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努力という言葉

世の中、努力しない人には厳しいです。それは理解できます。 努力しても結果が出ない人にも厳しいです。 僕は努力が報われず、最後の最後で駄目になったことがありました。 報われない努力。 世間は結果が出なければどんなに努力をしていても認めない。 それがわかっているからこそ、僕は自分が情けないと思ってしまいます。 結果が出ない努力など無意味…という。 でも、僕自身はダメでも、誰かが努力していて、それでも結果が出ていないことを情けないとは思えないんです。 なんというか、ミスっても、空回ってても、一生懸命やってる人は僕は認めてあげたい。 こんな考え、甘いですか?

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回答No.10

厳しい事を言いますが、勘弁して下さいね。 自分で「努力している」と思っているうちはダメですよ。 物事を一生懸命やろうとすれば、おのずとやるべき事が見えてきます。 それは、とてつもなく大変な事かもしれないし、 とてつもなく時間のかかる事かもしれないし、 とてつもなくお金のかかる事かもしれません。 でも、目標のために必要な事ならばやらざるをえません。 それで上手くいかなければ、やり方や方向性を変えたり、 自分自身の考え方を変えたりと、自分自身を変えなくてはいけません。 周りの評価を変えようとするなら、まずは自分が変わらなくては。 確かにあなたが言われるように、世の中、結果がすべてです。 プロスポーツ選手の世界を見ているとよくわかります。 高校野球の時にあれだけ脚光をあびて、日本ハムに入団した、 「ハンカチ王子」は今、もがいていて、忘れられています。 その「ハンカチ王子」に甲子園の決勝で敗れた田中まー君は、 今や日本を代表するピッチャーになっています。 でもきっと、ふたりとも、ものすごく努力していると思いますよ。 「結果が出ない努力は無意味」だとは思いません。 「失敗は成功のもと」と言うではありませんか。 「結果の出ない努力」を経験するからこそ、 「結果の出る努力」が見つかるのだと思います。 「努力している」かどうかは、結局自分が決める事ではなく、 周りが決める事なんですよ。成功して初めて努力は認められます。 こうやって書きながら、あなただけにではなく、自分自身も戒めています。 頑張って下さい。

pyonki2
質問者

お礼

皆様、回答ありがとうございました。 弱気になり、本当にふと思ってしまったことなのですが、こんなに真剣に回答していただけて本当に嬉かったです。 結果が出るために何をすべきか考え、それが他人に評価されて初めて努力といえるのだな、と改めて感じました。

その他の回答 (9)

  • shift-2007
  • ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.9

人は人生に対して何かしらの結果を求めています。 幸せになりたい、お金持ちになりたい、野球の選手になりたい、会社を興したい、等々 逆に人生は人に何を求めているのだろうと考えると、 結果よりプロセスを求めているのではないかと思えるのです。 目の前の事象に対し、何を感じ、何を考え、何を選択するのかその経験値を求めているのではないでしょうか。 人生にとっての価値とはどれだけ経験値を上げられるかという一点ではないでしょうか。 つまり、学びです。 生きる意味が分からないという人がたまにいます。 結果が得られなければ意味が無いというのも分かりますが、もう一つの大きな視点(人生から見た視点)を意識するべきではないでしょうか。

  • dremp
  • ベストアンサー率47% (128/272)
回答No.8

だいたいは、No.1さんなどの回答と同じ意見ですが、少し補足します。 >世間は結果が出なければどんなに努力をしていても認めない。 必ずしもそうでないと思いますよ。状況によりけりです。 たとえば、最初からほとんど不可能と思ってもやらなければならないことはありますよね。 また、本人の実力以上の結果が出せれば評価されることもある。 極端な例ですが、オリンピックで、銀メダルで失望される選手もいれば、入賞できなくても称えられる選手もいる。極端ですけれどね。 それはそれとして。 >ミスっても、空回ってても、一生懸命やってる人は僕は認めてあげたい。 そう思うのは、貴方の考え方ですし、貴方の好みですから、自由です。 誰に断る必要もない。 誰かにその考え方を共感してもらいたい、共感してもらわないといけないものでしょうか? >こんな考え、甘いですか? 思うのは貴方の自由ですが、ただ、盲目に認めるのは甘いかもしれないですね。 だいたいは前の人たちが書いてますが。 努力が報われないというのは、ほとんどの場合 (1)努力の方向性が間違っている (2)目標が、能力に対して、乖離し過ぎている。 (3)不可抗力(運のようなもの)で、達成できるはずができなかった。 のいずれかです。 なので、努力を認めてあげると同時に、達成できなかった理由が何なのか、おかしくなかったのか、それをきちんと把握すべきでしょうね。 努力の方向性が間違っていないか、目標設定に無理がなかったのか、自己満足の努力や目標設定ではなかったか。 または、本当に運が悪かっただけなのか。 (1)(2)に問題あって、さらに本人の問題であれば、そこはマイナス評価をすべきですよね。 そこまで考えて、それでも認めてあげるべきと判断されるなら、甘くないでしょう。 そうでなく、ただうわべだけの一生懸命を認めたいなら、甘いかもしれません。

