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イジメ問題でよく目にする武勇伝への疑問
- ネットでのイジメ問題に関する談話を見ると、徹底的に抵抗したり、武道を習ったら手を出してこなくなった、といった武勇伝をよく目にするのですが、どうにも腑に落ちません。
- 相手の嫌がらせなどは立件できない一方で、こちらの暴行だけが立件される無視も話し合いでの解決もできず暴力振るったほうが悪いと見なされる暴力沙汰という不祥事と見なされ、部や道場など所属する集団に連帯責任で迷惑をかけるこういう問題はどうなったのでしょう?
- 武道を習うことは、喧嘩はご法度ということで抵抗の足かせになってもおかしくないと思うのですが。イジメへの抵抗、という名目なら暴力振るっても不問だったのでしょうか?他の部員や顧問からのバッシングに屈して貝になった私が特殊なだけで、イジメの辛さに比べれば暴行加害者に対するバッシングや処罰など無視できる程度の些細なものだったのでしょうか?
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質問者さんはかなり卑劣な 「言葉の暴力」 を受けられたと思います。 これは耐えるのは大変ですね。 身体への暴力と違ってそのダメージの程度が第三者からは正しく見れない為、そのダメージが如何に大きくとも今の社会では 「手を出した方が悪い」 と判断されますね。 確かに言葉の暴力を複数の相手から受けても、証拠の残る手を出した方が不利な状況はなんとなく分かる気がします。 暴力の扱いの中に 「言葉の暴力」 というカテゴリーが必要なのではないでしょうか。それと当事者以外の生徒の証言収集に指導者は心血を注ぐべきと思います。 何年か前の出来事を今の時点で出されたと言うことは心のどこかに煮え切らないものがある為と思います。 「この様な状況を想定したいじめ対策」 の必要性を感じます。 身体の状態を馬鹿にするような 「言葉の暴力」 も許されるべきものではなく、質問者様には不服かもしれませんが、「両成敗」 が妥当ではなかったかと思います。 身体に受けた傷は遠からず直りますが、心に受けた傷が癒えるのはかなり大変なものと思います。
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- rokometto
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なるほど。 しかし日本の法律は言葉態度による攻撃も「暴行罪」で大して変わらないんだよね。 やられたからやり返して、両成敗でイーブン。 だいたいは多人数だった方が不利になるってことなんだ。 立件できるかどうかは本人の闘う姿勢次第。 自分の大切なものを守る闘うと、相手を傷つけることが目的の戦いを一緒にしちゃだめよ。 本当に大切なものは闘う心がなければ守れない。 それには自分が有利になるようにあらゆる要素を利用すること、もしくは日常から備えておくこと。 そういうリスクマネジメントなどを教えないから若い世代が簡単に追い詰められるんだよね。 まあ教師の体罰ももみ消す学校が多いんだから、生徒の暴行ももみ消してるでしょ。 残念なことにね。 人は失敗や過ちから学び成長するというのに、まずもって指導者や教師がそのチャンスをゴミ箱に丸めて捨ててるのが現実。
お礼
>やられたからやり返して、両成敗でイーブン 残念ながら、これがなかなか成立しない。 いじめ問題で頻繁に出てくるこれらの理屈に当てはめると、両成敗はまず無理ですね。 ・気に入らないなら話し合え ・無視しろ、構うな この理屈こそが言葉の暴力を蔓延させたとも言えるでしょう。 回答ありがとうございました。
- mimi--ko
