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生きる意味とは
- 生まれつきの障害を抱える私が、生きる意味を問いかけます。
- 自己暗示から虚無感へ。他の人と比べて自分の価値を見出せなくなりました。
- 努力や心の支えがなくなり、迷いと堕落感に苦しむ私の現状。変わりたいと思っています。
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質問者が選んだベストアンサー
40過ぎの会社員です。 「生きる意味」「生きる理由」というのは自分で見出すものです。 と言うよりも、それを見つけることが生きているということだと思います。 考えてもみてください。 人間は必ず死ぬのです。 しかも、ごく稀な例外を除いては100年も生きないし、何かをするほどの力があるのは、10歳から70歳くらいまででしょ。 おまけに、「何かをする」って言ったところで、人間にできることなんて限られています。 他の人と比べてなんて、所詮はドングリの背比べに過ぎません。 質問者さまは、どんな人間が立派だと思いますか? どんな行動を取る人を素敵だな、良い人だなと思いますか? そういった価値観を自分で決めないと、他人の価値観に振り回されていたのでは、何かのきっかけでまたくずれますよ。
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- hucha
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貴方の迷いは何ですか?親からの愛が欲しいですか?私も口の奇形の病気、口唇口蓋裂でした。自分の病気を受け入れるのは私はマイペースでした。むしろ、自分の病気を受け入れるのが難しいですね。私たちの親は奇形の子どもでも愛があります。自分を否定してはいけません。自分を受け入れるのです。心の迷いは誰でもあります。 あまり胡散臭い宗教の歴史や教えを説くつもりはありませんが、仏教開祖のゴーダマシッダールダは自分が身分のいい王子だったが、死ぬのが怖くて出家しました。後々仏教を開いた方です。その間に挫折としてただ苦行をして何の悟りも得なかったことがあります。 貴方は差別と言う経験があります。自分の迷いがあるなら、自分を見つめ直すことがいいでしょう。
お礼
ありがとう。自分を見つめ直します。!
- 05051036
- ベストアンサー率22% (114/508)
出かける前にこのサイトをちょっと覗いてみたら…。 >私は生まれつきの障害があります。片耳が奇形で聞こえない。 私もです。 以下、走り書きですが何か力になれるかも。 >私は自分より不幸な人がいくらでもいると思うと 我々に限らず、軽度な困りごと抱える人がよく言われることですね。 我々の場合は両耳聞こえない全聾の方がよく引き合いに出されますが、その人らは就職の際に障害者枠で応募できます。 それに対し我々、あくまでも個人的な事情の一つとして向き合うことになります。 事故のリスクはある一方で障害者雇用ノルマの達成には繋がらないため採用断られたことが何度かあります。 手帳があるなら正社員として採用したかったと惜しまれたものです。 全聾の人らほど高いハードルではありませんが、あの人たちには用意される踏み台が我々には皆無です。 不幸の方向性が違うので、より不幸な人がと考えても仕方ないでしょう。 それに両耳が当たり前に聞こえる人たちの中でやっていくのは結構しんどいことが多々あります。 >私は小学生の頃自然と自分は他の人より優れているという自己暗示をかけて、生きていました。 私はそういう慢心をして生きてきましたw >親に暴言を言いまくり、今こうなっている理由は親がクズ野郎だからと自分以外の外部要因に責任転嫁していて、それで更に嫌気がさしました。 私もやっちゃいました。 でも、そこで自分に嫌気がさすならまだ救いはありますよ。 責任転嫁して正当化に明け暮れる人の多いこと多いこと。 >人生は「努力した者が勝つ」と分かっていても これはちょっと違うんだなー。 正解のやり方を見つけたものが勝つんです。 本人がどんなにつらいことをがんばっていたって、間違ったやり方では意味が無い、それだけです。 水がほしいからといって雨乞いの儀式に明け暮れるシャーマンを努力家とは言わないでしょう。 でも、雨が降らないのは自分の祈りが足らないからだと自分に言い聞かせて儀式を続けて…雨が降るまでその儀式を続けることができた部族は、雨乞いの祈りが通じて雨が降ったと言う伝承を残すでしょう。 でも、早いうちに見切りをつけて井戸を掘るなり水のある土地に移った部族は、当然ながら雨乞いを否定するでしょう。 言うまでもないことですが、見きりをつけず儀式を続け、雨が降るまで持たなかった部族は伝承など残せません。 あなたは努力家でしょうか? それともシャーマンでしょうか? >小学生の頃のような、純粋無垢な心は消えてなくなりました。 