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ほんとうに捨てるべき執着を見つけるには?

よく「執着を捨てろ」と言いますが、 どういう意味でしょうか? あることには執着を捨てられていても、 実は自分では気づかない、 あるいは目を背けたいことに関する執着は捨てきれてない気がします。 ほんとうに捨てるべき執着とはどんなものなのか? またどうやって見つけて、捨てるのか? (方法を探している時点で執着していることになりますが) みなさんの体験談をお聞かせください。

質問者が選んだベストアンサー

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  • kanakyu-
  • ベストアンサー率30% (1916/6194)
回答No.8

そのときどきで、その人を苦しめている執着を、 気づいた時点で手放していけばいいのではないでしょうか。 執着していれば、苦しいのは自分ですからね。 執着というのは、不必要な苦しみに相当するのじゃないかと思います。 同じことなのに、苦しむ必要ないのに、勝手に苦しむ方向にもってっちゃってる、みたいな。 手の中にあるものは感謝して大切にして楽しんで、 まずそれが大事だと思います。 そして、手放す時が来たら、ありがとうさようならと、 不必要に苦しんだりせずに手放せれば、それで万々歳です。 何一つ、所有することはできないんですよね。ぜんぶ、借り物です。 執着を捨てる、ということそのものにも、執着することないと思います。 あまりに執着をきらうばかりに、 健全に愛着を楽しむことすらできなくなれば、 同じくらいのマイナスかと思うので。 なにごとも極端をさけ、ほどほどな感じで。 さいごに・・ 執着しちゃって、やっぱ苦しくなっちゃった~ というのも、いいと思いますよ。 そういう自分の人生劇を、これも一興とおもって、楽しむ視点さえ持てれば。 深刻になりすぎるから、苦しみが本物のように感じてしまう。

noname#202739
質問者

お礼

必要な執着かどうか。 すごく大事な視点ですね。 しかもわかりやすい。 ありがとうございます。

その他の回答 (15)

回答No.5

じぶんに対する希望、欲望。

回答No.4

執着を捨てろという場合、執着することによってあまりいい結果が出ない場合に使うことが多いですね。 しかし、執着がまったくない人間なんて、まずいないでしょう。 物事にこだわりがあるから好きなことだって続けられるわけですが、この好きなことだって、『執着』にあてはまります。 あえてわざわざ自分の執着を探すことはないんではないかな、と思います。 自分自身で、なんかこのことになるとやたらこだわってるな、と思うこと=執着していること だと思いますね。 本当に捨てるべき執着というと、ストーカーみたいな執着でしょう。 他人に迷惑をかけるような執着はよろしくありませんから。

noname#202739
質問者

お礼

たしかに執着=好きなこと な場合もありますね。 迷惑かけたり、好きでもないのに執着してることだけ 捨てることにします。

  • dondoko4
  • ベストアンサー率12% (1161/9671)
回答No.3

参考にしては 1、山岸巳代蔵(ヤマギシイズム創設者-山岸会) 2、トーマスモア (ユートピア)岩波文庫(?)にあった。 3、キブツ(イスラエル) 4、武者小路実篤(あたらしき村) 5、トルストイ(ロシア文学者) 6、その他。(宗教性) 30数年前にヤマギシ会の特別講習会に参加した。人生観が変わった。人生の苦悩の根源がわかった。外部の人間は、オカルト集団だと批判した。でも、実態はどうかと、ミイラ取りがミイラになってしまった。自分に振り回されている神経症の人たちに教えたいほどだ。 貴方の知らない世界がまだまだあるんです。まだ若いのならチャレンジしてみませんか。

noname#202739
質問者

お礼

そういった古典的な名著はなかなか手を出せませんでした。 チャレンジしてみます。

  • YOUDEN
  • ベストアンサー率5% (2/39)
回答No.2

私が教わった方法ですが、何か起こしたときにいったん立ち止まり、深呼吸して自分の胸に手をやり、自分心の奥底ではいったい何があるのか覗き込むことで見えてくるそうです。そしてイメージで手放してやると次第になくなっていくそうです

noname#202739
質問者

お礼

なるほど。 深呼吸とイメージですか。 試してみます。

回答No.1

例えば、 俺は嘘つき・ホラ吹きとは絶対つきあわない、という執着。 それは決して間違っていないものです。 しかし、そういう連中とたまにはつきあうことで、そういう連中の思考回路が理解でき、対処の仕方が身に付き、自分自身の視野が広がり、反面教師として自身の立ち居振る舞いに生かすことができ、そういう見え見えのウソやホラを笑いをこらえながらとてもタダでは聞けないようなリアルなお笑いギャグとして楽しむ・・・と多大なプラスがあるもの。 そういった意味で、自己の「そういった連中とは付き合わない!」という清廉な執着に固執しすぎると、たった一度の人生の中で、折角の貴重な経験・チャンスを失うことになってしまう。 執着を捨てるのは勿論簡単ではありませんが、「たった一度の人生の中で、自分の視野・経験を少しでも広げる、そして最期あの世に逝く時に、ああ、ほんまオモロイ人生だったなあ~、もうやり残したこと・見残したものは無いわ~」と笑顔で逝く、という人生観・価値観を常に心の片隅においておけば、自ずと必要以上の執着を越えた行動・思考・判断を選択できるようになるのではないでしょうか。 ・・・と私は常々考え楽しく充実した日々を送っています。

noname#202739
質問者

お礼

あぁ、なるほど。 たしかに「嫌いな人と接する」ってのは、ぼくがいちばん避けてきたことかもしれません。 一度は人生経験としてやってみましょうか。

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