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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:人と接するにおいての不安感)

人と接するにおいての不安感

このQ&Aのポイント
  • 28歳会社員の男性が人と接する際の不安感について述べています。自分に自信がないため、他人と接することに不安を感じることが多く、友人との約束や人と会うことが億劫に感じられます。自分を下に見られることを怖れており、自分自身を好きになるための方法について悩んでいます。
  • 彼は他人から下に見られることを恐れ、友人の中でも下に見られがちです。自分に確かに改善すべき点があることを理解していますが、それでも自分自身を好きになることができません。方法が分からないため、悩んでいます。
  • 彼にとって、人と会うことは負の感情につながることが多く、普通の感情よりも不安感が先に現れます。自分自身に自信がないことがその原因であり、改善したいと思っています。一般的には人との交流は楽しいものであるべきだと考えられますが、彼にとってはそれが難しい状況です。

質問者が選んだベストアンサー

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  • qpu1iwr9
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回答No.1

自己評価が低いということは、自分は周りの人間より下だと感じているということです。 つまり、どこに行っても「自分は奴隷」「相手は王様」なわけですから、しんどくて当然です。 そんな時は、いったん人間関係は置いておいて、一人でゆっくり自分を癒すことが必要です。 ・誰かと会うとき、作り笑いをして、あとでドッと疲れていませんか? ・他人の顔色を伺って、自分の心を忘れていませんか? ・集団からはぐれること異常に怯えていませんか? 誰かの前ではニコニコとしているのに、心の中は荒れくれていて助けを求めている、そんな時は休まなければなりません。 そして考えましょう。どうすれば自分を好きになれるのか。 自分を好きになれない人というのは、自分へのハードルを上げすぎていることが原因です。 例えば、自分は50m走を7秒台でしか走れないのに「6秒台で走れないとダメだ」とハードルを高く設定すると、7秒台で走る自分が嫌いになります。 これが「8秒台で走れたら御の字だな」と思っている人なら「7秒台で走れた俺ってすごい!」となります。 これが自分に自信を持っている人と持っていない人の精神構造の違いです。 なぜ自分へのハードルを上げすぎてしまうかというと、ハードルを設定するときに、自分に焦点を合わさず、周りの人に焦点を合わせるからです。 先ほどの例で言うと、自分は本当は7秒台で走るような体格なのに、周りは6秒台で走っているから「周りと 同じようにハードルを設定しよう」となってしまいます。 つまり、「自分を好きになれない」という人は、等身大の自分がわかっていないだけなのです。 なぜわからないのかというと、周りに気を取られすぎているから。 少し、人と比べるのはお休みしましょう。 どうしても比べてしまうというのなら、一人になってみてください。 今の人付き合いを少し減らして、自分しか見えない時間を作ってみてはどうでしょうか。 その間、好きなことを探せばよいです。自分の好きなこと、知ってますか? あなたはまだ知らないかもしれない。 本当は、旅行が好きだったり、陶芸が好きだったり、音楽が好きだったり、読書が好きだったり、サーフィンが好きだったり、水泳が好きだったり するかも。

aokenji
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 仰られてることの大半が当て嵌まります。 やはり自己評価が低いと生きにくい理由の大半を占めますね。 自分が出来ることは大したことじゃない、誰でも出来ることだと思ってます。 他人を気にし過ぎているのはあります。 他人は出来るのに自分には出来ないと落ち込むこともしばしばあります。 自分よりも他人へ意識し過ぎて自分を見失っているのかもしれません。。 他人に影響されて始めた趣味もありますが、所詮好きで始めたわけではなく、 合わすために始めたので、長続きしなく辞めてしまうことも多かったです。 好きなこと・・パソコンやゲームはよくやってるので好きなのは確実ですが、 それ以外は特に思いつきません。 音楽やスポーツといったものも、どのアーティストや選手が好きというのもないですね。 何事もやってみて面白い、と実感することでしか好きなことって作れないんでしょうね。 他人はどうでもよく、自らの意志で始めることが大事なんですね。。

その他の回答 (3)

