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鼻濁音についての質問です
- 鼻濁音についての質問です。基本的に、語頭及び語頭に準じる時にのみ、非鼻濁音で発音し、それ以外は鼻濁音の発音とのことらしいですね。
- 鼻濁音圏の人たちは鼻濁音で発音しているのでしょうか?非鼻濁音圏で育った私からすると、このような場合に鼻濁音で発音すると、柔らか過ぎて、文意を成さないくらいに感じてしまうのですが・・・
- 特に「(他の誰でもない)お前が、行くんだ!」などでは、「が」を強く非鼻濁音で発音したいのですが、標準語の日本語としては間違っているということでしょうか?
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しょうがねしょうがね。 何で朗読のボランティアを選んだの。普通は私は濁音地域だが鼻濁音の朗読が出来ますを楽しむ人が朗読を選ぶ人じゃないの。方言で読んでいいなら何の技術なわけ。漢字テストちゃうやろ。 女ゴコロは勉強になりました。しかし日本語に巻き舌はねえぞ。 山口百恵は鼻声気味ですが彼女の歌は鼻濁音でしょう。 首都でもない浪花を標準にするのが間違いです。それをやっちゃあ吉本よ。吉本が嫌いなら吉本ネタはやめましょう。吉本を面白いというのは関西西日本です。世界中で歌謡曲は全滅です。吉本化(低俗化)しているという事です。アホの坂田へのコメントはさんまの社交辞令です。さんまは大阪人じゃありませんが大阪人以外はアホの坂田をただの無芸としか思っていません。というか関西トークは関西以外の常識じゃないのです。大阪の吉本芸人は東日本では無価値です。自分に価値があっても相手には無価値なのは吉本ネタと濁音です。朗読で鼻濁音に価値があるのさえ認められないのは同じノリです。若手の吉本芸人は北海道と沖縄出身がいるじゃないですか。その地域への居住は質問者が選らばれたからですか。どちらも日本人の歴史が浅い地方です。フィリピンほどではないが。それ以外の地域でどうかです。群馬の人がどうとかおっしゃるがそれが私の言う関東人の気持ちが分かってない寅さんなわけです。鉄板焼屋のおばさんは関西弁相手にも接客しますが嫌々してんです。あんた大阪かあなんやけったいな話し方やなあ~とは思っても死ぬまで聞くことはないでしょう。武士のごとく以心伝心が関西以外の文化です。やめえなおばちゃん忙しいんやからごめんなおばちゃん仕事の邪魔してあんたおばちゃんにあやまりいと隣の関西弁が話し出したらもう店のおばさんは帰ってくれが本音です。そんな吉本なやり取りは無価値です。
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全く検索をせずに回答してきましたが「鼻濁音で唄えぬ歌手」を読んだら面白かったです。都はるみは濁音で天童よしみは鼻濁音らしいです。 歌唱力のない私はいい旅立ちを歌ってみましたが助詞以外は鼻濁音で歌えませんでした。 鼻濁音地域の私に助詞の鼻濁音を教えて意識させた最初で最後の人は東京の人ではなく船場辺りのインテリのいとはんです。彼女は(私に対して)標準語で話すインテリ関西人です。 鼻濁音を鼻にかけやがってと言われようがフランス語のように鼻にかからないので区別して行鼻音ですかね。つまり鼻音です。そのインテリ関西人は病気か何か知りませんが鼻声の人でした。そういう声にうるさい女性は全国に多くて私は好かれます。私は鼻声ではありません。 関西弁と標準語は行鼻音だけの違いではありません。行鼻音だけ標準語で他を関西の発音をしろと言われたら私には出来ません。ガだけではありません。しかしなぜかガだけ強制されます。しかもそのガの発音のうち鼻音の要素だけですからその一点は最低限の試験なのでしょう。 わざわざ、ンガのような発音にはなりません。ンガは鼻声あるいはご批判のナメクジです。gの代わりにnの音を出すのです。gの音を出したくないからです。だからgaの鼻濁音はaに近いのです。喉の奥を鳴らさないから結果的に鼻濁音になるのです。あいまいな発音でありそのぼんやり感が楷書に対する草書のように美的とされているのでしょう。ソフトな印象というのはその通りかも知れません。 頑張っても私は鼻濁音です。フランス語のような鼻濁音ではありませんよ。gの音を限りなく弱くしてガがハやアと区別できたらいいという事です。gを出したいの方が世界標準です。だから大阪は非日本的なんです。g以外をはっきりさせてgだけはっきりしないのが関東音でしょう。豚カツは関西音だとトォゥンカツゥです。私はンカの音が薄いです。トォゥンと発音していません。トォゥンと発音してンカを弱くしたらナメクジですし言葉になりません。鼻音以外の発音が関東違うのです。 カラオケの時の発音のように朗読は全音に関して朗読の発音を楽しまれるべきです。私だって朗読は地声ではありまへん。朗読用の発声でその音遊びを自分でも楽しむわけです。 ボランティアが色々あるなかで朗読のボランティアを選ぶ人はあなたとは逆に非日常的な発音を真似るのを楽しむのだと思いますよ。
補足
