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人生これでいいのかいつも不安です
- 人生これでいいのかいつも不安です。会社で暇な時、何もしないのも意味がないので自分で仕事を見つけたり、必要な(必要と思っている)資格の勉強をしています。しかし、他の会社に行っていたらもっと忙しかったかも知れず現場でもがけていたのに社内失業みたいな形で中途半端な状況にいるととたんに不安になります。
- いつもどの組織に行っても自分は必要とされないのではないかと思ってしまいます。直属の上司とは折り合いが悪いですが、さらに上の人たちとは人間関係は良好です。最近は夜も眠れません。体は疲れているのに頭は冴えていていつも眠れません。
- 周りは明るく楽しそうに仕事をしているのに自分はいつもその流れについていけず、自分のやっていることに疑問や不安を感じてしまいます。自分のやっていることが、2,3年後の自分に役に立っているのか、本当にこれで何とかクビにならずに生きていけるのか、人に必要とされるのか疑問に思います。アドバイス頂ければ幸いです。
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お礼コメントありがとうございます。 僕はむかしある販売の仕事をしていたのですが、ストレスで脱毛症になってしまいました。バブル崩壊の真っただ中、『売上をあげろ』、『値引きはするな』、『ノルマを達成しろ』と言われ続け、同僚とは客の取り合いとなり、社内の雰囲気は殺伐としていました。結局、倒産しましたが精神的には相当にキツかったです。だから、貴方には不安というストレスから少しでも解放されて、穏やかな生活を送ってほしいのです。 不安と欲求は裏腹の関係にある、というのは述べましたね。同じように、期待と失望(裏切られた感)も裏腹の関係にあるのです。 他人に対して、期待をしてはいけません。そう言うと、何だか冷たいことのように思われそうですが、そうではありません。上司や同僚を信頼し、尊敬し、感謝するのはよいのですが、期待をするのはよくありません。他人に期待するとは、「自分に何らかの利益をもたらしてくれることを当然のように要求する」ことです。上司(親友)なら、同僚(恋人)なら、こうしてくれて当然である。――そういう考え方が、結局は自分を苦しめます。幸せを感じている人は、まわりのすべての人から理解されているわけではありません。「他人は自分を理解してくれなくて当然、してくれた人には心から感謝しなければならない」と考えているだけです。不幸な人とは、「他人は自分を理解してくれて当然、してくれない人には怒りを感じる」と考えている人です。「当然」か「不幸」かしかないのですから、いつまでたっても幸せになれるはずがありません。 よく「感謝の気持ちを持とう!」という標語を見かけますが、僕は努力して「感謝の気持ちを持つ」ことは出来ないと考えます。気を付けるとするなら、「他人に期待しないようにしよう」です。 他人を見くびってはいけません。もしも、あなたが不満げな表情を浮かべれば、もしも返答がワンテンポでも遅れれば、言葉に出していなくてもノンバーバル・コミュニケーションで伝わるのです。そして、『あ~ぁ、俺があんなに配慮してやったことを忘れて、不満げな顔をしてやがる。感謝の気持ちが足りない。』と取られるのです。 「感謝の気持ち」とは、「自分は恵まれている(ラッキーだ)」という実感と、それが他者(他人・自然・運命・神etc.)によってもたらされた、という認識で成り立っています。幸福感のすぐ隣にあります。 人生に期待してはいけません・・・そう言うとなんだかニヒルですが・・・ 釈迦は『人生に意味はない』と言い切ります。これは、「人生に意味はない」と思っておいた方が身のためだ、ということだろうと思います。また「一切皆無」とは、人生はすべてにおいて思い通りにならない、という意味です。アルボムッレ スマナサーラは世の中の人々はあべこべ感覚で生きているのだ、と解説します。仏教で言う顛倒(てんどう)のことを説明しているのだと思います。不安と欲求、期待と失望、不期待と感謝、あべこべ感覚のいい例ではないでしょうか。 自由と責任も裏腹な関係にあります。「失敗する自由」「落ちぶれる自由」「人に嫌われる自由」「(恋人と)別れる自由」、こういうのをふつう“自由”とは呼ばないのですが、あえて自由と捉えてほしいのです。今の貴方は片方の選択肢が塞がれた状態で、不自由感・閉塞感を持っているのです。そして、『自分で選んだ!』(自分の意志と判断で選択した)という感覚が希薄なのです。自分で選んだという自覚があれば、『あの時の選択は誤りだった』と反省することも可能ですし、『自分で選んだのだから我慢しよう』と積極的な我慢も出来ます。しかし、その自覚がなければ閉塞感を持つことになります。会社を辞めるか辞めないか(嫌な仕事でも、自分が生活の糧を得るために選んだのだと思えるかどうか)、上司に反論するかどうか…自分の意志と判断で選んだという自覚が欠如してはいないでしょうか。そりゃぁ何だって思い通りにできません。制約がありますわな。その制約の中で、責任を負う覚悟で選んだかどうかです。失敗する自由もあるのですから、自信を持っていきましょう。