これは成長といいます。 >友達に気持ち悪いと言われ虐められても、立ち向かっていた昔の自分が、懐かしいです。 小学校の頃ならいざ知らず、色々しがらみができたらこんな無鉄砲なやり方ばかりではやっていけません。 とまあ突っ込むところに突っ込み持論を語らせてもらいましたが、さてどうするかなんですが…。 ウチラにできないことなんてそうそうない。 失聴側が死角になることと音の方向がわからないことぐらいなんで、そこに気をつけてりゃたいがいのことはなんとかなります。 警察官や自衛官のような危機管理の現場の仕事は致命的だし製造業でも扱うものがデカかったりすると求められる安全性が跳ね上がるからアウトなんですが、それ以外ならまだまだ本人の努力や資質でなんとかなるものがほとんどです。 2chの育児板にこういうスレがあります。 【埋没・立ち耳】耳の変形について【小耳症】 http://toro.2ch.net/test/read.cgi/baby/1289331139/l50 育児板ということで、そういう事情を持った子を持つ親御さんが主体ですが当事者も時折語ってますので参考になるかと。 あれこれネガティブなこと考えてないで、天気のよいときに散歩にいくだけでもよいきっかけには出会えるかもしれません。
補足
ありがとう。 05051036さんの言いたいことは、分かっていたこともあり、何か馬鹿にされてるようにも感じました。 私の親、まともじゃないんですよね。そんな事分かっているんです。ただ片耳が聞こえない、たったそれだけのことです。しかし私には支えてくれる人がいないんです。 相談出来る人がいないんです。親は、家事も育児も殆ど放棄、父は家でゲームに没頭し知らんぷり、祖母が援助してもらって、生活できているんです。祖母がいなかったら家差し押さえになっているところです。今、当たり前のように生活できているのが、不思議な程です。恥ずかしいので言いにくいのですが、電気やガス止められて、ロウソクで生活してた頃もありました。もう気が狂いそうになるんですよ。わかりますか?この気持ち。出来ることは自分でやれと言い、頼まないと何かしてくれません。てか親いない方が良かったと思えるぐらい、ストレスで体に異常がきているんです。何故私の親は離婚しないのか不思議で、家族でも自分以外は他人みたいな考えで接してきます。もう何もかもが嫌になってしょうがないんですよ。( ; ; )父とは一緒に暮らしているのに1年に一回会話を交わすか交わさないかです。だから私は一人で悶々としているんです。 長文ごめんなさい。ただの愚痴を長々と言ってしまいました。 そんなんだから、自分は変われないんだよな。くそがー。!
- t-aka
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小生の経験談から。何か参考になれば・・・。 当方も片方の耳は聞こえません。生まれつきかどうかは定かではありませんが 少なくとも物心ついたころから、聞こえていたという記憶はありません。 小学校の頃、聴力検査が嫌だったことも覚えています。当時は5人ぐらいがまとめて検査していましたから。 その後、どうしたか。何もしませんでした。理由はそのほうが楽になるから。 ただ単純に、「聞くことができない」という事実を受け入れただけです。 できないものはできない、それは自分自身の特徴だから。 誰を恨んでも仕方ない。親もそういうつもりで生んだわけではないのだから。 親を責めるつもりも毛頭ありません。 片方は聞こえなくても、もう片方は聞こえる。会話できる。電話もできる。音楽も聴ける(モノラルですが)。 日常生活、ほとんど困りません(長電話はさすがに疲れますが・・・) 「努力した者が勝つ」 質問者様は、あるがままの自分自身を受け入れるような努力をしましたか。 負の部分を打ち消すように、正の部分を伸ばすのも大切です。 しかし、一方で負の部分とはいえ、それも自分自身なのです。 あるべき自分と現実の自分とのギャップにひどく苦しんでいるように感じました。 「本当はこうありたいのに、なんで自分はこうなんだ」って。 その感情が自分自身を押しつぶしているのでしょう。 大きな意味で、私たちは人というレールの上を歩んでいます。 そのレールは、ほかの誰にもない、自分だけの専用のレールです。 遠くを見つめてください。その先は未来に向かってずーっと続いています。 足元ばかり見入っていると、めまいがしてくるでしょう。
お礼
ありがとう。読んでいる途中で涙が出てきました。 とても心が楽になりました。本当にありがとう。 前を向いて歩こうと頑張ってみます。!
お礼
ありがとう。改めて自分の性根を叩き直さないと駄目だと痛感しました。 どういう人間になりたいか、考えていなかったです。 今考えると、人に迷惑をかけない、最低限の常識を持っている人間が立派だと思います。もうわけ分からないんです。一体いい人って何なのだろう。 これから、考えます。!^ ^