ナメクジのようなフランス語を、世界一美しい響きの言葉だと世界に喧伝したのは、自信過剰のフランス人自身に違いありません。 同様に、鼻濁音が美しい日本語だと喧伝しているのは、鼻濁音圏の自信過剰の日本人だと思います。 「鼻濁音で唄えぬ歌手」を私も読みました。 渡部亮次郎氏がフランス語が好きなようで、端から鼻濁音も好きになるに決まっています。 そして、「が」に違和感あり、「ぎ」に違和感ありとか書いています。鼻濁音を使わない歌手や俳優を、鼻濁音を出せないから出さないという書き方をしているし、そう思っているようです。鼻濁音を美しいと言う人たちは、濁音圏の人が鼻濁音をどう感じるかについては全く思いを致さないようです。少なくとも日本人の半分は濁音を汚いとは感じないし、鼻濁音を美しいとも感じないのです。 「おんなごころ」を「ご」と濁音できしむように発声することによって、悲痛な感じを味わっているのである。「んご」では悲痛な感じを感じることが出来ないのである。この「ご」によって感動を盛り上げているのだから、歌の鑑賞の仕方としては見上げたものなのに、自分たちだけの価値観で「が」が汚いから美しい「んが」にすべきだという。 見かけだけの美しさと心の感動ではどちらが大事だというのだろう?濁音圏の人の感じ方を知らないでものを言うべきではないと思います。 同じく都はるみのヒット曲に「大阪時雨」があります。これも最後に「~しぐれ」と濁音の歌詞があります。これは「ぐ~れ」と「ぐ(GU)」を搾り出すように言うからこそ、雨と涙を搾り出すような感触を味わうことが出来るのです。搾り出すのは濁音でないといけません。「んぐ」では涙を絞りだせないのです。濁音圏のはるみファンはそう感じるのです。 「美しい日本語の喋り方」の鼻濁音編がYouTubeであったので、見てみました。 講師が「かがやく」を例に上げていました。「が」を濁音で発音してみると言って、殊更「が」にストレスを置き「かがっやく」と言いました。そんなに「が」だけ大きく発音し、「がっ」と言えば、汚く聞こえるのは当たり前です。我々濁音圏の人間は「かがっやく」などとは言わず、普通にさらっと「かがやく」と言ってます。それは決して聞き苦しくもないし、汚いものにも感じません。逆に「かんがやく」などと、ねっとり言われると「お前、風邪ひいてるのか!はっきり喋れ!」って言いたくなります。 このように、感じ方は東と西では正反対なんですから、一方が他方を「美しくない、汚い」というのはやめましょう。まあ、言ってもいいんだけど、押し付けるのはやめましょう。 美輪明宏が「鼻濁音」にうるさいそうですが、彼は昔の日本人の立ち居振る舞いの上品さにも憧れています。 立ち居振る舞いの上品さは世界中共通で異ならないでしょうが、鼻濁音は世界中の誰にとっても上品かというとそうではない、ということに気付いていないのですな。
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それもまた同意見の上でですよ。 関西の職人は商売人に思えるわけ。関東の商売人には商売人に思えないくらい無愛想なわけ。 典型的な下町の店は愛想がないんですよ。愛想のない人らの街だからです。団子屋でテキヤの寅さんが接客始めるとみんな困った顔するでしょう。極度に明るいテキヤであって下町の商売人じゃないんです。 客とケンカしたいのかという店ばかりです。低所得者で明るいのは上機嫌な苦役列車的な人らの会話だけです。 貧乏のたこ焼きで陽性に優しいなんてのはないんですよ。 大阪は陽性です。関東は優しくても陰性であり寅さんは陽性なんです。おいちゃんおばちゃんヒロシのレベル以上にならないのです。 大阪の陽性さが異常なんです。 大阪と沖縄と九州の一部と北海道は全く標準的な日本ではありません。それらの地域を基準にしたら間違いです。 関西人が東京の下町風な鉄板焼屋でこういう店がいいよねと私に主張したがっていましたが、彼ら関西人は店のおばさんが彼らの相手を嫌々してんのが分からない人らなんです。店の人ではなく客の関西人が明るいのです。大阪人は非大阪人の正確な感情を理解できないマイペースです。それがまさに寅さんなわけ。映画は大阪人を客観視できるものと思えばいいです。おいちゃんおばちゃんが気がよすぎるから寅なんかとの関係を続けているのです。現実だったら寅さんは下町の嫌われものですよ。大阪やったら嫌われものになりませんでしょう。大阪だけですよ。 地元でさえ客観的に観察できてない日本人はたくさんいます。東京の下町に寅さんはいませんよ。いるような思い込みで下町に行けばいたような感想になるだけです。店の親父やババアは接客したくないしそもそも開店動機は接客したいからではなく人間関係がわずらわしくないからでしょう。 大阪を含む先述した地方を基準にしたら食い違った日本認識になります。北海道と青森は遠い北海道と大阪が近く大阪は京都より沖縄に近いのです。大阪はケチつまりソロバンができるから下町の店を小さく明るく維持できるのです。明るい貧乏生活は関東では成立しにくいでしょう。成立するような気でいたら大阪との勘違いです。 むしろ東京に住み続けなかった大阪人の意見の方が参考になるかも。物価の話以外を客観的に掘り下げられるか知りませんが。 はっきり言って東京の下町は金があれば逃げ出したい地域ですよ。(浪花的な正味の)優しさは存在しません。下町の悪口言うのが東京の下町人。
補足
>大阪人は非大阪人の正確な感情を理解できないマイペースです。 これはよく見聞きしますね。しかし、そうでない私のような大阪人もいるのですが、極めて少ないのかもです。 >大阪やったら嫌われものになりませんでしょう。大阪だけですよ。 大阪だったら人気者になりますね。これは、大阪以外で住んで来てつくづくそう感じます。 松竹新喜劇の藤山寛美の18番が「アホボン」役であることはご存知ですか?坂田利夫というコメディアンが自分を「アホの坂田」として売り出したこと。ウィキペディアに「自らをアホ(阿呆)と称し、他人に軽蔑されても意に介さず、また明石家さんまなど後輩から「もう『師匠』なんですから、仕事をえらんでや」とたしなめられてもアホに徹するその姿は、芸人の鑑である」とあります。 コレは実は芸の世界だけの話ではないのです。日常でも、自分の欠点や行動の失敗が笑いになる土地柄なんです。仕事上の失敗でも些細なことなら、本人も周囲も笑いにします。笑って皆楽しむんです。他府県ではそうは行かないことを何度か体験しました。欠点や失敗は致命的な落ち度になって、突っ込まれて来ます。 寅さんのように欠点や失敗だらけで、しかもユーモアがあるんですから町の人気者になるでしょうね。実際の話です。 しかし、欠点と失敗だけでは人気者にはなれないと思います。それらがユーモアと結びついていないと人気者になれないです。