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あなたが不愉快な思いをされたのは、お幾つくらいだったのでしょう? 高校生くらいでしょうか? 私の息子は小学校から中1くらいまで、体が小さいく晩生だったことで体格が良い元気が余っているタイプのお子さんから嫌なことをされることがありました。 小学校の担任の先生は、 「先生が許すからやり返しておいで」 と息子の背中を押してくれました。 中学校では、息子に胸ぐらを掴まれたと相手のお子さんから先生に訴えがあった時に、 「不愉快なことをしたのは君の方が先だろ」 と相手のお子さんを諭してくれました。 実は小3から息子に空手を習わせました。 もちろん喧嘩で殴ったりはできません。 道場のお友達や先輩と、相手からの攻撃のかわし方や、殴らない攻撃の仕方をシュミレーションしていたそうです。 それがどのくらい役に立ったかはわかりません。 実際の喧嘩になると、最後まで拳を使わない息子は負けます。 最初に攻撃を仕掛けるのは息子ですが、怪我をするのは息子です。 「空手なんか習っていなかったら、思いっきり相手を殴れるのに」 と悔しがったこともありました。 でも、あなたが仰るように、喧嘩では勝っても相手に怪我をさせたら負けなんですよね。 そういう意味では、息子は得をしたのかもしれません。 実際、同じ道場で学校で拳を振るってしまったお子さんは、親御さんが相手のお子さんと学校に涙の謝罪をし、道場も1か月出入り禁止でした。 息子の場合は、先生方に理解があったことと、小さくても面倒くさい相手に立ち向かうところに共感してくれるお友達が男女とも増えたことと、成長期を迎えて体がある程度大きくなったこともあり、中1くらいから嫌な思いをすることはなくなったようです。 相手のお子さんたちも成長したこともあるでしょう。 高校も全然違うところに進学しました。 息子の場合は全然武勇伝ではありませんが、当人は空手を習ったことは自分にとってプラスだと思っています。 大きな声を出したり、いろいろな技を覚えたり、大会に出てトロフィーをもらったりと当人の自信につながりました。 空手を習わなかったら、相手に立ち向かう勇気も湧かなかったでしょう。 でも、実際子供を成長させたのは、人間関係の築き方を学んだことだったと思います。 武道でいじめに立ち向かうとしたら、破門覚悟で相手をコテンパンにするしかないかもしれませんね。
お礼
回答ありがとうございます。 >あなたが不愉快な思いをされたのは、お幾つくらいだったのでしょう? 小、中、高と、相手も環境も全然違うけど嫌がらせは断続的ではありますがどの段階でもありました。 >「先生が許すからやり返しておいで」 >「不愉快なことをしたのは君の方が先だろ」 こんなフォローは皆無でした。 物理的な攻撃に出た側が『先に手を出した』ということで一方的に悪いことになりました。 自分をコントロールできない危険人物として、相手の言葉の暴力は一切不問で私ばかりが責められていました。 中学では部への迷惑や内申点への影響、高校では退学のリスクや保証人への迷惑といったしがらみが増える分抵抗は難しくなっていきました。 >道場のお友達や先輩 こんな味方してくれる人も皆無。ただひたすらに泣き寝入りを迫り、それに従わずキレて乱闘したり口論したり痣だらけの脛や肩を露出させて部の練習にいそしむ私を、不祥事を発覚させて部を危険にさらすということでみんな目の敵にしてました。 回答者様の息子さんと私との違いはどこにあったのか…。 まあ、客観的にみると私の味方はしたくなくなる性格だったのは否定できませんが。 私が被害を訴えることで騒ぎが大きくなり、授業や行事や部活動が潰れてクラスや部員全体への説教が行われることも多かったため、反感買っていましたし。 >同じ道場で学校で拳を振るってしまったお子さんは、親御さんが相手のお子さんと学校に涙の謝罪をし、道場も1か月出入り禁止でした。 私の性格だとこういう展開が目に見えていたためか、私に武道を薦める人は皆無でしたw
- Zilant
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イジメが話し合いで解決できるなんて冗談にもならないと思うけれども……。 体格が良くなって抵抗されるかもしれないとビビるからイジメの対象から外されるとか、イジメと喧嘩の違いが分からずに一緒にするとかいうのが、つまり「武勇伝」の実体なわけです。 「武勇伝」なのでその当事者はヒーローで、じっと耐え忍んだり、非暴力抵抗運動をしてたんじゃ「弱者の代表」にしかならないので、徹底的に抵抗したり、武道を習い、手を出せない強者になったりするわけです。 ですから「こういう問題」など起こらない、ということでしょうね。
お礼
