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寂しくて仕方がない、どうすれば寂しさはなくなるでしょうか?
- バイトの飲み会や遊びの後、家に帰った瞬間に急に寂しくなります。家族はいるのになぜ寂しくなるのか、この気持ちになるのが辛いです。依存心や喪失感のような感じで、自分がまだまだ子どもなのかとも思います。どうしたら寂しさをなくすことができるでしょうか?
- バイトの人達との飲み会や先輩達との交流があった後に帰ると、急に寂しくなります。家族はいるのになぜ寂しくなるのか、この気持ちに悩まされています。依存心や喪失感のような感じで、私がまだまだ子どもなのかとも感じます。どのようにすれば寂しさを解消できるのでしょうか?
- バイトの人達との楽しい飲み会や遊びの後、家に帰ると急に寂しくなります。家族はいるのになぜ寂しく感じるのか、この気持ちになるのが辛くて不安です。依存心や喪失感のような感じで、まだまだ子どもなのかと自問自答しています。どうすれば寂しさを乗り越えることができるのでしょうか?
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恐れることではなく、大変素晴らしい感覚です。 大人に成ろうとしているのです。 その寂しさは「儚い」といいます。 大切なものがいずれは消えていくことを予感し、それを哀しく思う気持ちです。 自分ではない誰かや何かに、自分しか分からない大切なものを貰った時、 感謝のやり場もなく気持ちを持て余してしまう、そして何故だか哀しくなるのです。 こうしたシンミリとした気分が分かってきたら、 自ら作り出し、人に与える側に回らないといけません。 素晴らしいものが例え儚くあっても、 何度でも作り直し、生みなおして存続させ、時の非情さに死ぬまで抵抗する。 これが人のもっとも美しくて儚い本来の在り方だと思います。 幼少から子供時代は、これを実践するための仕込みの期間です。 知りえたことが多い人ほど、むちゃくちゃ抵抗します。 儚さに対して情熱で抵抗する。 何も悪いことをしていないのに、大事なものが取り上げられる。 これは誰もが同じです。 しかし、その犯人を人間だと思って、そばにいる人に八つ当たりをする人と、 時の非情さだと気がついて、これに抵抗する道を選ぶ人にわかれます。 先輩がいなくなるならば、自分が先輩になる。 二度と後輩の楽しみを味わえなくとも、 これ自体が無くなる事だけには全力で抗って見せる。 こうした無駄な抵抗をする人を、私たちは好きだと思うのです。 そして考えてみてください。 もしかすると、先輩たちも同じ信念かも知れませんね。 私たちはこの想いで世代を超えて繋がっています。 そして、助言です。 今時分が貴重な体験をし、儚い何かを見ていると知ったら、 寂しい苦しさから逃げてはいけません。 良く見て、誰かに伝えよう。せめて伝えることで、無にせず抵抗しようと決めるのです。 幸福な時間があったら、それにあわせて儚さも感じるものです。 そのときは、伝えると決めて”今”に集中すると、更に大きな喜びを感じますよ。 これを大望と言うのでしょう。 今後も、何か儚いと思うものがあったら、そう感じさせた相手や物事に対して、 「素晴らしい、そして誇らしい」 と心から認めて誉めましょう。 そうすることで、切ない気持ちが喜びに変わります。 以上、ご参考になれば。
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- Glory_777
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No.1のものです。 誤解のある表現を使いました。すみません。 「伝える」は、それを知らない別の人(特に知り合いじゃなかったり無関係の人) に「伝える」です。 感謝はもちろんですが、「こんな人がおり、こんな事があった」と伝えるのです。 今まさにあなたが本能的にやっていることですよ。 どうですか? 寂しい気持ちから、先輩を誇らしいと言う気持ちに変わっていきませんか? 別れを嫌がる人は、別れの苦しさとどう向き合うか知らないからです。 見ず知らずの人に伝える。 「こんな人がおり、こんな事があった」 そして、出来るだけ詳しく伝えるぞと決めて、見逃さず、聞き逃さず、 と集中するのです。 そうしようと決めて集中した時、 自然と覚悟が備わり、そのときの全てが美しく、誇らしく感じる。 しかも、それらが一生の思い出として、自分の中に残ります。 あるとき何かを素晴らしいと思ったとします。 しかし、その良さはいずれなくなるでしょう。 素晴らしい人は変わってしまうかもしれませんし。 ですが、儚いと感じたとき、伝えると決めて集中して見聞きしたことは、 例え後に現実が変わったとしても、「真実」として美しく残ります。 このとき不思議なのは、 記憶の中にある人物が、今現在そこにいて別人のようになってしまっても、 哀しくなりません。 現実とは違う過去と言う虚構であっても、 「本人なんか関係ない。自分が素晴らしい感じたのだから、そちらが真実だ。」 と思ってしまうのです。 人間には現実を無視して、何かを決め付けるときがあります。 これはある種の能力でしょう。 そしてその能力は、このためにあると思います。 人には悪しきものとして扱われる性質がいくつもあります。 しかし、本来は美しい目的に使うのかもしれませんね。 ただそれを知らないので、間違って使ってしまい、悪い能力だと勘違いするのかもしれない。 正しくそれを使った時、自分を誇らしいと感じ、胸が熱くなります。 以上、ご参考になれば。
お礼
遅くなってしまい、すみません。 再び回答していただき、ありがとうございます。 どんどん別の人に伝えていくことですね 私もこれからは、先輩という位置に変わっていかなければいけないときがきますよね。先輩を見習って頑張ります。 やっぱり先輩には感謝しています。 少し寂しい気持ちは減ったような気がします 私が人から教わって素晴らしいと思ったこと、色んな人に伝えられるように頑張ります! 本当にありがとうございました。
群れる人のほうが孤独を感じるってほんとうなんですね。 群れと孤独のギャップですね。 なくすなら、ひとりでいる時間を増やすことです。 ひとり時間をたのしむこと。
お礼
回答ありがとうございます。 そういう言葉があるのですか 独りの人は独りの寂しさを知らないんですよね 周りに大事な人たちが出来て初めて気づくものなんだなと思いました。 私がこんなふうに思うなんてと思いました。 ひとりの時間も充実させるようにしたいと思います!
お礼
回答、ありがとうございます。 読んでいて、そっか と思いました。 涙が溢れて止まりません。 「儚い」ってこういうことなんですね おっしゃってる通りなんです 私はこのバイトの先輩方から人との付き合い方とかを教えてもらったような気がしてます。 自然と教わったというか 私は今までは1人が好きでした 楽だし、人と話してもどこか気を遣うから疲れるし、学校の外で遊ぶとかも面倒くさくて1人の方が落ち着きました。 バイトに入ってからそれが一変して 初めて1人が寂しいと感じるようになりました もっと人と話したいと思うようになりました。 皆といるのが楽しくてしょうがなかったです そしてそういう場にいつも誘ってくれる先輩がいます。 そこで皆と話してる、話を聞いてるだけで楽しかったです いつも帰ってから思うのはその先輩のことだった気がします。 今日もっとなんか伝えればよかった 楽しいのわかってたかな とか、何かを伝えたいのに、どういえばいいかわからない っていうのは、感謝だったんですよね でも、どうやって伝えたらいいかわかりません どのように伝えるのが正解なのでしょうか。 私はまだまだ勉強不足なのか、「伝える」 といったらストレートにしか表現できません。