ユーモアは必須条件です。 大阪だけが、アホを評価する価値観があるのが不思議でなりません。 私も多分「下町情緒」という言葉に洗脳されてしまっていたのかも知れません。下町にはどこでも下町情緒というものがあるんだと思い込まされて来たようです。 思い出しましたが、昔、熊本出身で東京に住んでいる人とたまたま話したことがあります。その人が大阪の下町の食堂に入って驚いたようなことを言ってました。「いらっしゃい!」「おおきに~!」と元気よく言ったから、と言うのです。「大きなレストランは言いますが、場末の食堂なんかでは何も言いませんよ」と言ってました。それを聞いて私も逆に驚いたんです。 宮城音弥の「日本人の性格」などをかじって来たのですが、大阪人は躁鬱気質だから明るい性格だそうですが、この躁鬱質は、関東奥地にもありますから、そこの住人たちも陽性だと思います。群馬から埼玉および長野東部を通って山梨その他、その地域に接近した所。そのあたりの人と接触して「人当たりがいいなあ」とか「明るいなあ」とか「親切だなあ」とか今までに感じたことはありませんか? 宮城氏も大阪人の「笑い」は研究しておりませんから、大阪人を躁鬱質という心理学の尺度だけでは説明し切れないでしょう。 >北海道と大阪が近く大阪は京都より沖縄に近いのです 沖縄に7年、北海道に8年住んで、彼らの息遣いまで感じることが出来ますから、う~ん、何を言いたいのかなあ、と思いますね。勿論貴方なりの根拠があるんでしょうね。 そろそろ疲れて来ましたから、根拠を示せ、議論をしようというつもりはありません。
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まず私の回答は私一人の意見です。ただ東大出の馬鹿が千万人に集まって一人の正直者より馬鹿でしょう。 私も寅さんは古きよき東京人だと教科書的に思っていました。山田洋二なのにね。日々馬鹿から賢く変わる人が賢い人です。 東京人は寅さんを愛される東京キャラクターと思っているでしょう。当たり前ですが東京人は寅さんを関西人とは思っていません。貴方が豊中を認めないように東京の下町の人の意識にも正統派争いがあって寅さんは東京人ではあるが下町は葛飾ではなく浅草だいとは思ってるでしょう。冗談じゃないよ、神田だよ。いやいや銀座こそ下町なんだよ、と。地理的な不満はあっても寅さんを東京人のキャラクターと思い込んでいます。それが普通ですよね。が、嘘ですよ。大阪人は正直なんで大阪は汚いわとか認識が正確になります。吉本は大阪やという間違いと同じく、寅さんは東京的だも間違いです。 刑務所の作品を書いた作家のアベジョウジは東京生まれではないし貧乏人でもないのですが彼の方が下町に似合うでしょう。ちょっと前に苦役列車で芥川賞を取った人は下町風ですね。粋なんていう世界じゃないですよ。下町のどこにも粋がないから粋とか幻想を言い続けてんです。たけしも粋に飢えて勘違い発言連発です。下町は職人的に無愛想です。戦前からずっとそうでしょう。だから愛想ばっかりいい浪花商人が大阪らしかったのですよね。東京は江戸時代から他人に厳しい場所なんです。私の憶測ですが熊さん八さんの落語は反動だと思いますね。落語家で選べば上品ぶらない立川談志の方が東京人です。優しい人じゃないでしょ。ベタベタするのが恥ずかしい行為ですから。黒沢映画用心棒の飯屋の雰囲気が下町でしょう。店の親父がベタベタしてきたら疲れるから客は逃げるでしょうね。関東は江戸以来ずっと馴れ合わない礼儀正しさを自他に要求する地域であり武士のいなかった大阪とは根本的に違います。 寅さんはいいなあと思うのは非現実だからです、しかし同時にあれが下町の姿なんだよとも言うのだから、日本人は虚実が整理できない馬鹿なんです。 昔、大阪のたこ焼きのお婆さんと初めて会話した時、なんて優しい接客なのかと思いました。保母さんのようです。そんなバアさんはいません。寅さんでなく団子屋のおいちゃんおばちゃんの雰囲気は正しい下町です。タコ社長とヒロシが現実で、寅さんは架空。みんな、あたしは面倒は御免だよでしょ。しかし寅さんは異色。つまり善良な関西人。
お礼
回答ありがとうございます。 鼻濁音の話ですが、非鼻濁音地域の音訳会に数箇所電話して訊いてみました。九州や沖縄です。講習の際には一応教えるが、ボランティアさんたちも苦労するようで「出来ないものは出来ない」で、校正対象にはしてないそうです。私の属している北海道は厳しく、道東は鼻濁音地帯で、苦労しそうです(T_T) 「下町」と言っても、抱くイメージは人によって相当違うのでしょうか?貴方が下町風といって紹介した安部譲二や西村賢太はヤクザの親分と番頭の雰囲気を漂わせています。確かにこういう人がうろつく町は職人的に無愛想です。 私が想定している「下町」は大阪のたこ焼き屋のおばちゃんがうろうろしている町です。安部譲二なんかに街角でぶつかると、ぶっ飛ばされそうですが、大阪のヤクザは、一応は恐いが、何故か話が分かりそうな雰囲気です。 豊中は面白い所で、豊中から東京へ出て全国発信する有名人が出るのです。元防衛大臣の森本敏、ベルサイユのバラの池田理代子(正確には東淀川区ですが、やはり阪急沿線)、ピアニストの西村由紀江。そして彼ら3人が提供する学説や芸術に感動的なものが何もないと感じるのです。 豊中だから嫌うのではなく、その音楽を聴いてみて「全く感動しないなあ!」とその出身を調べてみて初めて分かるのです。どうも偶然の一致とは思えないのですが・・・ あそこは大阪の下町とも船場ともかけ離れていて、むしろ高知に近いと娘は言ってます。彼女たちは、沢口靖子と違って「タンスにゴンゴン」のCMを頼まれても拒否するだろうと思います。 貴方の主張に耳を傾けるのは、それが、針の穴から覗いたものではないからです。そのくらいの違いは私にも分かります。世の中には針の穴から見える意見をさも宇宙全体を見たかのように主張する人が多いでしょ?
