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心の牢獄から解放されるには

人は自分のことをこう思っているのだろう。また、自分というのは、このような人間なのだ。 だから、そのラインからはみ出さないよう、行動しよう。という心の牢獄から開放されたら、 人生どんなにか、楽に生きられるのに、と 考えたことありませんか?また、そのような牢獄から解放された仙人のような方、いませんか?

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回答No.6

別に仙人にならなくとも、解放など出来ます。 普通は、今までの考え方を手放すのが惜しいのです。 長年慣れ親しんで来たからです。 拘っているなら、尚更。 解放・・ 別な言い方をするなら、その方法とか考え方以外の考え方もある・・ と認める事です。 これを称して、客観的に観る・・などとも言いますね。 自分一人では中々難しいでしょうから、同じ事に対して、他人の見方、意見を聞いてみる当たりから入ると良いでしょう。 その時に自分の意見を言わないのがコツです。 他人の話を聞くときには、、それに徹する事。 自分のあれこれは、言い出すと・・それは屁理屈となります。 まあ、拘りなど、大抵は屁理屈の部類。 先ずは小さな事からチャレンジです。 あなたは、歩き出す時に、右足から? それとも左足から? もし、右足からなら、意識して、左足から踏み出す様な事を行う。 反対もしかり。

toranekodaisuki
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >その時に自分の意見を言わないのがコツです。 私は人が意見を述べている時に、ついさえぎって、自分の意見を言ってしまいます。 そう考えると、中々他人の意見というのは、一貫して聞いていないなあ、と思いました。 これからは、意識して、他人の意見を最後まで聞こう、と思います。

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回答No.8

余計な事ですが 質問者様のように真面目に考えて行動に拘りを持つ人は責任感が強すぎて鬱病になる場合が多いと思います。 もしも可能性があったらご注意ください。 昔の友人が似た事を言っていたのできになりました。

toranekodaisuki
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 確かに、何事も、理由やからくりを考えてしまう方です。悪く言うと、割り切りができないタイプ。 鬱病には十分に気をつけたいと思います。

  • nToTn
  • ベストアンサー率28% (28/99)
回答No.7

象の調教の話を思い出しました。 子象を調教する際に、子象の力では絶対抜けない杭と鎖で、子象の足をつなぎ止めます。 子象は最初は逃げようとしますが、それができないと諦めると、つながれることに甘んじます。 その子象は、成長した後も、簡単に引っこ抜けるはずの杭で、つなぎ止めることができる様になります。 人間も同様に、たくさんの杭でつなぎ止められています。 それを最初に引っこ抜くには非常な勇気が必要ですが、抜いてしまって振り返れば、本当は非常に簡単な事だったことに気付きます。 私も15年ほど前に、何本かの杭を自力で引っこ抜くことに成功しました。 他人から見ればどうってことの無い様な杭ですが、本人にとっては非常な勇気が必要なのです。 しかし、それを超えてみても、さらに次の限界が待ち受けています。 今となっては、それを乗り越えるほどの目的意識は湧いてきません。 ただ、当時は非常な開放感と、幸福感に包まれた事は確かです。 それに関連して、最近読んで非常な感銘を受けたのは、「人間やりなおし」と言う本です。 ネットの古本屋さんを当たれば、入手できると思います。

toranekodaisuki
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >他人から見ればどうってことの無い様な杭ですが、本人にとっては非常な勇気が必要なのです。 そうなんですよね。お前、なんでそんなことで悩んでいるの?というような、相談を受けることが ちょくちょくあります。でも、本人にとっては大きな問題なんですよね。 やはり人間というのは、自分というフィルターを通してしか、世界を見れないのでしょうね。

