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余命僅かな場合のお見舞…

先日遠方に住んでいる親戚が大病であと余命僅か(本人も周りも病状、状況は把握してました)だと連絡があったので入院先に行ったのですが普通に会話は出来たのですが何て声をかけていいか分からず本当に終始亡くなる直前じゃない様な普段の会話で終わってしまい元気になってまた会おうねみたいな感じで帰路についたのですが数日後亡くなったと連絡があってもっと気の利いた会話をしてあげれなかったのかと後悔しているのですがもし同じ様な状況だったらどんな内容の会話、対応をすれば良かったでしょうか?

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  • taba003
  • ベストアンサー率19% (5/26)
回答No.2

私にも同じような経験があります。 残された方は、あれもしたかった これも って心残りですね、 でも亡くなる人の気持ちを考えたら、常に日常の延長がいい  日常の延長の平常心 が 心安らぐのではないでしょうか もう死ぬから と思いながら1日 1日と生きていくのは辛いですから 普通に 淡々と 残りの人生を生きていたい と思う。 だから見舞う人も 普通でいいと思います。 見舞う側が この人はもう死ぬんだって ガチガチに構えていたら  患者側も 死 を意識して つらいと思います。 「また 会おう!」(心の中で 天国でまた会おう)で良いんじゃないでしょうか、、、

bikinilove
質問者

お礼

回答ありがとうございます。多分どんな事をしても心残りは出来てしまうでしょうね…「普通」っていうのが凄く難しいですね。

その他の回答 (3)

noname#188522
noname#188522
回答No.4

No.3です。お礼ありがとうございました。 うちはこの春に大切な肉親を見送りました。 改めて振り返ると、長い長い遠距離介護生活でしたが、 はじめた数年は、介護に悲観的な感じはなく、 病人も治すつもりで努力をしていました。 数年後にまた手術、その後合併症でまた手術。 亡くなる1年ぐらい前から、別人のように面変わりし、 余命3か月あたりからは、眠っていることが増えました。 そんな時、ひょっこり病床を訪ねてくれる孫世代の存在に 病人も家族も、ずいぶん救われました。 彼ら彼女らが病床で話す内容は、近況や子どもの頃の思い出。 ほんとうに「普段の話」なのです。 でも、なんと言えばいいのか。 「今生きていて、これからも生きていく人の話」。 例えて言えば、「希望」、「光」「日なたのほっこりした温かさ」 質問者様は、ご自分が思っておられる以上に、本当に良いことをされました。 どこの誰かは存じませんが、心からお幸せを祈っています。

noname#188522
noname#188522
回答No.3

まず亡くなられたご親戚に、お悔やみ申し上げます。 >もし同じ様な状況だったらどんな内容の会話、対応をすれば良かったでしょうか? ただ会いに行ってあげたらいい。 顔を見せてあげて、手を握ってあげたらいいと思います。 近況など尋ねられたら、心配をかけない程度に話します。 「普段の会話」、とてもいいですよ。 身内を見送る歳になってしみじみと思うのですが、 たとえそれが、少々ぎこちない再会だったとしても わざわざ遠くから顔を見せに来てくれたことが、 病人にとっての癒し、看病をしている者へのいたわりになっています。 余命を知ってのお見舞いは、気が重い、勇気のいることです。 遠方を理由に断ることが出来たかもしれないのに、 会いに行ってあげた質問者様は、本当に優しい方です。 亡くなられた方、見送られたご親族もきっと喜んでおられると思います。

bikinilove
質問者

お礼

回答ありがとうございます。きっと「会う」事に意味があるんですよね。遠方でしたが強行してお見舞いに行けて帰った後に聞いたのですが「会えて良かった」と本人が喜んで言っていたそうです。

回答No.1

気の利いた会話って・・なあに??? 日常会話で十分と思いますが。 それとも、あなたは死後の世界で・・などと話したかったのでしょうか? それとも世界情勢とか、経済とか? 人には、寄り添うしか出来ません。 無言でも良かった・・ しかし、無言も辛い・・お互いに・・で、日常会話や、昔の思い出があるなら、それで良しでしょう。 お見舞いに行けた、それで十分と思います。 それ異常は望まない・・それは自分に対して。

bikinilove
質問者

お礼

回答ありがとうございます。特にこれと言って話したい事があった訳ではないのですが最初は行く予定では無く色々あって「会っといた方がいい」という事になり強行して行ったのでお見舞いに行けて良かったと思うしか無いですね。

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