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貴方のご意見やご指摘は当たってますし私も同意見の上でネット限界上これまでのような表現をしています。つまり余談に関しては同意見の上でと解釈し直して欲しいです。大阪の下町は愛せますが周辺のニュータウンは全国共通のサラリーマン気質ですよ、しかしそんな細かい大阪論が本論ではなく、こちらの一般は関西というくくりなんだからその区分けにしています。島田シンスケ的な日本一排他的な京都なんかなどと悪口書き始めてもしゃあないです。本題の朗読鼻濁音についてはしゃあないしゃあないですわ。私が最初に聞き覚えて惚れた大阪言葉がしゃあないです。 日常会話の鼻濁音は意識してないから誰が鼻濁音の有名人と聞かれても私には分かりません。山田洋二は関西色です。黒沢明が関東色です。ほのぼのした言語ではないのです。白人社会的にドライなんです。その三船敏郎的な人当たりの悪い基本精神なのに江戸以来の神経質的なデリカシーを要求され続けている気の毒な地域が関東です。だから寅さんに憧れるのだがあれは渥美清ではなく山田洋二的な関西気質への憧れです。渥美清は人間嫌いみたいなタイプでしょ。それは東京人的ですよ。下町は無愛想です。浪花のたこ焼き屋みたいなのは一軒もありません。婆さんは恐い存在です。志村ケンの婆さんはどこかホッとしますがそんな婆さんは関東にはいません。発音も社交性も黒沢映画の世界です。黒沢映画は関西弁にできへんでしょ。寅さんは関西人なのに関西弁は全国受けせえへんのを東大で感じた山田監督が標準語どころか江戸っ子みたくしてしまえそしたら時代劇と同じく全国人気になるわいでしょう。寅さんの生みの親はミヤコ蝶々ですよね。あの芸人は関東の婆さんに通じる恐さのあるせいか関東人からも人気でビートたけしもです。 メッチャ関西ブームだからと関西が関西のまんま関東でチヤホヤされるのは韓流ブームと同じく浮気であり心のない友好話です。 本題は浪花っこ的な寅さんよりもハデハデ暴れん坊将軍よりも黒沢映画のぶっきら棒で情けのない地味で沈んだ雰囲気の黒沢映画の音声が関東だと思います。寅さんは現実の関東の地味な雰囲気を忘れさせる映画です。ああいうアホみたいに優しい感じは大阪の下町です。吉本の漫才やヤクザ映画は偏見を広めています。大阪も吉本が大阪なんやと笑いながら認めてしまい、間違った自己暗示にかかり奇形になったのです。関東もそうなりつつある。関西弁をナメクジに感じたら差別というのが関東の現状。
補足
回答ありがとうございます。 日本各地には数年づつ住んで来たので、そこの県民性は大体理解できているのですが、東京には住んだことがありません。5年住めば大体は理解できると思うのですが、残念ながら旅行で2回行っただけです。従って東京人の性格や性癖は間接的な知識から得ているものだけです。 今回、貴方のような方に偶然出会うことが出来、今まで私の抱いていた東京観が随分間違っていたことに驚いています。 先ず、「下町」というのは大阪も東京も日本全国同じ「下町気質」を持っているものと無意識に思っていました。東京に住んで実際に下町を観察する機会がなかったせいです。落語や映画で描写されるような、熊さんや八っつあんが出て来る長屋のような、そういう気さくな、気のいい人たちの集まりだと思っていました。 言わば、貧乏時代の名残りを留めている人だと思っていました。私の子供時代は焼け跡時代の名残りをまだ留めていましたし、今でもフィリピンでは90%以上が貧乏生活者で、下町気質の性格です。 だから、寅さんも東京の下町から出て来たあぶれ者のお兄さんを想定しているのだろうと思っていました。そして、こういうお兄さんなら大阪にもいるな、と思っていました。 しかし、貴方によると「下町は無愛想です。浪花のたこ焼き屋みたいなのは一軒もありません」これは私にとっては驚愕の事実ですね。 渥美清の私生活を知ると、付き合い好きな大阪人とは程遠い人ですね。その彼が、丸で正反対なキャラを完璧に演じてしまうのは、やっぱり彼の演技力なんでしょうね。とりあえず、彼が東京人的であることは納得できました。 山田洋二は関西色です。男はつらいよには関西の隠し味がある---これも、今回驚いたわけですが、東京の人は、フーテンの寅さんを、 東京の人間と感じて映画を見ていたのでしょうか? それとも、どこか架空の人間として見ていたのでしょうか?この映画は日本全国でヒットした映画ですから、東京人を知らない他府県の人たちは、私も含めて寅さんを、東京人の一人として見ていたと思います。 言葉に関しての人権蹂躙云々は、貴方に失礼かなと思いました。こんなことはとっくに承知しておられるだろうし、と思いましたが、やっぱり蛇足で失礼にあたったようです。 >大阪の下町は愛せますが周辺のニュータウンは全国共通のサラリーマン気質ですよ、 実は、豊中もそのようなんですよ。揚げ足を取るつもりはなく、関西と一口に言っても地域差があることをご存じないのかなと思い、またまた蛇足のコメントをしてしまったわけです。 補足といっても大半が私の感想ですから、無視して下さっても結構ですが、面倒でなければ 「東京の人は、フーテンの寅さんを、東京の人間と感じて映画を見ていたのでしょうか? それとも、どこか架空の人間として見ていたのでしょうか?」の質問にお答え下さい。
