法律を作らなければ「秘密の保持が難しい。」というのであれば、秘密保護法は必要だろうと思います。
しかし、例えば「尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件」のことを想い出して下さい。情報を流した海上保安官は、「一人でも多くの人に遠く離れた日本の海で起こっている出来事を見てもらい、一人ひとりが考え判断し、そして行動して欲しかった」といっています。こんな事は、国家秘密でも何でもありません。積極的に公開し、国民に実態を知ってもらうべき性質のものです。しかし、当時の政府は隠してしまいました。これからは、このような情報を公開すること自体が「犯罪」になります。「知る権利」、「知らなければならない義務」が、秘密保護法によってないがしろにされかねません。それに、秘密保護法によらなくても、国家公務員法には、職務上知り得た秘密は公開してはならないという条文があります。何故、今「秘密保護法」なのか?そのことの説明も不十分です。
個人に、誰にも知られたくない秘密があるように、国家に「秘密」があることは当然ですし、国益を守り、国民を守る上でも「秘密」は必要でしょう。しかし、法律がない現在でも、すでに60万件の「秘密」があるそうです。法律がなければ国際的な信用が得られないというのは詭弁に過ぎません。秘密が漏れて、国政がうまくいかないとしたら、それは政治家や官僚の資質の問題です。「法律で何とかなる。」といった性格のものではありません。
「外交」、「防衛」の観点から「秘密」の取扱いが重要なことは否定しませんし、そのための法律が必要だというのであれば、そのことに限定して法制化すればよいことです。それを「その他」で何でも、都合の良いように解釈できるような法文にしているところに問題があります。だから、法律が成立した現在でも、その解釈を巡って、政治家の発言が議論を呼んでいます。仮に、国際的信用を云々するとしても、もう少し、国民が納得できるような説明が必要だったと思いますし、慎重に審議する必要はあったと思います。そのことの不十分さに、何か得体の知れない不安というか、不信感のようなものが生じているのではないでしょうか?特に、国政選挙はしばらくありません。そのことと、最近の政府の動きが気に掛かっている面もあると思います。