辛いですよね。私もずっと生きづらさを感じてきました。
自分が無意識にした投稿かと思ってしまいました。
同年代で3人の子がいます。
私もいろいろあって親兄弟との関係を見つめなおしました。
『自分で自分を認めてあげる』ことができない原因と理由となった出来事を思い返しながら、感情的にならず親の目線や第3者の目線で見直してみました。怒りや嫌な気持ちは「自分がそう感じちゃっただけかも」と思うこともたくさんありましたし、明らかに親が悪いことは私には何の責任のないんだし、親も未熟な一人の人間だったのだと。そんな風に考えられるようになってきました。
nonoさんとお母様の関係はよくわかりませんが、私達も結構長く生きてきましたし (^-^;
もう心の中で親と自分を切り離しちゃって良いですよね。自由になりましょう。
勝手に頑張って勝手に不機嫌になって、私はその上高圧的でモラハラタイプでした。
自分の頑張りに応えてくれない相手に腹を立て、自分の中の「ねばならぬ」「こうあるべき」という期待(理想)と価値観を家族にも強要し、特に長男に厳しく当たり関係はこじれてしまいました。
主人に対しても求めてばかりで関係が悪化していた半年前、主人に「怖い!」「これ以上あなたの期待には応えられない」「もう好きじゃない」と言われました。
青天の霹靂でした。意味が解らなかった。それでも『本気で変わらなければいけない!』と強く自覚しカウンセリングに通い始めた矢先に主人の浮気未遂が発覚しました。
自分を責め主人を責め、それでも関係修復のために本を読んだりネットで調べたり、自分なりにたくさん勉強し、自分と親兄弟との関係に行きつきました。
私の場合、しっかり者の母が障害のある弟を「普通に」に近づけることに必死で、優等生タイプの私は放っておかれがちで愛された実感を持てなかった、という関係でした。
尊敬できる母でしたが、自分にも人にも厳しくリラックスした笑顔はあまり記憶にありません。
そんな母の人生の続きを肩代わりするかのように、私も「ちゃんと」「もっと」と『一生懸命』生きてきました。
それが行き過ぎて歯止めが効かず、長男に心の傷を負わせ主人に浮気され・・・。
だいたい、手作りの食事じゃなきゃいけない、ここまでやらなきゃいけないって、誰のため?
私の場合、家族の健康のためだと信じて疑わなかったその裏には「私はこんなに頑張っているんだ。」『だから私を認めろ、褒めろ、尊敬しろ』もっと言えば、自分で自分を認めてあげられないから『私の代わりに、私を認めて!』という依存心があったとわかりました。だから相手からそれが感じられない(と自分が思い込むと)と不機嫌をアピール(アピールだったと今はわかる)したり言葉で自分の正当性を主張したりして、自分の満足できる言葉や態度を引き出そうとしていたのです。
例えて言うなら、疲れてお茶漬けを食べたいな~と思っている相手に、こってりシチューを出して「手がかかっているのよ。このソース、3日前から仕込んだんだから。」と無理やり食べさせた挙句、「どうしておいしそうに食べないの?私に対する愛情があるならおいしいって言うはずでしょ?おかわりするはずよね?!」みたいな押し付けをしていたんですね。
つまり私のしてきたことは、自分の心を満たすために家族を利用することだったんです。
nonoさんのいう、違う方向への一生懸命さも、もしかしたらこんな感じではありませんか?
でも自分の気持ちは自分で満たしてあげないと。求められる相手は辛いですよね。
半年かけて、やっとここまで理解できるようになりました。
今まで自分でふたをしてきた自分の負の面を認めるのはとても辛く、泣きながら過呼吸になったこともありましたが、自分の本当の感情を知ることでこれからどうしたら良いのか冷静に考えられるようになってきました。
私が自分の感情に振り回されなくなって来て主人との関係は穏やかなものに変化しています。
同じように長男も私という親の呪縛から自由になって欲しい。
私は何十年もどうして良いかわからずに来てしまいましたが、長男には私がカウンセリングに通っていることも話し、彼もカウンセリングの予約をしたところです。
そのようなものに良いイメージがないようですが、本当に何とかしたいと思う今なら何か得るものはあるかもしれませんね。
他人事とは思えず取り留めのない文になってしまいましたが、私とnonoさんが少しでも自分を好きになることで2つの家族が良い方向に行くことを祈っています。
お礼
とても長い回答をありがとうこざいます。まさに私!!と思えるところがたくさんあってびっくりします。 こういうのは、パターンがあるのでしょうか。 夫に対してもすごいですよ。朝から「おはよう」にも返事もしないで、「いつも私ばっかり、私ばっかり、役立たず、自分のしたいことだけして」なんて言ってます。 本当に自分で自分にうんざりです。 「ねばならない」「ちゃんと」「もっと」 まさに私の常套句です。 食事も、そうなんです。 たとえば、お茶漬けでいい、という家族に、 何か悪い気持ちがして、一生懸命つくって 実は有難迷惑だったりするのです。 一生懸命作る私を「みとめろ」 「これだけ家族を思ってやってるんだ、わかれ」 なんだなーーと思いました。 今のままでは、なにより夫との関係は 悪化の一方をたどります。 幸い、夫は気のよい人で、あまり引きずらないんですが (今も、この後ろでテレビをみて笑っています) でも、私になじられてばかりではいやでしょう。 息子も一時はすさまじい荒れをみせました。 とても良い子だったんですが 私がそのように支配していたのです。 長男の荒れによって 私は生き直しをさせられているのかもしれません。 本気でカウンセリングを考えてみます。 娘とは、あれから長男とともに カラオケにいってきました。 ちょっと気分転換になりました。 本当にありがとうございました。