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「うん。が、どうだろうね」 私の場合、会話では鼻濁音でした(一番鼻濁音かも知れません。というか鼻を鳴らそうとする発音でした)。ンガアーですね。 つまり会話の音を表すならば。 「うん。がー、どおだろーね」 となり、「がー、」はngaです。関西はgaaでしょう。前か後ろかの差ですね。 念押しですが私が代表者ではありません。飾らない正直な回答である点は約束します。自分の普段の声を録音しておかないと難しいです。 少なくとも「うん。蛾、どうだろうね」とは別の発音になると思います。文意が判別できるための成り行きとして。 関東と関西では、橋と箸が逆になるんでしたっけ。土台、違うんですよ。 関西人限定で聴かせるかどうかですね。私はどっちでもいいと思いますが「蛾」では私には耳障りですよ。蛾の小説かよです。
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関西の方なら率直な回答に大人の対応してくれると思い馬鹿正直に書きました。 関西人は本音の存在者だから価値があると思います。だから関西人には関西弁を馬鹿にしてやっていいと思うのですがそれはいけない行為で腹の中で別件を非難するという近年の東京人はカスだと思っています。関西人とは本音で付き合うべきです。 関西は上方であり本来上流的な文化地域なのに吉本が大阪を下品なイメージにしたのです。下品な金儲けをしたわけです。しかしその吉本は阪大より尊敬するわとほざく関西人に支えられて成立しています。吉本をまず関西人が認め次に関東人が許し順番で堕落したのです。 上方のボンボンと東京のお坊ちゃんでは勝負になりまへん。後者は不良みたいなもんです。 奇遇というか、かつて大阪の中心街で朗読係をしていた自分を今ごろ思い出しました。その時私は鼻濁音を意識しながら朗読しました、それも思い出しました。私でも朗読作業すると鼻濁音にならなくなるのですね。だから訂正します。朗読と会話は同じようには行かないから鼻濁音につとめている、です。私は会話が鼻濁音だから朗読者の義務である鼻濁音に抵抗がないだけでした。 「お腹が空いていた。が、供物を食べなかった」 会話ではこの「が、」は使いませんから判りません。「でも、」と話します。 すいません、私は訓練を受けたわけではありませんので。そのルールに従われるしかないのは皆さん同じですよ。 あらためて質問されると意識してしまうのでどっちが自然体かわかりません。 「確かにもうかったな」 「うん。が、どうだろうね」 は、Gaだと思いますが(笑)、関西人のガと関東人のガは違いますよ。また東北や鹿児島も違いますでしょう。東日本は基本が鼻濁音で無理して非鼻濁音になると思います。朗読すると気張りますから私は非鼻濁音になりがちです。ボランティアはご苦労様です。無給なんだから自然体で読ませろはごもっともです。私がリーダーならまずそう謝ってからそのくらい頑張ってくださいよとお願いします。私も頑張って鼻濁音の朗読をしました。 山田洋二は関西人ですよね。寅さんは関西人監督の中にある美化された関東人です。角がはんなりしてます。そこに気がつく関東人は少ないです。黒沢の用心棒や七人の侍が関東人です。三船敏郎が関東人の本体です。基本音が鼻濁音的でしょ。寅さんは関西の隠し味があるから関東人も憧れるのです。
お礼
回答ありがとうございます。 自分が生まれた時から子守唄のようにして聞いて来た、自分の土地の言葉には誰でも愛着を感じるし、逆に、他地域の言語には時に、排他的になりがちです。 しかし「響きが悪い」「酒飲みが喋っているようだ」と他言語を批判するまでは、言論の自由で許されると思います。 しかし、「だから喋るな」「喋りたかったら、ここから出て行け」はもう人権蹂躙になりますね。寅さん流に言うと「それを言っちゃ~お終いよ」ですね。 こういう風にして日本政府は過去に、朝鮮語やアイヌ語を抹殺して来ましたからね。 山田洋二監督は大阪の豊中生まれですね。しかし、2才で大連へ渡り16才まで大連で育っています。大学も東京だし、大阪の要素はないのかなと思いますが、もし、両親が大阪人なら、大阪の心を受け継いでいる可能性はありますね。 豊中ですが、数年、豊中に住んだ娘によると「豊中は大阪じゃない」って言ってます。「(同じ町内の)道で会っても挨拶しないし、しても壁があって白々しい」と言うのです。"大阪のオバちゃん"なら絶対に挨拶して近寄って来ますからね。 同じ大阪でも阪神沿線の大阪人と、阪急沿線の大阪人とでは、違うということですね。 ついでながら、"関西人"とまとめて言われることが多いのですが、私は昔、京都や三重の友人に大阪的なものの言い方をして随分腹を立てさせてしまったことがあります。同じ関西でも相当、差があると思います。 私自身は上品な両親から受け継いだ部分と、下町育ちの下品な部分の両方を持っております。 >寅さんは関西人監督の中にある美化された関東人です。角がはんなりしてます。そこに気がつく関東人は少ないです。 偉大な発見をされていますね。新説を知って感動しています。 そう言えば、寅さんは、関東弁を喋る「大阪の粋なお兄ちゃん」のように感じていましたから、貴方の説に納得がいきます。 >三船敏郎が関東人の本体です。 だとしたら、関東人もなかなかカッコいいですね。彼もそうすると、鼻濁音で喋っているんですね。 高倉健はどうですか? あの映画の中のイメージは関東人ですか? 渥美清は生粋の東京人ですね。昔の話ですが、東京の漫才師には面白い人がほとんどいなくて、笑いはやっぱり大阪だな、と思っていたのですが、志村ケンも東村山、一応東京出身ですね。私の知り合いで外国育ちの外国人が志村のコントの大ファンでして、志村を「天才だ!」と評していました。寅さんの、あの味はどこから出て来ているのか、興味がありますね。
補足
>関西人のガと関東人のガは違いますよ 関東人のガは、関西人のガに比べて軽く発音するのでしょうか?