  • shizumo
  • ベストアンサー率12% (159/1285)
回答No.5

>>人は自分のことをこう思っているのだろう。  でもそのご期待にこたえるつもりは無いです。人がどう思おうがマナーと良識はずさなければ関係ないです。 >>また、自分というのは、このような人間なのだ。 このような が良い理想であればそうします。ネガティブなこのような ならはみだします 何が問題かわかりません

toranekodaisuki
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >何が問題かわかりません 確かに、この問題は、そう感じる人にとっては大きな問題であり、そうではない人にとっては、 大した問題ではないのでしょう。

noname#183245
noname#183245
回答No.4

仙人でもなんでもない、単なる傍若無人なヤツの意見です。 他人がどう思うかは、わかっても、あえてムシします。 メンドーだし、イヤなんです。 自分の人生なのに、縛られるの。 これは慣れです。 ぼくは、昔から友だちができず、ずっとひとりでした。 どうやらそこで身に着けた孤独力が、役に立っているようです。 嫌われることを、恐れる気持ちは、普通よりは少ないと思います。 もちろん、経営者みたいなパワフルな人に比べれば、まだまだですが。 とりあえず、積極的にひとりになることをオススメします。

toranekodaisuki
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「孤独力」ですか。うまい表現ですね。確かに経営者というのは、最終的には自分の責任であり、 そのような意味で、孤独なのでしょう。

  • aymhfgy
  • ベストアンサー率43% (1472/3372)
回答No.3

質問者さまはお幾つぐらいの方なんでしょうか。 私は50代後半ですが、若い時には仙人のような方は何処かにおられるのではないかと思っていました。 でも、そういう人には会えませんでした。だれでも自意識というのはあるのだから、仙人にはなれないのだということがだんだん、分って来たのでした。 ただ、牢獄から解放されたという表現ではなく、自意識をコントロール出来るようになってきて、部分的には 縛られていた世界から解放されて来たのではないか、自由になって来たのではないか、ということは感じています。 人が自分にどう反応するかということではなくて、自分がそれをどう捉えるかという感じ方を持つ方がずうっとラクだと思います。 自分がどんな人間かということもすぐには分らなくて、これもゆっくり、理解出来て来るように思いてます。しかし、完全に分る時は来ないでしょう。人のことはもっと分らなくて当然だし、それで良いのではないかと思っています。そして人も同じように苦しいのだということが分れば孤独感からは救われます。 私は若い時に音楽を学びましたが、作曲の先生から(ラクをしようと思わないで、一日、一日、考えて行くんだよ)と教えて頂きました。その方も仙人に近いと尊敬していましが、先生の年齢を超えた自分は、やはり、その方も悩める人だったと理解出来て来ました。 心の牢獄から解放してくれるのは他人ではなく自分自身です。質問者さまも焦ることなく、日々、考えて、そして悩みながらもだんだん、色々なことを理解していくようにしてください。そして、いつかは人との関わり合いの中での自意識の苦しみから解放されますようにと思います。

toranekodaisuki
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 自らの体験に基づいた貴重なご意見、感謝しております。 私はあなた様より少し年下で、これまでそれなりに一生懸命、生きてきたつもりです。 若い頃あることで悩んでいたとき、それを聞いたある方からこのように言われました。 「あんたが今ここで素っ裸になり、外に出て道路に寝転がっても、誰も何の関心も示さないよ。 他人は他人で自分のことで手一杯なのだよ。」 私はそれを聞いたとき、少し心が楽になったような気がしました。他人は自分が考えているほど、 私に関心を持っていないのだ。関心を持っていると思っているのは、自分だけなんだ、と。

  • zz400n
  • ベストアンサー率14% (351/2354)
回答No.2

人からどの様に思われているなんて、考えてもキツいだけです。 回りに100人いれば30人ぐらい敵はいます。 全員から好かれる様に気を使うと、神経をすり減らすだけです。 100人が100人敵になる人は、自分の常識が悪いだけです。

toranekodaisuki
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >全員から好かれる様に気を使うと、神経をすり減らすだけです。 もちろん、そのとおりですが、私が言いたいのは、現実に目の前にいる他者ではなく、自分の中で勝手 に作り上げた頭の中の他者(?)から批判を受けないように、行動している、と思うのです。

回答No.1

人間が社会的動物である限り、一切から抜けるのは無理です。 質問者様がおっしゃっているのは むしろ(躾)(マナー)と置き換えられる部分で日本人として尊敬される美徳の裏返して あるのも事実です。 つまり 言い換えると 日本が非常に行儀作法に五月蠅い国で、閉塞感、圧迫感があると言うことです。 社会的ルール 常識が緩い国に居ますが、此処では(ちょっと緩い日本人)でも十分尊敬されてしまいます。

toranekodaisuki
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 確かに、民族性や文化によるところも大きいかと、思います。

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