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津波の想定
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130917-00000033-jij-soci では、幼稚園の校長は、津波が十分に予測できたとしています。 一方、 東電や、旧原子力保安院などは、してきされたのもかかわらず、 津波は予測不能として起訴すらされていません。 この違いは、相手が東電や国だから、でしょうか?
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- potachie
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それ以前に、園長の語る「一刻も早く園児を保護者に返そうとした」が、事実と異なっているからです。 亡くなった園児のご家庭の位置と、園、バスで亡くなった地点を調べていましたか? 彼は、海とは逆方向の、平時は乗せない海方向に行くバスに、なぜか、緊急時のそのときは亡くなられた園児を乗せたのです。 園児たちは、最後の園児を降ろして、園にバスが戻る行程で渋滞にまきこまれ、津波で亡くなります。園児たちは、山側の家に帰るために一旦、園に戻る行程で亡くなるわけです。不思議に思いません? 津波の予想がどう、以前に、なぜ、海と逆方向に家がある園児を、バスに乗せたのでしょう? 園に園児を残すのが面倒、早く手放したいという思い以外に想像ができません。 私は、テレビのニュースを聞いただけですが、園長の行為は、人間として相当おかしいと思いますよ。 一刻も早く返したいのなら、そのまま園から山の方に園児の手を引いてその子たちの家に向かえば良いだけですし、5人なら自分の車で送ることもできますよね? 平時は、海側の子を送った後に、バスは園に戻ってきて、山側の子を乗せて、帰宅させていたようです。園に園児が残る状況を嫌ったため、海側に行くバスに、山側の家の子も乗せたようですね。で、なぜその子たちを乗せたのか、の説明が、その記事の内容でしょ? ご質問者さんなら納得できます?
その通りです。東電福島第一原子力発電所事故の責任は国と東電と言った大規模なものですので、幼稚園みたいにはいきません。東電福島第一原子力発電所事故で誰も責任を問われないなら、今後本気で重大問題に取り組む人が出てこなくなります。 それと今回の幼稚園の訴訟は民事裁判ですが東電福島第一原子力発電所事故は刑事訴訟と言った違いもあります。
- hekiyu
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1,まず、刑事と民事の違いがあります。 民事で予測可能であれば損害賠償が認められる ことになりますが、刑事は人に刑事罰を与える ことになるので、その認定はより慎重に、厳格に なされます。 だから、民事で予測可能だとしても、刑事で どうなるかは別問題です。 2,訴訟は、事件ごとに違うことがあります。 全く同じ事件というのは存在しませんし、 同じような事件でも、裁判官による判断の 違いも生じ得ます。 これは、司法独立の原則上、やむを得ない ことです。 3,又、同じ予測可能性といっても、東電の 場合と、校長の場合とは意味が異なります。 東電の予測可能性は、地震や津波に対する 一般的予測可能性が問題になります。 これに対して、校長の場合は、既に地震が 発生している時の具体的な予測可能性が 問題になっているのです。 例えばです。 千年に一度の地震があり、だからすごい津波 が来襲する、ということを一般的に予測することは 難しいでしょうが、 その千年に一度の地震が、現実に発生した場合、 現場の人間が津波を予測することは十分可能です。
補足
1000年に一度というのは、後からわかったことで、 地震がおきたとき、 1000年に一度の地震なのかどうかは普通の人にはわかりませんし、 津波がくるということはわかってもその大きさもわかりません。 それに最初のニュースでは、そんな大きな津波になるとは言われていませんでした。 送迎バスでは、ラジオをつけていたかわかりません(園児送迎中にラジオを聞くのは、安全運転上どうなのかと?) 東電の場合は、共産党の吉井議員に指摘されていたし、 岡村行信氏が、2009年6月、総合資源エネルギー調査会原子力安全・保安部会で、869年の貞観地震・津波により福島第一原発のある地域が壊滅的な被害を受けたと指摘、安全対策の必要性を主張していましたし、 東電、保安院の方が十分に予測可能であったと思います。
- bokeoyszi
