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パレスチナとイラクの指導者はなぜ無能か
記念すべき50回目の質問をします。 パレスチナやイラクの悲劇を見る度に根本原因は貧困だと考えます、 そして歴代のこれらの国の指導者が悪かったと考えてしまいます、 どうしても日本の明治維新の指導者と比較してしまうのです、 ずばり、これらの地域の歴史を勉強した方々にお聞きします、 この悲劇と不幸の原因は何だとお考えですか? 全部アメリカが悪いんだという回答だけはご勘弁ください。 もちろんお金の量と軍事力の強さがそのまま幸せとは 私も考えておりません、偏見ではなくイスラムには なぜもう少し有能な指導者がいないのでしょう、 好き嫌いは別にして小泉さんやブッシュさんの国の 国民の方が幸福感をより多く持っているような 気がするのです、間違っているでしょうか?
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パレスチナには、もともと指導者がいませんでした。 反米闘争はいちおうPLOのアラファト議長が仕切っていましたが、 彼もパレスチナ人グループの一派閥の代表でしかなく、 パレスチナ人すべての代表とは、とても言えなかったのです。 そのアラファト議長が、歴史的イスラエルとパレスチナの 和平により、パレスチナ自治政府の代表となりました。 それまでは一派閥の代表でしかなかったのですが、これで ようやくパレスチナ人すべての代表となったのです。 しかしゲリラ闘争に人生の大半を捧げてきたアラファト議長は 行政手腕では無能でした。 彼の政府は汚職が横行するなど腐敗し、またイスラエルとの 和平交渉も進展できず、ハマスなどアラファトを支持しない グループの台頭を促す結果となりました。 これはあたかも、南アフリカでアパルトヘイト撤廃のために 人生の大半を費やしたマンデラ氏が大統領になりましたが、 彼が大統領になると、行政面での無能さゆえに国の政治が 混乱したことと、非常に類似しています。 イラクの現在の混乱については、フセインが元凶です。 彼の強権的な手法での統治は、国家をまとめる上で一定の 効果があったことは認めますし、クウェート侵攻前までの 政治についてはそこそこの成果も上がっていましたが、 己の権力に執着するあまり、イランとの戦争を起こし、 さらにはクウェートに侵攻して、アメリカの反撃を食らったこと、 さらにはその後も反米姿勢を崩さず、政権崩壊と国家の混乱 を招いてことは、すべてフセインの責任と見てよいでしょう。
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- lvmhyamzn
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イスラム教です。No.824167は「イスラム教と科学技術」ですが、政治でも同じことが言えます。 イスラム法が国家の法より上位にあるため、政治家がイスラム法を破る(憲法9条のように解釈でごまかす)ことをしなければ、政治ができないからです。
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感謝します、とても参考になりました、でも大変難解です、 もやもやしていたものが少し晴れました。
- SCNK
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サダムフセインは有能だったと思いますよ。今のアメリカのブッシュでも統治できなかったイラクを長年統治していたんですから。それもうまくCIAなどの力を利用してきたのです。最後に裏目にでましたけどね。せっかく世俗的な近代国家の政府が、あらゆる民族的、宗教的対立の封印になってきたのですが、それをアメリカははずしてしまったんですよ。そういう意味からするとチトーと似てますね。 パレスチナの指導者というのは誰のことか大変難しいですね。PLO=パレスチナでもありません。アラファトはもともとハタファのリーダーで、PLOを乗っ取ったんです。それ以降、エジプトやシリアやイスラエルやヨルダンの思惑の中でただ流されてきた感が強いですね。まあ仕方ない面もあるでしょう。力の差がありすぎます。ヤシンなんか結構、力があったんじゃないですか。統治政策という点で言えばアラファトより上でしょう。 能力という点からするとシリアのアサド(父)なんか優秀ですよ。イスラエルとPLOとヒズボラの力関係を見極めて、国の舵取りをしっかりやってきましたから。
お礼
感謝します、確かに女の黒頭巾?も外させたし、けっこう 親米でもあったのに湾岸戦争の後妥協する事は出来なかったですかね、 パレスチナの自爆闘争もその前に歯を食いしばって国を富ませる 方向性は打ち出せないのでしょうかね、その辺になると指導者に 能力の限界を感じてしまいます。
- cse_ri2
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No.1の回答を一部修正します。 >反米闘争はいちおうPLOのアラファト議長が仕切って >いましたが、 彼もパレスチナ人グループの一派閥の代表 >でしかなく、 反米闘争ではなく、反イスラエル闘争の誤りでした。
お礼
ご丁寧に、どうもありがとうございました。
- cse_ri2
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回答を続けます。 いろんな意味で日本の明治維新は奇跡だったと思うのですが、 その理由の一つとして、明治維新の指導者たちのほとんどが、 自分の権力保持よりも国家の安寧と繁栄を優先していたと いうことがあります。 最後の将軍徳川慶喜、明治維新の立役者であった西郷隆盛、 暗殺に倒れた大久保利通など、彼らが己の生命と権力に執着 していれば、そう簡単に死んだり政治権力を手放したりする ことはありませんでした。 しかし己の権力に執着し、闘争を続けて政治に混乱を招く よりも、自分が政治の第一線から退くことで(時には自分の 生命と一緒に)政治の混乱を回避し、国家の未来を優先されました。 そのお陰で、今の日本があるわけです。(途中で第二次大戦 の敗戦という大事件もあったりしましたが) 残念ながら世界の多くの国では、国家の安定と発展よりも、 己の地位と権力に執着し、かえって国家の混乱を招いている 政治指導者がいるのは事実です。 そういう国に生まれた人は不幸だと思いますが、残念ながら 即効薬があまりないのも事実でしょう。 今の私にはよいアイデアがありませんが、今後はこのような 問題についても、よくよく考えてみたいと思います。
お礼
再度感謝します、よく整理してくれました、 実は「新撰組」を身ながら少しは勉強しておりました、 当時の指導者は「日本国」を強く意識していたように思うのです。 日本人として生まれた事に心から感謝しています。
お礼
早速のまとまった回答感謝します、そうですか、所詮アラファトには 多くを望めなかったのですね、この辺りの宗教的指導者 と云うのも何か良く分かりませんね、他国を非難し他国にばかり 多くを望んでいる人々の精神はじつに貧しいと思ってしまいます。