イジメ問題では『気に入らない点があるなら話し合えばいい』なんて意見が出てきて、ソレをせずいじめるからいじめる奴はバカだクズだといった意見が根強いです。 なぜ解決にならなかったか、話し合いが成立しなかったかの考察は全然出てこないか、イジメの正当化と一蹴されてます。 >イジメと喧嘩の違い これって当事者や傍観者の主観によりけりですものね…。 >「こういう問題」など起こらない 逆に言えば、こういう問題が起こらずに済んだ人が得意げに語ってるだけなのかもしれませんね。 回答ありがとうございました。
>他の部員や顧問からのバッシングに屈して貝になった私が特殊なだけで、 イジメに遭っているらしいなと見て、投稿することにしました。武道をならってもイジメの対象にはなります。イジメを避ける為には腕力だけではなく、頭を使う必要があります。お勧めは、挑発して相手に殴らせることです。すると物的証拠ができるので、イジメとして告発することが容易になります。武道をならっていると、この時に大けがを避けられます。急所を外したり、殴られる振りをしたり、いろいろ手心が加えられます。 昔、面白いことがありました。私にたらたらと嫌味を言ってきているトモダチがいて、ついに喧嘩になった。相手は私の胸の辺りを殴ってきたのですが、ちょうど学ランの内ポケットに美術で使う銅板が入っていました。トモダチはそれを思い切り殴ってしまい、以降、大人しくなりました。私が筋肉隆々だと思ったのか(文字通り鉄の筋肉だ、笑)、はたまた、急所に銅板を仕込んでいる筋金入りのワルだと思ったのか。何にせよ偶然が引き起こした勘違いですが、よい効果がありました。 これは殴られた時に体さばきでかわすのでもよかったかもしれません。反撃はせず、あくまで守りに徹するということ。流派によっていろいろと技が違うと思いますが、そういう技、武術にはいろいろあるでしょう。ボクシングで言うと、相手の拳を砕くようなブロックの技術に相当するかもしれません。剣道は・・・なさそうだな。武器を持たないと始まらないし、武器を持った時点でアウトだし。参考までに。
お礼
あー、紛らわしかったですね。 もう過去の話です。 もっとも、イジメにあっていたというのはあくまでも私の主観で、公的には私のほうが加害者として処理されていましたが。 ・肉体的欠陥(奇形)をからかわれる ・やめるように言っても、「なんか言ってるよコイツw」「やめろ、だってよwww」 などと嘲られる といった具合に挑発され、逆上し暴行。 相手は見張り役を立てておき、教師が接近したらガードもほとんど解き、教師の目には私が無抵抗の相手を一方的に殴ってるように見せかける。 こうして私が行った抵抗のみが、イジメとして告発されることになりました。 いまイジメ問題でよく言われる話し合えとか関わるなとか、あといじめる側は劣等感の塊だといった主張は、からかわれると激しい憤りに駆り立てらられる要素を持った人を加害者に仕立て上げる方向に向かうのではと危惧してしまいます。 何はともあれ、回答ありがとうございました。
- suzuko
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支援学校教員です。 >徹底的に抵抗したり、武道を習ったら手を出してこなくなった、 「いじめ」などは、元々きちんと相手を納得させることが出来ない意気地なしが、卑劣な手段を行うことだったり、別の環境で自分が「不満」を抱えていて、その憂さ晴らしを他の環境で「自分より弱い」と思える相手や「抵抗してこない」相手に行うことが多いかと… だから「犯罪」とは言わず「いじめ」と言うのでは? それに対して、過剰に暴力を振るえば「過剰防衛」となり「犯罪」となります。 「徹底的に抵抗」も前提として、非暴力です。ただし、暴力を受けているのに「相手の手を握る」や「組み伏せる」のまで「してはいけない暴力」と言うのではありません。程度の問題です。 武道を習えば「体つきが良くなる」から、相手が「抵抗してこない」だろうと思われる奴ではなくなり、「いじめ」の標的からはずされると言うことです。 ですので、あなたのあげている問題にまでは「発展しない」のでは? >他の部員や顧問からのバッシングに屈して貝になった私が特殊なだけで いいえ。多くの人が「そのように行動」します。 ただ、それでは「いつまでも解決にならない」と思う傍観者が、色々意見を表明しているだけです。 