  • gen13gen
  • ベストアンサー率34% (10/29)
回答No.4

「普通は」という価値観を捨てませんか? 自分は自分でいいんですよ。 不安なら不安でそんな自分を受け止めてください。 人と会うのが億劫に感じるのも貴方です。 自分のことを無理に好きになる必要もないですよ。 自分のことを好きになる努力も必要ないですよ。 自分のことを好きじゃないのに、努力しても好きになれません。 自分のことを好きになるのではなく、ありのままを認めることをしてみませんか。 「自分のことを認めたらどうしようもない人間だから落ち込む」と言う人もいますが、 それは、認めてないんですよ。 だって、自分の理想と比べているからです。「認める」とは自分と理想の自分を比べるのではなく、 ありのままの自分を知るということなんです。 私は自分のことを 短足。ダサい。人づきあいが苦手。人見知り。ずぼら。片づけ苦手。毒舌。真面目。何事にも全力投球。 寝ることが趣味。人のよいところを見ようとする。ストレスがたまると悪口をいいたくなる 等。 悪いところも多いですよね。でもそれも自分と認めています。 自分を認めると、努力できます。 ダサいからおしゃれな人を見本にしたり、おしゃれな店で服を買ったり、信頼できる美容院で相談したりします。人づきあいが苦手なので、コミュニケーションスキルを勉強する会に申し込んだりします。 片づけはごみ屋敷にならなければいいかな、床がしっかり見えればいいと思う等 私も人と会うのは億劫です。 作り笑顔で表面的な付き合いができません。なので、自分にエネルギーがある時しか人と会いません。 エネルギーがない時は、「残念だけど、その日は用事があって、また誘ってね」と断ります。 丁寧に断ることも自分を守るためには必要ですよ!

aokenji
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 普通はこうあるべき、みたいな考え方はよくしますね。 ありのままの自分を認める、ですか。 短所しか自分にはないように感じるので、なかなか難しいですね。。 それでも認めることが出来れば短所を改善しようと努力する気になれるということですか。 あなたのように色々な努力は確かにしていません。 自分を大事にしようと思う気持ちが乏しいのかもしれません。 そうですね、何でもかんでもひょいひょい誘いに乗ってるとしんどいですね。 気分が乗らなければ断ることもしようと思います。

  • qpu1iwr9
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回答No.3

No.1です。お礼を頂いたのを見つけて、少し補足をしたい気持ちになりました。 たぶん質問への解答にはなっていない気がするので、軽い気持ちで読み流して頂ければ幸いです。 (ただの自分語りなので、今回はお礼はけっこうです) 学生時代、1人の親友がおりました。 彼女はとても容姿がよくて(学年で一番の美人)、おまけに成績優秀(いつも学内一位)、コミュニケーション上手、鈴の鳴るような声をした女の子でした。 私は彼女ほどではありませんでしたが、何事もそこそこできました。 私は時々、友人達に「○○ちゃん(私)のようになりたい」と言われました。私はそんな自分のことが誇りでした。人が羨む自分のことが、好きでした。 そんな私ですから、彼女と親友になってふざけあっていてもコンプレックスを感じることはありませんでした ・・・・・と、思っていたのです、はじめは。 二年、三年と一緒にいる時間が長くなるに従って、私は彼女のことを「一緒にいて楽しい親友」と思うと同時に、「いなくならないかな」と思っていることに気がつき始めました。。 私はあんな絶世の美少女にはなれない。それを補おうと一生懸命勉強しても、彼女の成績を抜かすこともできない。おまけに、私はあんなに明るく振る舞えない。。。。 今まで築き上げてきたものがガラガラと崩れていくような気がしました。 彼女のような存在があるのだったら、私は存在しなくていいんじゃないか。 こんなことも上手くできない自分は、消えてしまうべきでは。そんな考えが頭をめぐりました。 私は成績だってそんなに悪くないし、顔だって悪くない、何だって人並み以上にできる、そのことを誇りに思っていました。 しかし、いくら努力しても追い抜かせないものが出てきたことで、その誇りは根拠を失いました。 私が「自信」だと思っていたことは、他人と比べたことで生まれる「偽りの自信」だったと知りました。 だから、こんなにも簡単に崩れてしまったのです。 もう何もしたくない。何をしたって無駄だ。どんなに努力したって適わないのだから。私は生まれつき負け犬なんだ。 あれだけ自信があったのに、一転して人が変わったように私は自信のない人間となりました。 その頃から人と目を合わせることができなくなりました。 それから数年間、私はずっと孤独のまま過ごしました。 正確に言うと友人はいたのですが、表向きの友人です。決して以前のように誰かと心から親しくすることはできませんでした。 別に自分を癒そうと思ってそうしたわけではありません。 ただ、もう人間が嫌だったのです。人間と接して自分の嫌なところが浮き彫りになることから逃げていただけです。 しかし、それが思わぬ効能を生みました。 人と距離を置いてしばらくして、自分の心の中で何かが生まれてくるのを感じました。 それは、以前のように不安定な「偽りの自信」などではなく、もっと確固としたものでした。 私は彼女のように美人ではない・・・・それでも、生きてていいんじゃないか。 私は彼女のように優秀ではない、それでも、いいんじゃないか。 私は完璧ではない、もしかして、それでいいんじゃないか。 そう思い始めました。 以前の私は、自分の「良いところ」ばかり見て、それを他人と比べていました。 だから、唯一の武器であるその部分が人より劣ってしまったら、もうおしまいでした。 しかし、次第に自分にはたくさん「劣っているところ」があることに気づきました。 見たくはありませんでしたが、真実でした。そこに蓋を被せるのではなく、それも含めて自分なんだと認めることにしたのです。できない自分のことを許すことにしたのです。 すると、ふっと生きるのが楽になりました。 今までずっと見れなかったのに、人の目を見れるようになりました。 質問者様の周りにいる、あなたのことを見下す方々というのは、きっと昔の私のような人なのでしょう。きっと、彼らもある意味、「自信がない」のです。 本当の自信を持つと、他人と比べる必要がありませんから、見下すこともしないはずだからです。 質問者様は >自分が出来ることは大したことじゃない、誰でも出来ることだと思ってます。 と仰っていますが、それと自信のある・なしは関係がありません、きっと。 もっと根本的な、心の根っこの部分にあるもんじゃないでしょうか。 自分の子どもが毎回テストで0点ばっかり取ってるとします。親はその子のことを尊敬できるでしょうか。いや、きっと尊敬はできないはずです。「しょうがない子だね」と思います。 でも、0点ばっかり取ってても、親はその子を愛することはできます。テストで何点取ったってその子の価値には全く関係がないからです。 それと同じで、どれだけ劣っていても、どれだけ出来なくても、自分のことを愛することはできます。受け入れることはできます。 何ができる・できないかは、自分の価値とは全く関係がないのです。 それは見せかけの価値です。偽の価値に踊らされる人がなんと多いことか。 そして昔の私やあなたもまた、その一人だったりするのです。 長々と偉そうに書き連ねましたが、質問者様の人生がより良いものとなるよう願っております。

