、早稲田大学の学生のみを合格として、明治大学の学生はすべて不採用とする、という方法論と同じ考え方です。 大阪の銀行のお話、大変悲痛です。 でも、そのときの被害者のことを考えると、親子ともに許せません。犯罪者をかばう者は、被害者から見ればたとえ親であろうとも許せるものではありません。 または、親だけは許すべきであるという寛容さというか、ひとつの法的制度のようなものを設けて社会通念とすべきなのでしょうか。 私には出来ません。
- ekopon
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社会に迷惑をかけるおそれは、子どもを産むことだけではありません。 現在正常に社会生活を送っている私も貴方も、 いついかなる時に社会に迷惑をかけてしまうかわかりません。 過失による交通事故かもしれないし、病気による周囲への負担かもしれないし、 老化に伴う経済損失かもしれない… いずれ何億年か後に人類は滅亡します。 でも、現実にこの世に生まれてきた以上、 死ぬ時に「まあ、そこそこ楽しかったわい」と思いたいのが人情というものかと思います。 人を愛する喜びや辛さを味わうのも人生の醍醐味でしょう。 子育てとは摩訶不思議なもので、理想的な親だから良い子になるとは限らないし、 ほったらかしたから悪い子になるとも限りません。 第一、結婚しても子どもができるかどうかわからないのです。 覚悟もなく安易に結婚して不幸になる例が多いので慎重な考えを持つのは結構ですが、 「過ぎたるは及ばざるがごとし」
お礼
過失による交通事故は凶器となりうるものを運転しないことで防ぐことができます。病気や老化は自分の意思でコントロールできません。だからこそ、生まれてきた時点からその恐れは始まっていて、防ぐためには生まれてこないこと、つまり、生まないことなのです。子供を生む生まないというのはコントロールできる選択です。だから、生むべきではないし、人類は全滅すべきなのです。聞きたいのは、そこです。
- kkdkfttyj
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覆す必要もなく、あなたがそう感じているのだから、そうすればいいのではないでしょうか?多分あなたのDNAが終焉したがっているのです。実は私もそうです。なんとなく子供を持ちたいと思わず今に至っています。叔母の家もそんな感じですので、父方のDNAは途絶えたがっているのだと感じています。 ただ、その考えを彼女に強要はしないでくださいね。
お礼
考え方は個人の自由ですから、強要はしません。
- noguna
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あなたの命は先祖から伝わってきたものです 生命が子孫を残すことを否定するのですか? あなた自身の生命を否定するのですか? 地球上の生命体すべてを否定するのですか?
お礼
そのとおりです。ヒトという生き物の生命を否定しています。ヒトだけが、高慢で愚直な生き物だと判断しています。祖先から私にいたるまで、すべての責任です。
- cliomaxi
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逆にまだ見ぬあなたのお子さんは、現在では完治不可能な難病の治療方法を発見するかも知れないし、日本を代表する作家になるかも知れない。 世界で活躍して多くの子供たちに夢を与えるスポーツ選手になるかも知れないし、平々凡々だけど、世の中を縁の下で支える真面目に働くサラリーマンになるかも知れない。 そう言った社会に貢献する人になる可能性だってあるのです。 生れなければその可能性は0です。 人類だけでなく、多くの動植物は利己的です。 快楽のためでは無いとは言え、前夫の子供を食い殺して母親である雌を発情させて自分の子供を産ませるライオンであるとか、本当の子供である筈の卵を捨てて赤の他人である別の雛を育てさせる托卵であるとか。 そう考えると人類どころか殆どの動植物は滅亡しても構わないことになります。 私にはあなたの主張は、誰に対するものでも無いかも知れないが、子供が欲しくない、子供を育てる自信が無い事の言い訳に感じます。 だったら、この様な生れてもいない子供にやってもいない罪を想定して自分を正当化せずに、はっきりとそう言えば良いだけです。 俺はクソガキなんか欲しくねーと。
お礼