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私からすると韓国ドラマは関西色なんですわ。浪花節のわざとらしさです。どちらも漫画チックな演出を楽しむわけでしょう。吉本のお笑いがお嫌いなようですが私もです。しかしここ十数年は東日本でも吉本人気です。ついにはNHK教育テレビなどにも吉本タレントが出演しています。アナウンスの権威である日本放送協会の語学番組でさえ非鼻濁音タレントを起用してますから俗世間で鼻濁音が減少するのも無理はありません。吉本の醜さはわざとらしさであり関西のどぉぎぃつくぅせなあおもぉろおうないぃが行くところまで行ってしもうたわけです。あるがいいというしょうもない中年以下が全国にいます。この大阪のどぉぎぃつくぅは戦前からそうです。大阪ファッションがファッションヘルス以上にケバケバしいのは全国の認識です。 フランス人と接しは私の話です。その講師に接するまではフランス語はフランス語であり鼻濁音の言葉ではありませんでした。しかし鼻濁音の矯正で辟易しフランス語と言えば糞鼻濁音のイメージに変わりました。質問者もそうした背景によるものではありませんか。ラジオやニュースで標準語を聞かれるわけだし全国的な音声は鼻濁音の方が多いはずです。今さら鼻濁音を意識されるのには理由があってそれが原因ですよ。質問者さんが今さら鼻濁音を強要されんでもいいでしょうに。はっきり言って全国からアナウンサーを募集せずに首都圏だけにしたら鼻濁音なんかテーマにならなかった思いますぅ。意識にありません。意識しているのは質問者さんの方です。 余談として昔から関東には隠れ関西人みたいな人らがいましたが標準語で話されていました。関西弁は関西おばちゃんぐらいでした。関西男は男ですから世間に合わせていたのです。しかし最近は関西男が思っきり関西弁で話しています。耳障りです。東京の雑踏や満員電車でも関西弁だけが耳につきます。これはびぃだぁくぉおんだけの問題ではありませんがそうしたラジオを消しても逃げられない近所の日常が荒らされる事情の方が精神的苦痛ですよ。なんで関東で関西弁にならされなあかんねん。多様性とかアホちゃうかです。JR東「日本」のハングル表記の次に不愉快です。 鼻濁音の地域は多いと思いますが全国で標準語の鼻濁音をナメクジみたいやと感じる人がどれくらいいるか興味あります。私が代表者ではありません。もっと露骨に再質問されるのもよろしいかと。真の多様性とは他者と混ぜ合わせない事なのに自己破壊バカですよね。
補足
先ず本来の鼻濁音に関する質問です。 次のような場合も鼻濁音ですか? 「太郎はその時、随分お腹を空かしていた。が、決してお供え物のお餅は盗ろうとはしなかった」 空かしていた、で一旦切って一息おいて、「しかし」という気持ちで「が」と朗読したい場合です。 この場合は「GA」と読みませんか?それとも「NGA」ですか? ################## 「わざとらしい」のは致命的な欠陥だと思いますね。 勿論、どんなドラマでも、笑わせたい箇所、泣かせたい箇所、訴えたい箇所はあるはずですが、その意図が露骨に見えるのは先ず作品として失敗だろうと思います。見える代表格が吉本だと思います。 韓国ドラマは沢山見られていますか? わざとらしいストーリー展開を俳優たちのレベルの高い迫真の演技が、ドラマにリアリティーを持たせ、架空の話を現実の話のように視聴者に錯覚させています。日本の俳優たちのように、演技力の不足を大げさな演技で補おうとするから、不自然になり、如何にも作り話だなという感じを抱かせてしまいます。 日本の若手俳優の演技はわざとらしいのです。 「男はつらいよ」の寅さんシリーズはどうですか? いくら見てもまた次を見たくなりましたね。俳優の演技にわざとらしさは多少あるのですが、吉本のようにイヤにはなりません。むしろ、爽やかさを感じますね。吉本とどこが違うのでしょう?ヒマがあったら考えてみます。 吉本は私の中では最低レベルの喜劇です。 大阪にも上品な大阪があるのをご存知ありませんか? 何十年も前、NHKで放映されていた「横堀川」などで描かれている大阪ですが、下品で、どぎつくて、ど派手、という大阪のイメージとは違ったものを感じられると思います。 実は、私の母親が船場の出身で(センバのいとはん)非常に上品な人でした。「大阪のオバちゃん」とはかけ離れていました。 吉本が広めた大阪のイメージは阪神沿線や南部の泉州人、河内の近鉄沿線の人たちです。宝塚沿線、阪急京都線沿線の人たちは、あれほど 下品ではないし、帝塚山や芦屋に住んでる上流階級の大阪人は下品ではありません。 priscreenさんは外国を旅行したり、暮らしたりした経験はお持ちではありませんか? 外国では、一般的に1つの国でも色々な言語が溢れていますから、そういう状態に馴れてみると、他人種がうるさく自分の横で自分の解せない言葉をぺちゃくちゃ話しても気にならなくなります。 フィリピンには10年ほど住みましたが、首都圏ではタガル語が飛び交っていますが、銀行や役所では英語を使う人もいます。一歩中国人街に足を踏み入れると、甲高い中国語が飛び交っています。うるさいと言えば確かにうるさいですが、そういうもんだと思っていますから、特に嫌悪感も反感も起こらないですね。南部のビサヤ地域に住んでいたのですが、村の中国人家庭に行くと彼らは家族同士、中国語(福建語)を使って話していますが、私とは英語で話します。「ちょっと!そのうるさい中国語やめてくれ」とは思いませんでした。 関西人が関西弁でうるさい、とのことですが、基本的にどこに住んでも自分の言語は捨てる必要はないものと思います。 私がフランス人に横で会話されても、あっちへ行け、喋るなとは言えないわけです。それを言うのは国際常識に反するというのが、暗黙の了解になっているのだと思います。 お察しの通り、音訳ボランティアの勉強を始め、鼻濁音で読むということが義務付けられたので反発しているのです。私は既に60代後半の高齢者なんですが、今の今まで日本に鼻濁音があることを知らなかったのです。テレビでもラジオでも鼻濁音を区別できませんでした。 30代前半の娘に聞いてみると、娘も全くその存在を知らなかったと言ってびっくりしていました。
