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楽しいことがあると死んでもよいか死にたくないか
- 楽しいことがあると死にたくないと思えば、それが楽しくなくなるかもしれません。しかし、楽しいことがあるからこそ生きる喜びを感じることができます。一方で、死んでしまえば楽しめないという事実もあるでしょう。特に老人の場合は、楽しいことがない人ほど穏やかに見えることがあります。周囲の人も、この人が死んでも未練がないと思っているかもしれません。逆に楽しいことがあり過ぎて生きる意味を見出せない老人には、もう少し生きてほしいと思うかもしれません。しかし、どのような事情にあっても、他人の意見や考え方に耳を傾けることが大切です。
- 楽しいことがあると死にたくない気持ちが強まる一方、楽しいことがないときには死ぬことに悲しさを感じることもあります。特に老人の場合、身体的な制約や社会的な孤立感から楽しいことがないことが多いです。そのため、楽しいことがあるからこそ生きる意味を感じることができますが、他人からは無関心に映るかもしれません。老人にとっては、生きること自体が喜びであり、楽しいことがあるからこそ生きていると言えるでしょう。
- 楽しいことがあると死ななくても良いと思えるかどうかは個人の価値観によるものです。楽しいことがあるからこそ生きがいを感じ、充実した人生を送ることができるでしょう。しかし、死んでしまえば楽しいことができなくなります。特に老人の場合は、楽しいことがない人ほど心穏やかに過ごせることがあります。周囲の人も、この人が死んでも未練はないのではないかと思うかもしれません。しかし、老人にも楽しいことを経験する機会や過ごし方の工夫を提案することで、新たな喜びを見つけることができるかもしれません。
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質問者が選んだベストアンサー
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A 楽しいことが日常にあって、これからも楽しく生きていけそうだ → 死にたくない B ずっと準備していた楽しめることがピークに来て、ああ、存分に楽しめた、あとは思い残すことはない→死んでも良い >死んでしまえば楽しめないというのも本当だと思います まあ、そうですね。 C >老人の場合は、なにも楽しいことがない人ほど穏やかに見えます。 感情の起伏が少ないのですね。 >周囲の人も、この人が死んでもなにも未練もないだろうから安らかに死ねるだろうと思います それは違うと思いますよ。内心、もう一花咲かせたい!と思っているかもしれません。人間の内心は他人には読めません。 >楽しくてしようがないという老人にはもう少し生きていてほしいと思い Aだからですね。当人も死のうとは考えないはずです。 >死んだときでも悲しい思いになることが多いように思います。 これは、やはりそのひとが周囲へも幸せを伝播しているからでしょう。 ひとはそうあるべきです。C にはならないほうがいいでしょう。
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- pct10968
- ベストアンサー率21% (641/2971)
じじいです。 楽しみたければ、余計な事を考えず全力で楽しみ 所有欲が出たら全力で所有すれば良いでしょう。 余計なことなぞ考えなくても、死ぬ時は全部置いていくものです。 何でも理屈でこねて、簡単な事を難しくしてしまうのが好きなようですね。
補足
貴方はどのようなことをどのように楽しんでおられますか。差支えがなかったら教えてください。具体的に教えていただくと見習いやすくなると思いましたので。
- shift-2007
- ベストアンサー率14% (143/1013)
楽しいと死にたくないはそもそも別の話じゃないですか。 楽しいというのは感情で、死は知識ですよ。
お礼
それが連想されてしまうのが執着なのでしょうね。こういう執着がない人がうらやましいです。ご意見いただき感謝いたします。
- pct10968
- ベストアンサー率21% (641/2971)
じじいです。 回りくどい理屈は理解出来ませんが、楽しい事があっても 死に結びつけて考える思考回路が理解できません。 楽しければ、無条件に楽しめば良いだけの事です。 悲しければ、無条件に悲しめばいいだけの事です。
お礼
楽しいことを失いたくないというのは執着とよばれているものだろうと思います。一種の所有欲でしょうか。若いときはこういう欲があっても執着として出てこないように思います。歳をとると所有欲が邪魔をして楽しめないということはないでしょうか。つまり歳をとったら、所有欲を捨てないと、何かを楽しめないということはないでしょうか。
- e-toshi54
- ベストアンサー率22% (728/3265)
67歳、男子。 この歳で「楽しみ=快楽」ということを主題に考えた時、自分にとって今までの人生で一番楽しかったことと言えば、好きな女性とのSEXでした。・・・そう「でした」という過去形です。 肉体が生殖という役目を終えた今、SEXをすること自体、生理的に無理ということを自認しました。つまり、その快楽はもう味わえないという諦めがあります。 と同時にその楽しみは充分味わった人生だったとも思っています。 今現在、生きている以上色々な楽しみはあります。ただ、それは楽しみ=生きがいではありますが、自分の場合その楽しみと死とは関連性は持ちません。楽しみは楽しみであり、死は別の現象として別の次元のどっかにあるという感じです。 いずれにしても、死への概念は老若男女に拘わらず、人それぞれだろうし、またそれぞれが変化していくものだろうと思います。
お礼
楽しみと死ぬことを結びつけてしまうのは執着というものでしょうか。納得できるご教示でした。
- tomban
- ベストアンサー率26% (2616/9771)
質問者さん、年齢がわかりませんけど、多分高齢の方ではないですよね?。 むしろ若い人かな?…高齢の人なら、質問の答えは自分でわかりますからね。 「楽あれば苦あり」なんです。 楽しいこと、楽しめるだろうことは、高齢になっても自分でわかります。 「元気があればなんでもできる」じゃないですが、高齢になるってことは、自分の限界を強く感じ取るってことです。 そうなるともう、楽しめることはわかってても「それが無理であること」はすぐに分かってしまう。 だから「まあ、止めとこうかな?」になるんです。 そういう姿が「穏やか」に見えるのでしょうが…実際には「諦め」なんです。 悲しみの姿でもあるんですよ?。 それがわかっていれば、周囲の人も「死んで未練はあるまい」なんて思わないものです。 楽しそうにしてる人も、全てじゃないですけど、どこか無理をして楽しい気持ちを「かきたてようとしてる」のです。 元気な自分が好きだから、元気でいたいんですよ。 多分、だれでも年老いてくれば「未練」が出ます。 あれもこれもやっておけばよかったなぁ、と思うものです。 ただそれを「今言ってもしかたがないしね」と諦めるか、もしくは「いや、出来るものはやっておこうか」と思うか、という違いだけです。 どちらにせよ、必ず「やり残し」は出ます。 後悔はあります。 人間、楽には死ねないよ?。 簡単なことじゃないからこそ、今を懸命に生きなきゃいけないんだ。 …わかるかな?。
お礼
ご教示感謝いたします。なるほどと思いました。
- KoalaGold
- ベストアンサー率20% (2539/12475)
老人の場合健康面の一点で割り切れると思います。 楽しくとも楽しくなくとも老体が壊れて動かなくなったら終了。痛みや苦しみを引きずっているなら楽しくはありません。 楽しめるということは元気の証です。生命力が続いているので元気なうちになくなるとあっけなく感じます。本来エネルギー量が落ちて行って穏やかになり終了するものですから。 高齢になると感動しなくなり欲望もこだわりもなくなり生命力が細くなります。 元気な人にはまだ先があるだろうという意味で死ぬのはまだ早い言えると思いますし、穏やかな人はそろそろ燃え尽きるタイミングなのでしかたないと言えます。
お礼
死ぬことは考えないということでしょうか。ご教示感謝医いたします。
お礼
なるほどですね。見習いたいと思います。ご教示ありがとうございました。