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「~るのだった」「~たのだった」の使い分けを教えて

台湾人に日本語の「~るのだった」と「~たのだった」の使い分けを説明したいのですが、私が良く理解できていません。 「~るのだった」と「~たのだった」について教えて下さい。 ご回答よろしくお願いいたします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • jzajza
  • ベストアンサー率34% (444/1296)
回答No.1

「~るのだった。」 例)コンビニの棚には、本が置かれているのだった。   (現在、コンビニの棚に本が置いてある状態の事です。) 「~たのだった。」 例)コンビニの棚には、本が置かれていたのだった。   (以前はコンビニの棚には本が置かれていたのだが、今は置かれてなく他の商品が置かれている、または何も置かれていない状態の事です。) ※わかりやすい様に、身近なものを例にとってみました。

yygod
質問者

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  • OKAT
  • ベストアンサー率38% (247/639)
回答No.4

 別の質問に出ていたのですね。「続けるのだった」「続けたのだった」という言葉遣いは、かなり気取った言い方であり、こんな言葉遣いは日常することはないだろうと思い、質問したのです。  最後に「た」を余分に付け加えることで、一種の詠嘆的な気分を付け加えることになります。予想通り小説の文らしいのですが、普通は「のだ」やその敬語化した「のです」で終わる<のです>。話言葉なら、さらにくだけた「んだ」の形にして「続けるんだ」「続けたんだ」や「続けるんです」「続けたんです」とします。  この「のだ(んだ)」の表す意味は、まだ国語学の研究室で議論されている段階なので、その場面によってさまざまなことが言われています。その一例を後掲のサイトでご覧ください。論文ですから、簡単には分かりません。場面により違うので、言葉だけの段階では、何とも言えません。「そういう物な<んだ>」(この場合は確認)と理解しておいてください。 「続けるのだった」「続けたのだった」の違いと言えば、「彼は<今後も>旅を続け<る>のだった(のであった)」と、「彼は<その後>も旅を続け<た>のだった(のであった)」のように、現在と過去の違いに過ぎません。  ついでに言うと、あなたは別の質問で「神視点」という言葉を使っていますが、これは小説を書くためのは一人の人間だけでなく、他の人間の内部に入ったり、自然の火事や地震に目を向けたりと、神のような目ですべてを視なければならないということを言うのですが、現実には一人の人間の目だけで描かれた作品もあります。ましてや、言葉遣いのことには「神の視点」など関係ありません。    

参考URL:
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/35816/1/nihongo06_05.pdf
  • OKAT
  • ベストアンサー率38% (247/639)
回答No.3

この二つの例文がよく分かりません。例えば「来るのだった」と「来たのだった」のように考えていいのですか。特に「たのだった」はどうして二つの「た」が使われるのかが分かりません。  回答でなく、質問で済みません。

yygod
質問者

補足

以下のサイトを参考にしてください http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8466580.html

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.2

「~るのだった」「~たのだった」 というのは 「いる」と「ある」という存在を意味する日本語表現の違いであろうかと。 http://taweb.aichi-u.ac.jp/tgoken/bulletin/pdfs/NO22/03Yamamoto.indd.pdf 従来の説明  このような「ある」「いる」の差異は,「存在」の対象が無生物(無情のもの)か生物(有情のもの)かに拠って決定されると説明されるのが従来である。 けど実際には例外も多いよねというのが、上記の論文 「いる」は対象の主体的な動きを認識する主体の認識態度を反映し, 「ある」は対象の主体的な動きを認識しないとする主体の認識態度を反映する。

yygod
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 参考になりました。