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最初の補足にお答えします。 常に鼻濁音です。 私ではなく貴方が、と強調したい時にがで強調しません。あなたのあで強調します。がでは強調できません。がを強調するのは、助詞ががであることを強調したい場合だけです。貴方の強調は、あでします。鼻濁音よりも第一アクセントの問題ではありませんか。 語頭に来る頑張るのがでさえ鼻濁音で構いません。んわんばるみたいな発音になりますがそれが楽な口なんだからしょうがありません。むしろ非鼻濁音を発音しなければならない方が疲れます。 あんだってあたしゃ耳が遠いもんでよと聞き返されたら仕方なくガンバると発音します。でなければ、んわんばるぐらいの発音です。 ドイツ語とフランス語ですが、フランス語に親近感があるというよりも、貴方のような抵抗感がない程度の差でしょう。ドイツ語は単語は格好いいですが長文になると疲れます。フランス語が管を巻いている感じは同じです。日本人の鼻濁音など全くフランス語の鼻濁音になっていません。したがって親近感はありません。むしろフランス語の鼻濁音の難しさは嫌悪の対象です。それというのも鼻濁音にうるさいフランス人と接した事があるからです。質問者さんも鼻濁音に対する嫌悪感ではなくて美輪アキヒロばりに鼻濁音にやかましい人に関与したからだと思います。言語ではなくその要求に対する嫌悪感だと思います。たぶん鼻濁音に限らず要求されるのが精神的苦痛なのですよ。だとすればその気持ちは分かります。 実際は大阪人が発音にうるさいです。全然ちゃうと言われます。教える事も出来ずにちゃうとばかり言う大阪人もどきには頭に来ます。しいては大阪弁を肯定する気になれず耳障りになります。好き嫌いの問題だから理由はともかく好きになるかならないかですよ。心理的にみて言語とは別の原因ですよ。楽しさですかね。
補足
>貴方の強調は、あでします 関西では「あ」でも強調しますが「が」でも強調できます。 東京では助詞の「が」では強調できないということですね。 >たぶん鼻濁音に限らず要求されるのが精神的苦痛なのですよ そういうケースも勿論あると思います。 しかし、そうでない理由もあると考えています。 実は、鼻濁音を好きか嫌いかは、その人の人生の生き方と関わっている部分がありそうですね。 私は硬い生き方、硬い考えしか出来ない人間で、食べ物やご飯も柔らかいものより歯ごたえのあるもの、映画ドラマでも生ぬるいものよりもガチッと感動させてくれるもの(フランス、台湾映画よりも韓国映画)、アメリカ英語よりもイギリス英語、フランス語よりもドイツ語を好むのは、根底に同じものがあるからだと思っています。 男女の恋愛にうつつを抜かすフランス人よりも、職人の仕事に情熱を燃やす硬いドイツ人が好きです。そうでない人も勿論いるし、単純に考えた図ですが・・・ フランス語の鼻濁音を誰からもうるさく言われた経験はないのですが、あの、ふんわ~ふんわ~というフランス語の調べを耳にするだけで、嫌悪感を催すのです。 アクセントは関東と関西で相当違いますが、テレビラジオで子供の頃から聞きなれており、抵抗を感じません。 しかし、鼻濁音は自分の今までの生き方とも関連し「えー!こんなナメクジみたいな言葉を飲み込んで喋れって言うのかい!」というのが正直な気持ちです。私が例外ではないようで、そういう関西人は結構いるように感じています。 鼻濁音の違いは、アクセントの違いよりも、厄介な問題だと思います。
- priscreen
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ガミがミに訂正です。 ガクガクします、はガクアクに近いです。犬がうなってる感じに近いのでソフトで物足りない事はありません。 手拭いにテノゴイになる言いやすさがわかんねえと難しいでしょう。理由は全て発音がしちめんどくせえからよです。 鼻濁音はぼんやりします。それでも通じるから横着されているわけです。適当な横着が出来ずにぼんやり発音しないと逆にアホっぽいのです。裸の大将のボ僕はっオニギリガっ食べたいんだなっはガンノスケの関西音だから笑えます。おにぎりがは全て鼻濁音です。東日本の与太郎ゴロツキはうなるわけです。
補足
再度の回答ありがとうございます。 日本語の歴史などを最近ウィキペディアで読んだんですが、 発音というものは、ラクにラクにと変化して行くようですね。 従って、鼻濁音の方がラクだからという理由は分かるのですが、それでは最近の「鼻濁音の衰退傾向」はどう説明できますか?鼻濁音の方がラクなら、鼻濁音で発音する領域がどんどん増えて行って然るべきだと思うのですが・・・ それとも、衰退には何か別の大きな理由があるのでしょうか? >裸の大将のボ僕はっオニギリガっ食べたいんだなっ 鼻濁音圏の人が、上のセリフの「ギ」と「ガ」の濁音発音によって笑いを感じていたとはびっくりしました。 私は大阪出身で大阪の笑いは分かっているつもりですが、この「ギ」と「ガ」の濁音発音自体からはいささかの笑いも感じないからです。笑いを感じるのはその他の部分です。 「ボ僕はっ」「ガっ」「なっ」のような吃ったり、詰ったりする話し方に笑いを感じます。 >東日本の与太郎ゴロツキはうなるわけです。 東日本の与太郎は一般人より、鼻濁音を多用するという意味ですか? ひつこい質問で済みません。
- bgm38489
