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名古屋市の西部地域は、なぜ貧乏な人が多いのか?
タイトル通りです。名古屋市の生い立ちの歴史に詳しい方、是非お教え下さい。
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noname#224207
回答No.3
名古屋の方ですか? 多いのかどうかは存じ上げませんが歴史的経緯というのであれば 名古屋の城下町の範囲を調べて見て下さい。 庄内川の西岸の堤防の高さと東岸が増水時に城下への流入を避ける為に変えていました。 いまでも「小田井働き(おたゃーす~なや~)」と言いませんか? 御存知の通り名古屋駅西側の中村は遊郭の跡地ですよね。 東海道は名古屋を通らず熱田から七里の渡しで桑名へ抜けていました。 名古屋は明治以降も東部から発展しました。 No1の回答者さんへの補足で挙げられている東山、覚王山、千種、白壁は高台です。西部地区は低地です。 どこの都市でも、高台に高級住宅地が広がります。 河川や海岸に近い湿気の多い土地には人はあまり好んでは住みません。 以上ざっと歴史的経緯と名古屋市の地形を申しあげましたがこれでご推測はつきませんでしょうか?
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noname#185504
回答No.2
消費税増税時に、1万5千円が恵まれる自民党認定の貧乏人ブラックリストが作られますので、それで明らかとなるでしょう。
質問者
お礼
回答ありがとうございました
- hideka0404
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回答No.1
あばたの主観でしょう? ソースがあるなら提示して下さい。
質問者
お礼
回答ありがとうございました
質問者
補足
>ソースがあるなら提示して下さい。 明らかに所得に格差があります。例えば、東山、覚王山、千種、白壁に住んでいる方の平均所得と高畑、中村公園に住んでいる方の平均所得では雲泥の差があります。おそらく会社経営者と労働者の違いと、土地柄の違い(昔は身分の低い方が多く住んでいた。)だと思います。
お礼
詳しい回答ありがとうございました。大変勉強になりました。