ふっ。国防というのは、もしこんなことが起こってしまったらどうしよう、ということを徹底的にシュミレーションして備えるものです。子供を持つということは、それと一緒だと主張しているんです。子供が罪を犯したときに、それでもその子を愛せるか、そういう命題です。社会に貢献する人間に可能性を求めるくせに、私に対してはその口の利きよう。ご自身の矛盾に気づいておられない。だから、私は人類は滅亡すべきだといっているのです。あなたのような意見を出す方がいる限り。
- suzuko
- ベストアンサー率38% (1112/2922)
支援学校教員です。 普通に愛情深く育った子は、そのような「思慮に欠ける行為」は行わないのではないでしょうか? また、育児放棄や虐待をする親は「責任感が人一倍強い」という傾向はありません。 どちらかと言うと、育児放棄は「親としての自覚が欠ける」人や「そもそも他人と共同生活できない」人が多いように、子どもと係る者として感じています。 または、親自体が「虐待」や「育児放棄」の被害者であった場合も多いです。 ですので、暴力を躾と称する人たちは「自分もそう育った」と言います。悲しい話です。 >どんなに正しくまっすぐに育てても、絶対に犯罪を起こさないという保障はもてません。世間に迷惑をかけ、最悪、人様の命を奪う恐れがあります。 ほとんどの人たちが、犯罪者(交通事故を含めて)にはなりません。故意に犯罪を行う者・過失や思慮不足から犯罪を起こす者も、社会の構成員としては20%ほどです。 まっすぐ育てれば、まっすぐな80%の人になります。子どもは育てたようにしか育ちません。 高々、20%の「不安」の為に「あえて、自分の遺伝子を残さない」のは、生物として「不思議」な感覚だと思います。 私見です。
お礼
専門職の方からの貴重なご返信、ありがとうございます。私にとっては20パーセントという数字は大変大きなものと感じてしまうのです。虐待の連鎖はどこかで止めなければならない。その一番の方法は、親にならせないことではないでしょうか。たしかにその方にとっては虐待を受けた上に親になる資格を剥奪されるという点においては永遠の被害者かもしれませんが、社会全体で見れば、仕方のない端数ではないでしょうか。
- ueue3131
- ベストアンサー率51% (208/405)
私も 自分の子どもが小さいときに そういう心配をしたことがあります。 犯罪者になるのは どういう環境で育った どういう条件をもった子なのかなとか 厳しく育てるのと 優しく育てるのとでは どっちの方が 子どもを 犯罪者にする可能性が 低いのかなとか。 でも、結果的には 「案ずるより産むがやすし」でした。 温かい言葉を できるだけかけ でも、甘やかしたり 尽くしすぎたりせず、 悪口を言わない家庭の中で 育てることで 優しくて 正義感のある子に 育ってくれましたよ。 自分は 現在教育関係の仕事をしているのですが やはり 犯罪に走る子どもには そういう環境が 必ずあって (例えば 親の育児放棄や 虐待、夫婦や嫁姑の不仲が酷い・・・など そして、そういう環境の中で 苦しんでいる その子に 誰も 救いの手を差し伸べていない・・・など。) 逆に そういう 「最悪の環境」を避けて ごく普通に 温かく 育てれば そう大きく道を外すことは ないということも 分かりました。 それでも 例えば 万引きとか 友達と けんかをして 怪我を負わせるとか 多少の 問題行動は 普通に育てていても あるかもしれません。 でも、多少の失敗をしても 多くの子どもは そこから 立ち直り 成長して 世の中のために尽くす人間になります。 「労働力」という意味だけではなく 傷ついた人を 慰めたり 困っている人に 手を貸したりする 「温かな人間性」をもった大人になるでしょう。 つまり 「社会に迷惑を掛けるリスク」よりも 「社会に貢献できる可能性」の方が 大きいのであれば 子どもは 産むべきなのです。 そして よほど変な育て方をしない限り 子どもは 社会に貢献する人間に なってくれるでしょう。 ただ、相談者さんのように 自分に厳しく いろいろなことを考えて 生活している人は 大丈夫なのですが 世の中には 自分の快楽のみを考えて生活し 無責任に子どもを産んだり産ませたりし それを 放置し ・・・結果 よくない育て方をしてしまう大人が 増えているようで・・・ それを カバーできる ご近所や親戚の人間関係もないために 可愛そうな育ち方をしている子どもが 多いのは事実ですよね。 そういう人たちこそ 絶滅してほしいと 私も思います。 ・・・絶滅は大げさでも そういう 自己中の人たちが 自己中に生きることができないような 法律 そして それをみんなで守る世の中になればいいなあと 私は思います。