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鼻濁音は、難しいですね。僕もどちらかと言えば非鼻濁音圏内で育ったもので、詩吟をやっているのですが、標準語で吟じなくてはいけないので、鼻濁音を意識しなくてはいけません。 ま、詩吟の世界でいう、鼻濁音は… 勤王の大義(きんのうのたいぎ)の「ぎ」は鼻濁音です。 月光は鏡に似て(げっこうはかがみににて)のはじめの「げ」は鼻濁音ではありませんが、鏡の「が」は鼻濁音です。 刀のごとくにしての「ご」は鼻濁音です。 わかりますか?語幹、それも文章の始まりだったら、鼻濁音にはしません。言葉の中や、語幹とは言えども、文章の中に登場することばの場合、鼻濁音にします。 だから、一般的に「~が」の場合は、鼻濁音にしないといけませんね。東京弁がネチネチ聞こえるのは、このためでしょうか? 「お前が、行くんだ!」 東京弁の人は、このような気持ちのときも、わざわざ鼻濁音で言うのでしょうかねえ。そこまで、東京弁、もとい、標準語の決まりに従う必要はないと思いますが。 アナウンスなら、こんな感情にはならないため、all鼻濁音でいいと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 詩吟でも標準発音でやるんですか。ご苦労様です。 「かがみ」を「か んが み」と発音すると、 「鏡」に感じないですね。何か別のものに感じてしまいます。 >「お前が、行くんだ!」 他の回答者さんによると、東京では「が」では強調しないそうですね。非鼻音圏では「お前」でも「が」でも、どちらででも強調できますよね。
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補足
朗読ではなく、音訳ボランティアです。私の目的は、視覚障害者のために何かをしたい、であって、朗読して自分も楽しみたいではないのです。点字も手話も考えたのですが、ちょっと習得に時間がかかり過ぎるのでやめました。 >首都でもない浪花を標準にするのが間違いです 誤解しないで下さい。濁音を標準にしろと言ってるのではないのです。濁音で感動している文化圏があるのだから、それを抹殺しようとするなと言ってるのです。鼻濁音で統一しようとするなと言ってるのです。 吉本は逆に大阪の低級な笑いで日本全部を統一しようとしています。そこが醜いのです。 日本人は中央集権が好きで、何でも日本の中心にまとめたがりますね。 言葉に関しても、朝鮮語やアイヌ語を消してしまって、日本語だけに統一しようとしました。アイヌ語では成功しましたし、韓国台湾の占領時代には彼の地でも成功しました。 この中央集権思想が強くあるのだと思います。日本語の共通語を作らないと、社会が成り立たないから作ったのは仕方のないことでしょう。鹿児島で育った高校生が鹿児島弁だけしか知らなければ東京の大学へ進学出来ないでしょうからね。 アクセントはどうでしょうか?統一する必要があるでしょうか?ないかも知れませんね。アクセントが地方それぞれ違っても意思の疎通は出来ると思います。最初はぎこちないかも知れませんが。 鼻濁音は統一する必要のないものです。濁音圏の人と鼻濁音圏の人がこれの違いによって相手の意思が理解できないということは些かもありません。 温存しても何の不都合もないのに、何から何まで中央のものに統一してしまいたいのが日本人です。 フランス語を保存する会か、そんな名前の会長さんが書いていましたが、米語に世界中が呑み込まれるのがいけないのだ。 呑み込まれて他の言語が衰弱してしまうのがいけないのだ、と書いていましたが、正にそういうことです。 力関係で上にあるものが、下にあるものを呑み込んで衰弱~消滅させてしまうのがダメなんです。首都が東京だから、鼻濁音に統一しようというのが、そもそもの発想の最初の段階で間違っているのです。 ま、日本の役所の感覚は江戸時代の幕府と余り変わっていませんからね。統一したがるのです。「多様性、々々々」というのは、それがないからの憧れと反動でしょう。 渥美清が藤山寛美を尊敬していて、よく寛美の舞台を観に行ったそうですが、渥美ならアホの坂田を評価したかも知れませんね。しかし、アホを評価する価値観があるのは大阪だけですから、大阪外で受け入れられないのは当然です。 しかし、相手を罵る文化も大阪にあるのが不思議です。 昔、河内平野を流れる何とか川(名は失念)で嫁入りの船が川を下って行く時に、川の土手を船に付いて歩く人と、船上の人が互いに相手を罵り合うのです。これが儀式になっているのです。島田伸助が他人をこき下ろすのは、この大阪の土壌から来ています。日常でも大阪人同士は互いにこき下ろし合うのです。 他府県から大阪に来た人は、これに付いて行けず落ち込んだりします。 大阪に根付いているこの不思議な風習は、誰も研究対象にした人がいないようです。もし、研究者がいれば是非読んでみたいのですが・・・ 明石屋さんまは、全国的に人気があるのに、面白くない芸人の一人です。彼のトークは私には単なる世間話程度にしか聞こえません。彼の落語は全く面白くなかったそうですが、彼はユーモアのセンスを持ってない人間だと思います。社交辞令というよりも、本音ではないでしょうか?東京人のセリフではないでしょうか?寛美や渥美なら、あのようなセリフは、絶対に吐かないでしょう。 沖縄は芸能の盛んな土地で、地元向けのコメディアンたちがいます。たまにローカル番組で彼らの漫才やコントを見ることがありましたが、全く面白くありませんでした。でも、一応そういう土壌はあります。 高知にも8年住みました。西川清や横山やすし、間カンペイは高知出身です。有名な漫画家が沢山出ています。 高知はそういう土地柄ですが、沖縄と共通するのは、どちらも、日本では最強のヒステリー性格県というところです。1位が沖縄、2位が高知という感じです。 この2つの県が吉本に芸人を送るのには理由が分かりますが、北海道のことはよく分かりません。北海道はかなりの地域差があって、先ず地域差を知らなければなりません。その上でどこの地方出身者かを見なければなりません。 私の8年住んでいる道東は大阪とは全く違って、高知に酷似しています。札幌や帯広の北海道人は、こことはかなり違います。ここへは明治時代、高知から沢山移住者があったのが一因でしょう。あと、高知もここも港町で、基本的に”漁師”の性格です。 高知の「よさこいソーラン」が札幌に伝わって大きくなっているのは高知人と札幌人に、どこに共通項があるのかと、不思議に思っています。勿論あの踊りは、ヒステリー性格者が好む踊りなんですが・・・ 鼻濁音の読み方と東京下町事情に関しては、お陰様でよく分かりました。ありがとうございました。 朗読と音訳の違いなどに興味が湧いて来ました。また、味のある声、味のある読み方などに興味が出て来ました。そちらの方を追求してみたいと思います。 どうも今回は長らくお付き合い下さりありがとうございました。Suy unukar=an no! またお会いしましょう。