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大阪人

 去年行われた堺市長選挙において、松井さん、橋下さんの演説をyoutubeで聞いたら、驚くほどに「東京」という単語が連発されていました。また、大阪人のブログhttp://gorimon.com/blog/log/eid1824.html#commentsには恐ろしいほどに東京との比較が出てきます。  大阪人ってそんなに東京を意識してるのですか。韓国人が日本人を意識している構造と似てませんか。

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  • bgm38489
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回答No.1

大阪人です。 東京コンプレックスが大阪の人にあることは確かですね。道頓堀人情では、負けたらあかんで東京にと歌っているし。 http://takurou.co-site.jp/natumero/56-64/tonbori.html 根本的なことは、何とか、自分の故郷をアピールしたい。地方の人で、大々的にアピールできるのは、大阪ぐらいのものだ。大阪をアピールするには、対局的な東京を意識せざるを得ない、そういったところでしょう。私個人としても、大阪の魅力を伝えるとしたら、東京とは違って…というしかないですね。 橋下らは、それにのっかって、愚策「大阪都構想」を唱えているに過ぎません。大阪人が東京を意識している、というのとは、切り離してお考えください。 また、韓国人が日本人を意識する構造は、歴史的な経過・領土問題などがあるので、違いますね。大阪と東京にも、関ヶ原などの対立はあったが、民族的な対立とは違いますね。

daisyoya
質問者

お礼

ご返答ありがとうございました。 結論から申しまして、大阪人は東京に大してコンプレックスを抱く必然性はないと思います。確かに昔に比べると、国内的に大阪の地位は比較相対的に考えれば低下したかもしれませんが、それでも大阪は依然として国内においては雄であり、高次のプライオリティーを有しております。  大阪人のコンプレックスとは、ひょっとしたら東京に対してではなく自分自身に対してなのかもしれませんね。

その他の回答 (3)

  • etranger-t
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回答No.4

ANo.2です。お礼文読ませて頂きました。 >このことから、東京と大阪の開きは既に江戸時代から有ったと考えられます。 これは、江戸時代後期の人口のことで、あくまでも経済の中心は大阪でした。事実、明治維新によって首都はほぼ大阪に決まっていて天皇も一時、大阪に入っています。 しかし、首都にしなくても衰退の心配がない大阪よりも、首都にしなければ江戸は完全にさびれてしまうとの理由で、大久保利通の決断で江戸が首都になり、東の京と名付けたのです。 それに伴って、天皇も東京に移りましたが、首都という意味に関しては、大阪人よりも京都人の方が認めていない人が今でも多いですよ。知り合いの京都人も、御所は今でも京都にあって、天皇はあくまでも東京にお出掛けになっているだけと言ってますから。笑 >また、東京が大阪を潰したという話は、ネットではよく聞きますが、私は客観性を欠いた都市伝説であると思っております。 そうでしょうか? 例えばこれ。↓ http://www.eonet.ne.jp/~0035/memo3.htm その証拠に、一部上場企業の発祥は、2位の東京を大きく離して大阪がダントツで1位です。 江戸時代は自由に商売することを奨励していたのかも知れませんが、明治以降、特に昭和以降はそんなことはありません。大阪の企業が、呼んでもいないのに続々と東京に本店を移していると仰いますが、それはいささか上から目線な乱暴な言い方で、大阪を始めとする多くの企業が東京に本店を移すから東京が更に発展したということをお忘れにならないでください。 それに、様々な認可や許可が東京でしか許されなく、その結果として人、物、金、権力も集まって来るのですから、商売拡大のためにはやむなく本店を移さざるを得なくなっているのが実情です。 最近では銀行の再編。大戦後に財閥は解体されましたが、その規制が緩和された際に、都市銀行と言われた銀行の多くが合併し、メガバンクとなりました。この時も金融庁は「銀行の本店は東京にあるのが好ましい」と指導して、全ての本店が東京に移りました。あの大阪都心に住友村まで形成している住友までもがです。 世界でも類を見ないTVのキー局制度もそうです。地上波はもとより、BSを含めた全局が東京しか認めませんでした。これでは情報発信の殆どが東京であり、東京のいいイメージだけを大量に発信することによって、地方の田舎者さんを東京に憧らせて、地方の人間を更に東京に集める。その結果、自分の田舎に愛着が持てなくなり、土地の値段が高い東京では家も持てない。当然、結婚しない人が増え、出生率も低くなる。東京の出生率がワースト1なのはご存知ですよね? そんな東京は、5年間で人口の約4割~5割の人が入れ替わります。これって、どう思われますか? 東京での出生率が低くて、全国から人を集めるので東京の人口は減らない。そして、人が入れ替わる訳ですから、日本の人口が減少して、ひいては国家の存亡にかかわって来るの大きな問題の元凶が、東京一極集中なのです。 また、最近では産経新聞のある記者による大阪を貶める記事を良く目にします。外国の有名なお洒落な100均のようなお店の1号店が大阪に出店すると、どうして東京ではなく大阪を選ぶのか? 梅田の百貨店戦争では、梅田にこれだけの百貨店は必要なのか? 最近では、スカイツリーよりも来客数の多いグランフロントに難癖を付けていました。恐らく、次のターゲットは「あべのハルカス」なのは明らかです。 まあ、ちょっとご質問から論点が脱線してしまった感がありますが、元々は経済や文化、もっと昔は政治の中心地は大阪や関西だったのに、それらの多くを東京に奪われてしまった腹立たしさや悔しさが根底にあるのだと思います。そして、大阪は日本で2番手なので、1番の東京を意識せざるを得ないのではないでしょうか? 逆に東京は1番手なので、2番手も3番手も一緒なので意識などしない。意識していないのですから、意識している二番煎じを飲まされいる大阪の気持ちが分からないという図式なのだと思います。 長文、失礼いたしました。