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まあ、裁判官と言う生き物は目の前に有る資料でしか(特に国など権力がある部署なら)善悪を判断しない人が多い所。 今回の災害に対して1000年に1度の被害がこの時と考えた人はどの位居たでしょう、地域によってはテンデンコ・危ないと判断した時には自分個人の安全と思える所に先ず逃げろって物が有る。 1000年に1度の災害の予測とかを一般市民のどれだけが知っていたのか?そんな物がハッキリしてたら もっと大勢の命が助かっていたと思う、被害者のほとんどは何が起きた、先ず家の中を片付けないとで頭の中一杯、幼稚園の委員長も多分同じ考えだろう。 ただ東電や別、1000年に1度の災害でも大丈夫、長年の災害研究の元に作りますと地元や国内中に宣伝しバックアップもバッチリどんな状況でも原子炉は絶対暴走しませんさせませんと言っときながら・・・いざとなれば・・・いや想定外ですで終わりか?いざという時のバックアップ電源が使えない物を用意するなど一般企業で働いている個人としてはこの企業としての常識の無さっぷりには呆れた・・・ そんな一般常識も理解出来ない裁判官も一つ穴のムジナ(井の中の蛙)って言われる生き物なんだよね。
東電であろうが国であろうが100%といっていいくらい 予測できたはず。 過去に2度経験済だから。 明治、昭和の三陸大津波を忘れ去っているから、 揉めるんです。
- Tann3
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親御さんの側にも、幼稚園の側にも、双方に悔いが残る事態だったと思います。裁判の勝訴・敗訴では決着の付く問題ではないと思います。 あの地震の後、あんな津波が来るとは、あの時は誰も予想していなかったと思います。これまでの津波警報の経験から、せいぜい50cmとか、1mとか、そんなものだろう程度にしか。 幼稚園にはマニュアルがあったようですが、「早く親元に帰して安心させたい」という気持ちは、本物だったと思います。「津波が来る」と警報が出ても、市民感覚ではあんな高さの津波が来るとは思っていなかった、というのが正直なところでしょう。仮に1000年に一度あるかもしれない、ということを知っていたとしても、「今がその1000年に一度の事態」と判断できるとは思えません。 その意味で、裁判所の判断も少し厳しすぎるかな、と思います。 東電や旧原子力保安院については、その時の津波警報に対してどんな津波が来るかと予想することではなく、歴史上の最大値を認定して、それにどの程度の安全マージンを見込んで設計するか、という話ですから、全然位置付けが違います。こちらは確実に「1000年に一度」あるいは「1万年に一度」を想定する責任があるのですから。 ただし、東電や旧原子力保安院の役人が、そんな津波に対する知見があるとは思えませんので、結局は「専門家」「学者」がそこまでの想定や予測を出せなかった、というのが最も根本的な原因だと思います。学者は、勝手な学説を無責任に唱えますが、結局は何の責任も取らないですから。自分の学説に自信があるなら、行政・社会全体を動かすところまでやる、というのが「専門家」の責任でしょう。 後出しじゃんけんで、「私は昔から警告していた」という学者さんは、震災後たくさん出現したようですが。地震後になって、急に「活断層」が話題になっているのも、そんなレベルの話でしょう。
補足
>結局は「専門家」「学者」がそこまでの想定や予測を出せなかった 2009年の岡村行信氏が指摘していますよ。 国会でも、吉井議員が質問しています。
- KappNets
- ベストアンサー率27% (1557/5688)
近くの小学校では生徒全員が裏山に避難しています。幼稚園は何故か(園よりも山側の)園児を海岸方向に送り出しました。この差は裁判で議論されねばならなかったのだと思います。 確か東電の社長などは訴えられています。 それぞれの裁判官がどう考えた(考える)かは知りませんが、「津波の予測」の意味は両者で異なります。園の場合は激震が来た後での状況判断ですし、東電は激震が来る相当前の判断が課題です。
- hideka0404
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はい。 でも最高裁で同じ結論になるんじゃないでしょうか?
- since_1968
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幼稚園の校長は、津波がくるの予測できたであって 東電や、旧原子力保安院は、想定以上の津波がくることってことでしょう。
- 23tomo-u
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補足で再投稿です。 園自体は海抜23メートルの高台にあって津波の被害は免れたそうです。 なのでいつも通りならやっぱり助かっていたかな。 防災マニュアル通りなら十分助かっていた。 園側の思い遺族の思い、双方がやりきれないですね。
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補足
第三者的立場ですが、 >平時は、海側の子を送った後に、バスは園に戻ってきて、山側の子を乗せて、帰宅させていたようです。 考えるに、山側の子を園に残すよりも、一緒に連れた砲が、無駄に園の戻らなくても良いので、 山の子も早く返せると判断したのでは と考えますが、 園のことはどうでもいいんです。 質問の趣旨は、園の問題ではないのです。 なぜ、東電や、保安院が起訴もされないか、 ということです。