• 締切済み

真に分かり合える友

たとえば、極論すると、イケメンはブサメンの気持ちが分かりません。 逆も然り。同様の経験をしてない、しにくいからです。 こんな感じで、結局境遇の似てない者同士は、なかなかに分かり合えないものだと思います。 浅い人付き合いでいいなら、友達は何人もできます。いろんな人と上手に関われます。 でも、深い付き合いをしようと思うと、友達はごく少数となります。 僕は昔、深い付き合いができる友達が全くいませんでした。 なぜなら僕が仮面を被っていたからです。 数年後、素の自分で生きようと決意し、一部に嫌われてもいいとすら思いました。 その結果、深い友達ができました。本当に大切にしています。 しかし、浅い友達を作らなくなりました。むしろ、作れなくなったかもしれません。 その主因は、浅い友達を作る必要性を感じないからだと思います。 今は学生で、狭い社会でも生きていけます。 必要性を感じない故に、浅い友達を作ったところで、不本意ながら作ってしまったという、自己否定感が若干出てしまうのと、 関係の維持がただ面倒なだけに思えてしまいます。 この感覚は社会に出たら変化するでしょうか。 年上の皆様の体験談をお聞きしたいです。 よろしくお願いします。

みんなの回答

  • qwe2010
  • ベストアンサー率19% (2217/11178)
回答No.4

社会に出れば、それぞれの仕事も違いますし、結婚して家庭を大事にするようになります。 仕事が違えば、話が合わなくなります。 結婚して、友達と遊んでいると、家庭内が不和になります。 女性の場合、結婚して子供ができれば、共通の話題があります。 しかし生活に追われ、次第に友達と接することが少なくなります。 男性は、話が合わなくなり、付き合うことが少なくなります。

kustudy
質問者

お礼

>結婚して、友達と遊んでいると、家庭内が不和になります。 両立できないものなのでしょうか。遊ぶというか、たまには話したいです。 >仕事が違えば、話が合わなくなります。 仕事の話が合わなくても、近況を話し合うのは楽しい(場合によっては辛いけど)と思います。 社会に出たら共感できるのでしょうか・・・ ご回答ありがとうございました。

noname#202739
noname#202739
回答No.3

深い友だちだけでいいじゃないですか。 まるで「作れない=悪い」みたいですね。

kustudy
質問者

お礼

深い友達だけでいいのかな、と思いまして 浅い友達もそれはそれでメリットがあるのかな、と 作れない=別に良い なら全然そうするのですが(笑)

  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9771)
回答No.2

「貧の友は真の友」なんて言いますよね?。 なので、あなたが言っていることはわかりますが…友情でも愛情でもそうなのですが「情け」というものは「川の流れ」のようなもので、いつまでも一定じゃないんです。 どこかで速くもなれば遅くもなる。 同じ早さでずっとシンクロできるというものじゃありません。 だからこそ「上辺の付き合い」というものは意味があるのです。 浅い付き合いなら、いきなり流れが変わっても、それで大きくバランスを崩されることはなくなります。 深く内省し、同調しあっている仲は、どちらかが変化したくても出来なかったり、変化していこうとするときに破滅的な結末をもたらすことが多いのです。 あなたは「仮面を脱いだ」結果として、自分の曝け出す場所を大きくしたわけですよね。 それはつまり「真っ裸」になった、という意味でもあります。 他人から見てそれはわかりやすいけど、友だちになろうとする「以外の」人から見るなら、それは生理的に受け入れられないということに繋がります。 それで、深い友達は確かに出来たけど、その他の「多くの人」とコンタクトするチャンスも失ったというわけです。 必要性を感じていない、ということは、大変に恐いことです。 それを自覚していただかないと、社会に出たとき、その「しっぺ返し」は大変に大きなものとなってきますよ?。 私の経験で言いますと「本当にためになったこと、生きる指針として確かなこと」というもののほとんどは、私の直接の友人ではない、会社の同僚とか、間接的な知り合いとか、そういった人からもたらされてきました。 しかもそれは、殆どの場合「痛みを伴う言葉」でした。 痛みを持ちつつも、自分のための糧となる言葉でしたね。 優しい人は、優しい言葉しかくれないんですよ。 生きるために本当に必要なのは、優しい言葉じゃなく「厳しい言葉」です。 厳然たる事実であり、ごまかせない事実です。 だから、優しく接する人、互いにとって暖かな人というのは「特別なんだ」と思ってくださいね。 生きるための糧になるのは、優しさじゃないんです。 大変な思いをするために、生き抜いていくために必要なのは「厳しい事実」です。 面倒だ、とかの話じゃないんです。 口に苦いものを食べたなら、吐き出さないで下さい。 噛んで噛んで噛んで…甘みが出るまで噛み砕くんです。 それが「生きる糧」というものです。

kustudy
質問者

お礼

僕はむしろ逆だと思います。 深い友達であるほど何でも言い合うことができます。 浅い友達こそ優しい言葉しか言い合えません。それこそ仮面を被っている状態です。 苦いならマシです。無味乾燥としています。 というわけで >深く内省し、同調しあっている仲は、どちらかが変化したくても出来なかったり、変化していこうとするときに破滅的な結末をもたらすことが多いのです。 これは半分共感できませんでした。 でも半分共感できます。しかし、重大な変化をしたところで「破滅」とは違う結末を迎えるとは思いますが。 >私の経験で言いますと「本当にためになったこと、生きる指針として確かなこと」というもののほとんどは、私の直接の友人ではない、会社の同僚とか、間接的な知り合いとか、そういった人からもたらされてきました。 しかもそれは、殆どの場合「痛みを伴う言葉」でした。 痛みを持ちつつも、自分のための糧となる言葉でしたね。 これはまさに、社会に出たときの必要性ですね。 素の自分を教訓を上手くハイブリッドしていきたいものです。素の自分を破壊してしまうのが怖いですが。 ご回答ありがとうございました。

  • atelier21
  • ベストアンサー率12% (423/3293)
回答No.1

昔は 戦友など聞いたものですが 今は社友かな 同期とか 仕事場が一緒だったり 赴任地が共通だったり ジョブが一緒メンバーで 苦労を共にすると 戦友とはこんなものかなとも さて 深いか浅いか 相手が相思であるか 思い込みかもある 必然性から生じ 過去の境遇や学歴或は年齢代も違うが親友もあり 必要だから作ると云うのは 心よりは先に 必要理由の方に重きが於かれる様に聞ける フリーを長く遣っていると 過っての社友も勤務時代の共通時界に於いては通づるが  その後は土俵が違う 多種職又他年代にしても 共通項があれば かなり深い付き合いはある しかし 深さは中々 測れる物でもなし 心おきなく時間を共有できるのが安心な友だな

kustudy
質問者

お礼

>必然性から生じ 過去の境遇や学歴或は年齢代も違うが親友もあり 夢のある言葉です。是非そのような親友もほしいです。 >必要だから作ると云うのは 心よりは先に 必要理由の方に重きが於かれる様に聞ける これが自己否定感の原因です。 >しかし 深さは中々 測れる物でもなし 心おきなく時間を共有できるのが安心な友だな 深い友達はこのような関係です。 人間関係の形の大まかな概要が整理できて良かったです。 ご回答ありがとうございました。

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