  • matsu_kiyo
  • ベストアンサー率42% (683/1590)
回答No.3

何気にカテ違いかな、と思いつつ当方も。 今回質問者様の見られた動画が、堺の市長選の応援演説であることにその答えが隠されている、と感じました。 既にご承知の通り、維新の会は、「大阪都構想」を錦の御旗にして支持を取り付けてきました。 再選を目指す現職は、これに反対の立場であり、結果として再選はかなったのですが、この選挙で維新の凋落ぶりは隠せないものになりました。 今の市長辞任騒動にしても、道筋を決めようとしているのを市長が邪魔しているようにしか見られていない状況なので、早晩維新は、空中分解する事は避けられないでしょう。 都構想を持ち出す際に、彼が東京のことをいい募るのは、いい例であり、先達だからという意味合いであり、意識しているのとはちょっと違うと思います。言い方を変えると、東京のことを引き合いに出さないと利点が説明できない程度の構想だったとも見て取れます。 某国のこともお書きですが、あそこまで粘着質ではないので、お間違えのないようにwww

daisyoya
質問者

お礼

ご返答ありがとうございました。 大阪都構想は、橋下さんが出てきた頃は正に飛ぶ鳥を落とす勢いでしたが、今や空前の灯火となりましたね。 私は、大阪都構想よりも首都機能移転の方がこの国の100年の系を考えると余程良いと思っております。首都機能の幾つかを東京以外の地に持っていくことにより、東京の地位が低下する。それに対して地方の地位が向上する。私はこちらの方の原理に賛成します。

  • etranger-t
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回答No.2

>韓国人が日本人を意識している構造と似てませんか。 全く違います。日本人は韓国人から何かを奪ったり吸い取ったりしましたか? 対して、東京は官僚の主導のもとで、大阪の企業や文化を奪って東京に集めました。つまり、中央官僚の権力で、それまで大阪に多くあった本社や本部のあった企業や組合などの多くを東京に移し、人、物、金を東京に集めて東京一極集中にしてしまったのです。ですから、韓国と日本の構図とは全く違うのです。 このことは、2003年の国会において、当時の堺屋太一経済企画庁長官が証言しています。証言の詳しい内容はネットで調べて頂くなりすれば分かることですが、本来は大阪が東京を意識するというよりも、東京が大阪を意識して、中央官僚が大阪潰しをしたのです。 この大阪潰し(大阪を貶める番組や報道)に今でも加担しているのが東京のメディア・マスコミだということです。そういう意味では、むしろ韓国人が東京、日本人が大阪に近いと思います。 東京一極集中による弊害は、あえて言うまでもありませんが、この地震大国日本において、何もかもが集中した東京に直下型地震が来て、首都機能がマヒすればどうなることでしょう。原発の稼働がどうのと言っている場合ではないほどの大災害になります。 時の首相はいつの時代も関東と関西の重要性を強調しますが、そんな気など更々なく、東京と大阪の格差は広がる一方です。 橋下市長の掲げている「大阪都構想」も、大阪だけではなく、様々な機能や権限を地方に移すという意味でもあります。 要は、元々から繁栄していた大阪を、東京によって潰されたのですから、大阪が東京のことを喜ばしく思えないというのが根本にあるのだと思います。 ただ、一人の人間同士という意味では、大阪人も東京人もどちらも好きですが。

daisyoya
質問者

お礼

ご返答ありがとうございました。 江戸元禄時代において、江戸の人口は町人の数だけでも大阪、京都を凌いでおりました。武士を入れると100万人を超えており、当時は世界有数の都市であったという説も有ります。  また、朝鮮通信使の一人が書き残した文献によると、江戸の街は大阪の街に比べ、3倍以上は大きいと記されてあります。  このことから、東京と大阪の開きは既に江戸時代から有ったと考えられます。  また、東京が大阪を潰したという話は、ネットではよく聞きますが、私は客観性を欠いた都市伝説であると思っております。その理由として先ず、江戸時代の大阪は幕府直轄の地であり、幕府は大阪に対しては経済優遇政策を取っており、江戸に比べて自由に商売を行うことを奨励しておりました。  また、近代以降も中央政府が大阪の企業の本店を強引に移させたという明白な理由は有りません。むしろ大阪の企業が、呼んでもいないのに続々と東京に本店を移しているのが実情です。トヨタの本店は愛知です。マツダの本店は広島です。ジャパネットたかたの本店は長崎です。。東京の法人税は特別に安いなんてことは無いように、霞が関は決して地方の企業の本店を移させるようなことはしておりません。  繰り返します。大阪の企業は霞が関や各国の大使館のある東京に自発的に本店を移したのであり、中央が強制的に呼んだのではありません。つーか山口組のようなやくざまで東京に来るのですから、東京人にとってはトホホって感じですよ。

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