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- pct10968
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じじいです。 極論を先に言えば、自分を信じてあげることです。 たとえどんな状況になった所で、何とか出来る自分であれば問題ない訳です。 >本当にこれで何とかクビにならずに生きていけるのか、人に必要とされるのか疑問に思います。 私は、何度か職も替えたしリストラも経験しました。 全く違った業種への転換でも10年も続けば、その道の達人になってしまうものです。 クビになったらなった時に考えれば良い事で、今は今の仕事を着実に行えば良いだけのことです。 >資格の勉強をしています。 資格は必要です。 私も資格が有ったから、採用されたのです。 >30代前半男性です。 30代前半男性ならこれから経験を積んで行くにも、遅いことはありません。 >人生何時もこれでいいのか不安です。 収入がどうかより、自分で如何に仕事が楽しめるかです。 仕事を続けるも、仕事を替えるのも、自分が仕事に楽しさを見つけられるかどうかです。 辛いだけの収入を得るだけの仕事では、続かないものです。 強迫性障害の方かなとも思いましたが、違うような気もします。
お礼
回答ありがとうございます。自分を信じる、難しいです。 いつも失敗ばかりだし、どの職場にもなじんでいない感じがします。 資格の勉強はしていますがつらいだけです。人生上手くいかないなといつも思います。 学ぶのが楽しい、働くのが楽しいからこそ皆難しいことにチャレンジしているのだと思うのですが 自分にはどうしてもそう思えず。 苦手なことをやめて得意なことだけやっていればつらいことはないのかもしれませんが、 自分が得意なことなんて中途半端でとても採用されるようなレベルの資格はありません。 なんでいつも自分は人に嫌われて、何もかも中途半端なんだろうと思います。変えたいと思っているのですがどうも上手くいきません。 回答ありがとうございました。
- dondoko4
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その前に、結婚だな。
お礼
結婚の前に生活力をなんとかつけないと。回答ありがとうございます。
- HeyXey
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僕だって、いつも虎視眈々と狙ってます。諦めたわけではないけれど、焦っても仕方ないのです。人の一生なんて、ちっぽけなものです。充実している人でも、歴史に名が残るわけでもなし、地球に巨大隕石が落ちれば一瞬で終わりです。そもそも、どうせ死にますから、目くそ鼻くそです。 人に認められたい、充実したい、自分の人生には意味があってほしい…言い方が違うだけで、“衝動”としてはいっしょです。衝動自体が悪者なのではないです。「IPS細胞を研究して人の役に立ちたい」というのでも、衝動としては一緒です。ただ、他人からも「それは素晴らしいことだ!」と称賛されるか、されないかの違いです。 お金はもらえるけれどやりがいがない仕事、お金は少ないけれどやりがいがある仕事、どちらもない仕事、どちらもある仕事…ジョハリの窓みたいな分け方、考えなくもありません。 結局のところ、幸せってなんだと思いますか?。前提は生きていること、ですけどね。 神経症の森田療法での話です。 森田先生は、自宅を開放して神経症で悩む方々の入院療法を実施されていたのですが、そこでは朝、洗面で使用した水は捨てずに雑巾がけに使い、また、雑木がけに使った水は捨てずに庭に散水しました。また、紙くずや木などのゴミは捨てずに、風呂を沸かす時に燃やして使い、近くの野菜市場で出る野菜のくずをもらいに行き、飼っていた小動物のえさにしたということです。このように、その物のもつ価値を最大限発揮するように努力することを、「物の性を尽くす」と言います。また、物だけではなく、人のもつ労力や頭の働きについても、いつも最大限有効に発揮するように努力していけば、神経症に悩んでいるヒマはなくなります。 次に、「努力即幸福」という言葉を紹介します。「努力即幸福」という言葉を聞くと、「努力していけば、いずれきっと幸福になれる」という意味だと予想される方が多いと思いますが、森田療法では、「努力する姿そのものが幸福である」という意味です。