本当です。ユダヤ教もユダ教から派生したキリスト教とイスラム教も、基本的に創造主以外を拝する事は強く禁じられています。内村鎌三もキリスト者(クリスチャン)でしたが先祖の仏壇に礼拝したという話は聞いたことがあります。彼は日本独自の無教会主義を唱え、新渡戸稲三もその門下生でした。日本の福音主義夜やものみの塔も聖書中心ですが日本とは違いがあります。
古代の日本では神道や氏神信仰でしたが、仏教が伝来し、その後キリスト教が伝来しますが、時の為政者(権力者)がキリスト教の拡大?を危惧し、寺請制度(てらうけせいど)により、民衆を仏教寺院の信者になることを義務づけました。その後、論語(儒教:今の道徳)等も影響し、キリスト教国家に敗戦しますが、アメリカは日本を植民地にもせず、キリスト教を押し付ける事もありませんでした。(日本の天皇を高く評価してくれた)その結果、幸か不幸か仏教と神道とキリスト教それに儒教も共存するに至りました。信教の自由です。生まれた時は神社、結婚式はキリスト教、死んだら仏教、善悪の基準は儒教と言う具合です。
日本人は心が広くて寛容だから多くの神を信じているという人もいますが、よくわかっていないのが真相だと思います。恥とケガレの文化 だと言った方がおられますが、あながち間違ってないように思います。また回りの人に合わせようとし、赤信号皆で渡れば怖くないともいって、多い側の人に付きます。ネットやケイタイで世界の情報がわかる時代です。自分の信じる事を他の人に強要したり、お布施等の霊感商法まがいの事も強要するべきではありません。
言うまでもなく信仰と趣味と商売は違いますから。日本の常識は世界の非常識の由縁です。礼儀も儒教から来ていますが、当の発祥の中国は共産主義(神仏を否定していたが、共産主義は間違いであったと考えているのではないでしょうか)で国を治めています。
従兄弟さんのほうが真剣だといえます。回り道してしまいましたが、要は、亡くなったらどうなるかということですよね。昨今、秋川雅史さんの千の風になってが歌われてから葬儀の事情が随分変わったようです。住職や葬儀関係者や墓石関係者の生業に直接影響してきますから。亡くなったら、天国にゆく、生まれ変わる、先祖の所にゆく、風や星になる 、脳が死んだらなにもない、等々いろんな考え方があります。貴方はどうなるのですか?成りたいようになれるかもしれません。
お礼
丁寧な解釈、ありがとうございます。 人の死に対しては、千差万別なとらえ方があるということを思い出した感じです。 弟が単に「宗教が違うから」という解釈でなく、貴方様のように、相手を納得させる言い方をすればよかったのにと思う次第です。 今後の参考にさせていただきます。