お礼
種としての罪として、全滅すべきだと考えています。「世の中には自分の快楽のみを考えて生活し無責任に子どもを産んだり産ませたりし、それを放置し・・・結果 よくない育て方をしてしまう大人」の責任を、私たち全体で自決して罪滅ぼしすべきだと思います。そもそも、特に、日本には連帯責任という考え方があります。五人組などの制度に従えば、もっと大きく解釈して、日本国民全体が罪を負うべきです。とりあえず、日本人は全滅すべきです。
- rokometto
- ベストアンサー率14% (853/5988)
それは考えすぎですね。 断言します、子どもは社会に迷惑をかけます。 それが当たり前です。 守るべき存在なのだから。 もう1つ親としての責任を背負いすぎです。 育児は親に責任を押し付けるものではありません。 社会全体で育て、責任を分担するものです。 それができない半社会人が多すぎるんですよね。 だから育児に不安なら周りの力を存分に借りてください。 それは育児放棄でも責任放棄でもありません。 現在の虐待や育児放棄は責任感が強すぎる親が一人でしょい込んで暴発するケースがほとんどなんですから。
お礼
社会人として他人の子供を育てることを分担せねばならぬのなら、育てたくない人もまきこまれるということですよね。そういう人もいるとを忘れないでいただきたい。勝手に生んで他人に育てさせる? カッコウか?! 私は鳥ではありません。
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お礼
最初の御礼欄に大変失礼なご返信をいたしましたことを深くお詫び申し上げます。 私の曲解でありました。 >「自分の子供とは言え、やっていない事に責任を取りたくない」 >と言っているようにしか思えません。 そのように解釈されても仕方ないと思いました。責任をとりたくないのではなく、責任がとれないから産まない、子供を持たない、と申し上げているつもりです。 >それでも人の道を踏み外してしまったら、それは私の責任です。 とおっしゃいました。その責任をどうお取りになるのでしょうか。これは、嫌味ではなく、ご教示いただきたい思いで、率直にお尋ねしています。法的な処罰を子供に受けさせる、そのことを親として真摯に受け止める、といったことなのでしょうか。 ミヤザキツトム事件のときに、彼の父親は被害者遺族の方にお金を送り、最後は自殺されました。遺族の方はそんなことされても救われないとおっしゃっていたのが印象的ですが、これが責任を取ることになるのでしょうか。責任が取れないことをするな、と学校では習います。極論を言っても仕方ないのですが、私には、子供の犯罪に対して親が責任をとることは論理的には出来ないと思っているので、したがって、子供は産むべきではない、なのです。 国防の話は思いついたことを筆に任せて書いてしまいまして、恥ずかしい限りです。ご回答者様のご指摘のとおりで、私の論から言えば、軍隊そのものを持つべきではないという結論が正解です。ご不快な思いを抱かせてしまい、大変申し訳ございませんでした。 >罪を犯したから愛さないのなら、それは他人やせいぜい >知り合いに対する感情と何ら変わるものではありません。 私の同級生に、彼の子供が万引きをしたことをきっかけに、離婚して親権を放棄というか剥奪された者がいます。犯罪を犯す奴に愛情なんて沸くはずがないといって、子供を殺し彼も自殺しようとしたのを彼の妻が止めに入り、離婚となりました。 私はこのことを知って以来、子供が罪を犯したときに、それでもその子を愛せるか、ということは大きなテーマとなりました。世の中にはそういう奴もいるということです。ただそれが身近であるか否かということではないでしょうか。 最後に、サイト上では回答者様が年上の方であるかどうかの判断がつかず、失礼な言い回しがありましたことを重ねましてお詫び申し上げます。年下の方であろうとも、お忙しいところでわざわざ時間を割いて私の稚拙な問いにお付き合いいただいたことに対して、攻撃的な言葉で返すなど言語道断であります。誠に申し訳ありませんでした。何卒、ご容赦願います。こんな私に再度ご返信をいただきましたことに、深く御礼申し上げます。もし、お許しいただけるならば、最後にもう一度、ご返信にてアドバイスをいただければ幸いでございます。よろしくお願いいたします。