この言葉には、「人生の目的は幸福である。」、「幸福とは、本性の発揮、個体の機能発揮である」という森田正馬先生のもつ人間観が含まれています。前段、「物の性を尽くす」という言葉を取り上げましたが、一人ひとりの持って生まれた価値を、最大限に発揮していくことが、すなわち幸福なのです。 そういう意味では、創意工夫する対象があること、が大事だと思います。右脳と左脳を両方使うことなら何でも趣味に成り得ます。俳句でも、フラワー・アレンジメントでも、英語学習でもです。 恐怖には対象物がありますので、それさえ去ればなくなりますが、不安は未来形であり、今ここにない想像です。想像ですから、どんなバケモノにも なってしまう訳です。じゃあ何故、このような厄介なものが、人間に備わっているのか…。それは、不安が自分の『死生』(生き死に)に深く関わっているということです。 病気に対して、不安を抱くから、健康に注意がはらえる。事故の多発地帯で、自分自身も危ないと不安だから、運転にも一層慎重になれる。すなわち不安は、僕たちが生きる為の様々な情報を伝えてくれる、ありがたい不快(警報機)なのです。 そして、不安には法則があって、欲求が大きいほど、起こる不安も比例して大きくなります。例えば、明日のバーゲンで目当ての品物が買えるだろうか・・・という不安、来月に迫った受験に、ちゃんと合格出来るだろうか・・・これも不安です。さて、どちらの不安の方が大きいですか?勿論、受験ですよね。 バーゲンで狙った品物が買えないよりも、受験に失敗してしまったほうが、痛手は大きいですから。 人間は、生きたい欲求が満たされると『さらに良い人生を』という、「もっと、もっと」の高い欲求を持つようになります。いわゆる、向上欲ですね。しかし、望むものが高度になれば、なるほど、それを手に入れるには、それなりの困難が待ち受けており、したがって人間は、それに比例した大きさの不安を持つことになります。 不安のレベルを下げたければ、欲求のレベルを下げなければならないのです。
お礼
回答ありがとうございます。欲求が高いから不安も大きい。今気づきました。 要求を下げることができるでしょうか。ただ生活していければいいのですが、いつもクビにならないかと不安です。 目くそ鼻くそ、そうだと気づきました。人より優位にたってなんとかクビをのがれたい、などと考えていましたが、自分の能力なんて高が知れていますし。 目が覚めました。ありがとうございました。
- higetree73
- ベストアンサー率38% (7/18)
40歳男性、自営業をしています。自分と似た性格の人だなあと思って、回答しようと思いました。 漠然とした不安、夜寝れない、自分は必要とされていない、など、つい最近まで、そういったことが原因で、心療内科にお世話になっていました。こういったメンタル的な問題は、気持ちを切り替えることが大切だと教わりました。最もいいのは、運動らしいので、毎日ウォーキングを心がけています。確かに、気分が落ち込んでいるときは、ほとんど運動していませんでした。 最近、やや回復方向にいる気がするのです。「人生、浮き沈みがあるよ。」っていう周りの励ましも、ようやく理解できました。それで、今何をするべきかを考えて、それを熱心に努めること。それをしようと決意しました。なので、この回答にも熱心に努めています。 あと、思い込みは本当にダメだと実感しました。自分が思っているほど、人は悪く思ってないと。まあ、例外もありますが、そのときは、「ああ、あれは例外だなあ。」って割り切ったら、楽になれたりしました。 参考になれば、幸いです。
お礼
回答ありがとうございます。思い込みなのか事実なのかよく分からなくなっています。 悪く思っている人を例外だと思う、そうしたいと思います。 確かに、会社以外のところでは人間関係は良好です。なので人間的に欠陥があるとは思いたくないのですが、会社で必要とされていないと感じると、一番大事な生活力がないということなのかと思ってしまいます。 ありがとうございました。
- neo-pp
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真面目な方なんですね。 あなたはその会社に採用された時点で必要とされる人材です。 いっそのこと現状に不安があるなら 起業されてみてはいかがですか。 あなたが望むべき状況をあなた自身で作るのです。 それこそ暇など一切なく大変かとは思いますが充実はしますよ。
お礼
回答ありがとうございます。大学の先輩にも同じようなことを言われました。 しかし、今まで失敗続きで、会社員という相対的に安定した組織にいてすら不安で つらいのに、企業などする度胸がないのです。心の弱さを何とかしたいです。
お礼
たびたびの回答ありがとうございます。 自信を持つこと、今の自分には難しいですが、頑張りたいと思います。