aokenji
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 俺遅くなり申し訳ありません。 体験談ありがとうございました。 どんな自分でも受け入れることが必要ということですね。 嫌いな自分を少しでも受け入れられるように頑張ります

  • plokij75
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回答No.2

質問を読んで感じた事ですが。。。 貴方は、真面目な方で、物事を四角四面に考えてしまうような所があって、完璧主義者とか、理想主義者と言われるようなタイプの方ではないのか!?という印象を受けました。 何事にも落ち度なく完璧に成し遂げたいとい姿勢は、その人の品性を表す事になると思いますので、好ましい事でしょう。 ただ、あまり真面目が”過ぎる”と、ゆとり(余裕)が無くななって、面白味を失って仕舞う事もあるかも知れません。 例えば、質問中の例でも。。。 >友達とか人と会う約束をした後、何ともいえない不安感に付き纏われます。 >相手をつまらなくさせてしまわないか、自分が本当に行っていいのか、等のマイナスの感情が、楽しみだ!等のプラスの感情よりも先行して出てきてしまい、人と会うのが常に億劫に感じてしまいます。 と、周りの事、他人の事ばかりに気を取られてしまって、肩に力が入り過ぎていませんか。 もっと、心身共に柔軟にして、リラックスしていないと疲れて仕舞い、何をするにも息が詰まって億劫になてしまうのでしょう。 例えば、友達とか、人と会う約束をしたら、先ずは、自分は如何にして楽しもうかと考えた方が良いでしょう。 その上で、相手の人も楽しくなるような方策(話題等)を考えるようにすれば充分です。 自分が楽しくなれば、その場の雰囲気も良くなって、相手だって楽しく感じるようになるでしょう。 つまり、自分の楽しさを、相手の人にも、分けて上げるという考え方です。 そう思えば、気が楽になって、自由に振る舞えるようになり、楽しい雰囲気が貴方から発散されるようなれば、その場の雰囲気にも良くなるでしょう。 貴方が楽しくなれれば、回りの人も、貴方に興味が出て来て、話題の中心になれるのではないでしょうか。 今は、貴方が皆から見下されていると言うよりは、こちこちに硬くなって、当り障りのない事しか発言しなければ、皆も面白くないので、貴方の側に寄ってこないと言うような事なのではないですか。 謙虚で、謙譲な精神を持つ事は、大切な事ですが、メリハリを付けて偶には、羽目を外す位の気持ちを持っても良いのではないでしょうか。 特に、真面目な貴方なら。。。

aokenji
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 真面目な方だとは思いますが、完璧主義者ではないと思っています。 結構適当な部分も多いので。 ただ、人付き合いにおいての会話は真面目すぎてつまらないです。 冗談言ったり笑いを取ったりするのは苦手で、 下に見られていじられることによってようやく笑いが生まれるみたいな感じです。 いじられキャラってやつですね。 人と会う前に自分がどう楽しもう、という考えは今まで一切ありませんでした。 今日の場をどう乗り切ろうとか、無事に済んでくれみたいな、 面接前の重い緊張感程ではないですが、緊張していますね。動悸がすることもあります。 何をすれば自分が楽しめるのか?を考えろってことですね。 他人に自分の楽しさを分けてあげれるなんて、どういう感じなのか分かりませんが、 大体において笑顔でいることが大切なんですかね。。