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努力という言葉は禁句?
- 努力という言葉を使うと従業員から反論されることがあります。
- 能力や才能の格差よりも努力の格差で人は成長するという信念を持っています。
- 努力の大切さを伝えるために話すことがありますが、敬遠されることがあります。
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質問者が選んだベストアンサー
おばさんです。 >努力の格差で人は成長すると信じています。 正論だと思います。 ですが・・・正論すぎることだから…ではないでしょうか。 貴方は経営者(上司)側として、純粋に努力の大切さを<さらり>と話しているつもりでも、雇用されている立場の従業員(部下)側としたら、その言葉は<努力しろ>と<押しつけ>になっているのです。 同じ対等の立場なら、貴方の言わんとすることは伝わるでしょう。 ですが、立場が違えば、意味合いは大きく違ってくるんです。 経営者(上司)側が努力の大切さを話せば、そんなつもりは全くなくても、従業員(部下)側は努力が足りないと言われている…と、捉えます。 従業員(部下)側の仕事に<満足していない>から、努力が大切という言葉になる…と、捉えられるんです。 言われた従業員(部下)側にしたら、やった仕事は<認めてもらえず>もっと<努力しろ>と、経営者(上司)側から<命令>されているようなものなんです。 考えは正しくても、立場を考えて話すことや、話す相手を考えることも必要だと思います。 また、話をされる時には、最初に相手を<充分に認めてから>にされた方が、良いかと思います。 ただ、残念ですが、その人その人の考え方、取り方もあります・・・。 ご参考までに…。
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- kae531274
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こんにちわ^^ 質問者がおっしゃるとおり、「能力や才能の格差より、努力の格差で人は成長する」 という点では、私も同感です。 NO.1の方の意見と少し似ていますが、相手がそういったタイプの人であれば、自分の 働きや成果を否定されたと誤解したり、劣等感が強まったりと、プレッシャーになるだけ のような感じがします。 正論だからこそ、人によってはそれが圧迫に感じることもあるのではないでしょうか。
お礼
難しいですね。 私が努力を語る相手は選んでいます。 それは人の格差は生まれ持った「能力や才能の格差」だと思ってるような人に話します。 もとより努力している人には話す必要もないし、努力家はすぐ受け入れてくれます。 なかなか受け入れてくれないのは、家庭や社会や学歴や能力のせいにしている人達なのですね・・・・。
- twbb
- ベストアンサー率42% (76/179)
私にとって努力というのは苦手な分野ですので、従業員の方の気持ちもわかる気がします。 努力ということばからは、目標や具体的な内容が消えていて捉え難いイメージがあります。 言葉としては、努力よりも挑戦や研究、あるいは試行錯誤などの言葉の方が より積極的で具体的で達成感を期待できる楽しいもののように感じられて好きです。 人は自分を認めてくれる人の為に働くものです。 自分を認めずに努力ばかりを求めてくる人の為に働こうとはしないものです。 「あの人の喜ぶ顔がみたい」そんな気持ちの結果が努力です。 本人の成長の為に努力は必要であると言いたいのかと思いますが、 自然と努力するような環境を与えてあげることが大切だと思います。 結果には必ず原因があるのなら、努力を原因にするのではなく結果を努力にするべきかと思います。
お礼
>自然と努力するような環境を与えてあげることが大切だと思います。 いいお話ですね、そうですよね努力せざるを得ない環境に放り込むこと大事ですね。
「自分は常日頃、能力や才能の格差より、努力の格差で人は成長すると信じています。」……おっしゃるとおりだと思います。 「自分なりに努力しているつもり」の人は、その言葉に反発する意味で、あるいは「努力をしていない」と自覚をしている人は、図星を突かれたという意味で、「努力しろ」と言われると嫌な気分になると思います。 「自分はあんまり能力がないと思ってるような人」は、自分の能力のなさを努力ではカバーできないという意味で、やや自嘲気味に、敬遠してしまうのではないでしょうか? 人間の心理として、誰でも「嫌」ですよね。特に、職場で上司から言われるのは尚更ではないでしょうか?原因は分かりません。「格差社会」……努力しても、どうにもならないという閉塞感、現代に豊臣秀吉は生まれないという思い……が生んだ弊害の一つと言えるかも知れません。「時代」のせいにしてしまうのは、簡単ですが、社会のいろいろな現象、事象に、日本の社会や人間が崩れてきているのを感じます。 解決策は私の能力、経験からは、残念ながら示せません。あなたの人間性と、言っていることの正しさを理解してもらうまで、「諭し続ける」以外に方法ははないのではないでしょうか?
お礼
>努力しても、どうにもならないという閉塞感 この言葉あたりになにか努力の無意味さを感じる人が多いのかもしれませんね。 僕の持論は努力って楽しいことだよと思っていまして、大抵のことはこの努力で成し遂げられることを 体験してきていますから、余計強調したいんですね。 少し話しを下げると、19歳のとき26歳の年上美人を1年かけてベットインまで持っていったことを今でも努力が奇跡を起こしたと思っているのです。 結婚願望が強い女性でしたので、はなから相手にされなかったし、もてていた女性でした。 いやがられない距離間を維持し徐々に距離をちじめていく努力の過程がとても楽しく、並居るライバルに勝ちました。抜群の努力をしたからでそれ以外ないと思っています。 恋愛でさえ努力でなんとかなる、ましてや仕事なんてたやすいと解いても、いい反応がありませんね。
- osakajapan2001
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その答えは至極簡単です 努力する気がないからです
お礼
そうかもしれませんね。 馬の耳に念仏ですか
- JqqF
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誰かから、努力をしなさいと言われることは、今のあなたは努力していませんよ、と言われているのと同義なので、否定として受けれとれます。つまり本人が、今している努力を認めて貰えなかったと感じるのです。すると、言われた人の自己評価が落ちるので、その悩みが行動力を低下させるのです。 では、どのような言葉がその人の状況の対処に相応しいかと言うと、難しいですね。その状況を的確に掴み取るセンスが必要です。提案として、「ドンマイ」は如何でしょうか?
お礼
>提案として、「ドンマイ」は如何でしょうか? 久しぶりに出会いました。 自分が期待している人物に「努力って努力そのものに幸福を感じるとと思うんだよね」とメールしたら、 「私の好きな人の言葉に(努力は賞賛に値するが評価に値せず)というのがあります」と返信してきました。反発してんのか!この野郎!もう目かけないぞ!と思ったものです(狭量なのでございます)。
お礼
>貴方は経営者(上司)側として、純粋に努力の大切さを<さらり>と話しているつもりでも、雇用され >ている立場の従業員(部下)側としたら、その言葉は<努力しろ>と<押しつけ>になっているので >す。 そうかもしれませんね、難しいですね。 本気でよくなって欲しくていっているのですけどね。 もう少し私が辛抱しないといけないのでしょうね。