実際に「いじめ」を無くしたいのならば、その当事者の元へ行き「いじめ」を行っている人に「いじめは卑劣だ」と一緒に主張してあげれば、いいのです。 または、「いじめ」を行っている人の「問題がどこにあるのか」を一緒に考えていけば、その場の「いじめ」はなくなるでしょう。 >イジメの辛さに比べれば暴行加害者に対するバッシングや処罰など無視できる程度の些細なものだったのでしょうか? そんなことはありません。 「暴行加害者に対するバッシングや処罰」は結構、長く尾を引きます。 所在地を変えても、人の口に戸は立てれません。 かなりの年齢で、家庭を持ち、経済的に尊敬される地位についても「乱暴者」「切れやすい」のレッテルははがれないでしょう。 まぁ、人間関係の問題は「程度」が重要です。「ゼロか100」では、解決できません。
お礼
回答ありがとうございます。 >「いじめ」などは、元々きちんと相手を納得させることが出来ない意気地なしが、卑劣な手段を行うことだったり、 そうですね。 私の肉体的欠陥(奇形)をからかうことをやめる、ということを相手に『納得』させることができなかったため、体格の劣る相手に腕力を振るうという卑劣な手段を採りました。 そのため、教師は私をイジメ加害者と認定しました。 詳細は回答No2さんへのコメントを参照ください。 まあ暴行という『犯罪』ではありますが、逆上した当時の私にそんなこと言っても意味がないわけで。 >武道を習えば「体つきが良くなる」から、相手が「抵抗してこない」だろうと思われる奴ではなくなり、「いじめ」の標的からはずされると言うことです。 >「暴行加害者に対するバッシングや処罰」は結構、長く尾を引きます。 被害者加害者双方がこれを知ってるからこそ、加害者は精神面にクる嫌がらせを行い、被害者は腕力での抵抗ができず貝になるしかないのではと思いました。 私がそうだったのです。 しかしながら、そういう暴行加害者に対するバッシングは武勇伝の中にも後日談にも出てくることは稀です。 こういう点から質問を立てた次第です。
お礼
回答ありがとうございます。 私の傷そのものはもう癒えている…といいたい所なのですが、やっぱり心の片隅で引っかかっていたのだと思います。 イジメ問題では気に入らない点があるなら話し合えとか関わるなとかよく言われます。 そして、スルーできず攻撃する側が100パーセント悪いとかバカとかカスだのといった意見がよく出てきます。 美輪明宏という歌手が 『いじめる側の人間は劣等感の塊で、頭が悪くて、それをごまかすために暴力を振るっていじめるんです』 こんなことを言っていて、多くのものが共感を示していたのを見て、言葉の暴力を受けていた当時の気持ちが蘇りました。 表現は多少違いますが、キレて暴力を振るった私を更に煽ったり批難する相手や教師の言い草はまさにこれでした。 肉体的欠陥に限らず、テストの点とかやらかしてしまった失敗とか家庭の事情といった具合に、踏み込まれたくない問題、からかいのタネをたくさん持ってる人は、そうでない人から見れば『劣等感の塊』でしょう。 スルーしたり上手く切り返せる口の達者な人を基準にしたら、スルーも反論もうまくできずキレてしまう人は、『頭が悪い』と見えるでしょう。 貧しいというだけで窃盗の犯人と決め付けるように、特徴に絡めた失礼極まりない決め付けを受けて、キレてしまった人は、その憤りに共感できない人から見れば『ごまかすために暴力を振るう』と見えるでしょう。 >「この様な状況を想定したいじめ対策」 の必要性を感じます。 同感なのですが、それを想定したならばいじめ問題で語られる様々な正論を根底から覆すことになり、偉そうなことを公の場で語ってるセンセイたちは面倒なことになるため難しいと思います。 >質問者様には不服かもしれませんが、「両成敗」 が妥当ではなかったかと思います。 いえ、相手の暴言はそれほどまでの憤りを誘発するものだったと認め、誠意のある謝罪をしたり、教師がそれ相応の処分を下したならばこちらの暴行も罪と認め詫びようという気にはなれたと思います。 しかしそれがなく、自分をコントロールできない私が悪いとして一方的に非難されるのですから納得いくわけがありませんでした。 私のような『いじめっ子』のことを想定しているセンセイは、果たしてどれだけいるのやら…。