noname#196134
noname#196134
回答No.7

もちろん結果を求めて努力するのですが、努力と結果は別物ですよ。 たとえ結果は出なくても、努力で培った忍耐力やスキルは残ります。

  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9771)
回答No.6

君の年齢によっても、答えが変わってくるんだけどね。 まだ未成年なら「そんなことないよ」っていうし、成年して社会に出てて、仕事バリバリ世代なら「甘いよな」ってことになる。 つまり、努力って、その人の立場とかによって「評価」が変化してきちゃうんだよね。 若いうち(子供のうち)は、努力することって難しいものだから。 努力は「自分を高めるためにするべき行動のひとつ」に過ぎないもの。 それが理解できている大人であるならば、それは「必須」なんだよね。 だけど子供のうちには、努力はできても「仕方」がイマイチわからないので、難しいんだよね。 君が言うとおりの「空回り」の原因はそれなんだよ。 大人がする努力っていうのは「実らせるためにする努力」であり、確固とした理由がなければすることはない努力なんだ。 だから、大人の努力は空回りしない。 失敗してもそれで終わらせない、という「しぶとさ」がある。 一度空回りしてもそれで終わりじゃ無くて、二回転目で食いついてやる!という、しぶとさだね。 だからこそ努力が長く継続できるんだ。 だからもし、君が成人しているならば「他人の努力を応援するくらいなら、自分の努力をする時間を作ってください」ということになる。 他人の努力のために、自分の可能性が食われているということを理解しないとね。 そういう意味で「甘い」ってことね。 まあ、いずれにしても、子供は大人になる。 だから「大人の世界ってそういうものだ」って知っていただければ。

noname#183992
noname#183992
回答No.5

なんかいろいろと勘違いが多いですね。 まず、努力ってのは、方向があるんです。 報われない努力ってのは、やり方が間違っているんです。 ほんとうの努力は楽しいこと、好きなことを徹底的にやることです。 だから、楽しいし、努力が評価されるかどうかなんて、 関係ありません。 努力を評価すべきか否か。 それを論じてる時点で、間違った努力をしています。 他人の評価を気にしてする努力は、ニセモノです。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.4

 資本主義社会では、結果が全てです。「結果が出なくても、努力すれば評価される場機」なんて言うものは学生生活だけです。努力などしなくても大金を稼いで夢のような生活をしている人はいっぱいいます。つまりは才能です。  私のように才能が無い人は無駄な努力はせずになるべく地味に生きていくだけです。、

回答No.3

肩の力ぬいて気楽に生きたら

回答No.2

努力と言ったって、方向違いの努力は無駄なだけ。 あるいは、自分では努力したと思っても、自分の望む、あるいは相手の望む域に達していなければ、いわゆる努力不足。 それでは、結果(効果)がでるわけもない。 大抵、努力したと言う人は、努力不足か、方向がずれている。 そもそも、本当に頑張った人は、努力した・・などとは言わない。 >>なんというか、ミスっても、空回ってても、一生懸命やってる人は僕は認めてあげたい。 どうぞ、そうして上げて下さい。 しかし、何の役にも立ちません。 努力・努力・・などと言っている人は、結果だけを求めているのです。 が、結果ではなく、プロセスが大切。 その当たりから考え直す事ですね。

noname#195146
noname#195146
回答No.1

>なんというか、ミスっても、空回ってても、一生懸命やってる人は僕は認めてあげたい。  普通はそうなっていますよ。  充分にうまく行ったら、努力したかどうかは問われません。努力していた場合は、褒めるときに付け加えることはありますが、それだけです。  問題は失敗した、あるいは成果が不充分だったときです。このとき努力が不足と思われれば何もかも非常に責められることになります。努力していた場合は、結果だけが責められます。  努力は当たり前という前提があるのです。ある人が努力を主に褒められるとき、それはその人が一人前でないことを意味します。  努力が褒められるのは、子ども、学生、新入社員といった、社会に対して一人の人間として充分な働きができなくても仕方ないと思われている人だけになります。  努力を主として褒めるとき、それは同時に相手を半人前扱いしていることにもなります。それは一人前の人間に対しては失礼、ときには最大の侮辱となります。  だから失敗かどうかに関わらず、努力したと分かっていても、めったに人前では言いません。少数の親しい人だけになったとき、例えば飲みに行ったとき、ちょっと「よく頑張ったよなあ」と言う程度です。

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