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イジメを傍観した理由とは?
- イジメを傍観していた理由やその背景には、連帯責任や逆恨みのリスク、抵抗の難しさなどが考えられます。
- イジメを傍観する第三者の視点から見ると、助けたくても助けられない状況や、被害者自身のイメージによる嫌悪感もあるかもしれません。
- イジメを傍観する決断は、複雑な事情や思いが交錯している結果と言えます。
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イジメにもいろいろありますからね。 子供の校内いじめにも、陰湿なことがありますが、大人の権力争いにおけるいじめも相当です。 いじめは、いじめられた1個人をターゲットに繰り広げられるもの、の場合もありますが、そうした小さないじめをきっかけに、単に助けようと正義感を出した人が、今度は虐められるターゲットになることもありますよね。 虐めが誰かのストレスから始まっていれば、ターゲットがいなくなれば、今度は僕?私?と、虐められるターゲットが入れ替わることもありますし、どのくらい陰湿、酷いいじめになるかは、関わる人のポジション、所属環境にもよります。 よく、話題にされることも多いのは、ある権力者の子供とか、何不自由なく何でも思い通りにしてきた人によるいじめ、とか、虐められる側が子供なら 何かの能力で競い、実力あっても夢をたたれること、能力をつぶされるようなこともあれば、関係する大人たちも仕事を失うことになったり、生きるのに妨害受けるような虐めのターゲットにされることすらもありますかね。 宗教団体に属している人なども似たものがあることを聞いたことがあります。 助けた人が顔を変えなきゃならないくらいの酷い目にあった、とか 助けようとしたらターゲットにされ、連鎖させないためにも傍観するよりなかったとか、 いじめられっこが嫌なやつ、になってしまうのは、そうした酷い仕打ちが原因で人間不信になるから、かもしれませんし、助ける側といって、指令塔本人が指示出して第三者にやらせる虐めも、権力者関係等ならたくさんありますよね。 それがパターンですよね。 傍観者、第三者からどう見えるか、まで巧妙に計算もしていれば、すべて他人にやらせているので一番血も涙もない、高嶺に上がり、涼しげな顔で見ているもの、一番の傍観者なのかも知れませんよ。 表舞台で堂々と戦えない人など、よく裁判沙汰にしてつるしあげたりして逃げたりするのかも知れません。
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- runaruki
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自分はいじめられてた、だけですか?被害者だけですか?それから何かしようと思わなかったのですか。 第三者からすれば、他人の事なんてどうでもいいんですよ。自分が生きていける位置にいれば。そんなもんです。
補足
>抵抗のために戦うには人目に触れない場所を探す必要がありました。 と、書いてるんですが…。 その人目に触れない場所が見つからず、抵抗もできなかったと解釈したのでしょうか? 見つけ出し、徹底的に殴ってやりましたよ。 もっとも、結局は通報され一方的な加害者と見なされ、こちらの言い分を聞き入れてもらうまで苦労しましたが。 自分のために戦うのも難しいから、他人のために戦うなんて尚更だと思うし、クラスメイトにとって自分が他人にすぎないなら助けてもらえなくても仕方ないなとも思ってますよ。
- 5x4
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いじめられていた人はそこまで好きではない人物でした。 いじめは教室の真っ只中で行われていていじめていたのは、いわいるギャルでした。 私はいじめられている訳でもなく虐めている訳でもない傍眼者でした。 いじめられている子を好きではないし、なにより自分がターゲットになるのは嫌でした。 いくら好きではなくてもいじめを見るのは嫌でしたが、クラス全体でみてほとんどが傍眼者だったので一人で止められる物ではなかったです。 それになぜいじめられないように人間関係をこなせないのかという思いもありました。 理由なくいじめられている方には失礼ですが。 傍眼者もいじめられないように努力しています。
お礼
>傍眼者もいじめられないように努力しています。 イジメに関する議論ではよく、泥棒とカギのたとえ話が出てきます。 泥棒が悪いのは言うまでもないことですが、泥棒がいない社会になるのを待ってなどいられない。 泥棒の被害に遭いたくなかったら防犯対策ぐらいしろ、なにもせず被害者面するな。イジメも同じって話です。 いじめられない努力ってのはこの防犯対策のようなものなのでしょうね。
補足
いじめられない努力とはどのようなものでしょうか? >いじめられないように人間関係をこなせないのか とあるので、そのイジメは人間関係の悪化によるものであり、そのいじめられっ子は不潔、愚鈍、無神経といった具合に周囲の人を不愉快にする要素があったのだと思われますが。 だからと言っていじめていい理由にはなりませんが、嫌な思いをさせる問題行動は棚上げしてイジメのみを断罪されたって納得できるわけありませんよね。
お礼
イジメ問題で、被害者には抵抗しろ、傍観者には助けてやれって意見がよく出ますが、そこで終わってしまってますね。 なぜそれをしないか、できないかの考察が全然ない。 あなたが挙げてくれたような要素を考えないのではただの綺麗ごとでしかなく、しょせんは他人事ゆえの無責任な理想論なんですよね。 詳しい事例を紹介いただきありがとうございました。