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敗戦記念日ですが、敗戦でよかったのですか?
第二次世界大戦前だったとして、どのような道をたどることが 日本人にとって最良だったのでしょうか? ハルノートを受け入れた方が良かったのでしょうか? ミッドウェー敗戦時に降伏の道を探った方が良かったのでしょうか? よろしくお教えください。
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いずれにしたって後知恵なんでしょうけど、あくまで可能性のひとつとして。 アメリカは大体1920年代から、実質的にほぼ日本人をターゲットにした移民法を施行しましたよね。その後も、中国大陸での日本の行動をネタに道義的禁輸措置とかいって工作機械や航空燃料、くず鉄なんかの輸出を止めていたわけだから、そもそも日本の首を絞めにかかっていたことは事実。黄渦論も影響しているのか、当時アジアで唯一ともいえる近代化を進めていた日本が目障りでしょうがなかったことは想像にかたくないです。 したがって、ハルノートは確かに最後通牒のようなものでしょうけれども、これを飲もうが飲むまいが、いずれにせ何らかの形で日本を叩きにきたのは間違いないんじゃないでしょうか。 では日本に何ができたかといえば、例えば日中紛争のカタをつける事できれば、そうでなくてもとりあえず国民党あたりと和平交渉でも継続していれば、アメリカの姿勢は少しは変わったかもしれない。少なくとも日本につける難癖の理由の最大のものが消えてしまうわけですし、ハルノートの内容も大きく変わったはず。 仮にそうなっていれば、そのうちに頼みのドイツの状況変化(バトルオブブリテン、スターリングラードでの敗北)が日本にも正確に伝わってくる。軍や社会の中にも、無意味な熱狂から醒める人がきっと増えてくる。ドイツの快進撃が止まった、苦戦してるってわかったら、さすがに積極的にアメリカを叩くって人は少数派になったんじゃないでしょうか。 それが可能だったのは近衛内閣くらいだったのかもしれないけれど、結果は見てのとおりで。 ということで、ハルノートうんぬんの前に、日中紛争にケリをつけておけばよかったのかな、というところです。 なお、日本海軍は決して(諸外国と比較して)大艦巨砲主義に拘泥したわけではないと思いますよ。アメリカは1945年夏まで戦艦の建造を継続しているし、イギリスは戦争終了後に新造戦艦を就役させています。対する日本は開戦と同時に戦艦の建造をいちはやくとりやめてるし、大和型の三番艦を途中で空母に改装なんて無茶もやっている。逆に、列強と比較していち早く大艦巨砲主義から脱却して航空主兵に切り替えたともいえるんじゃないでしょうか。 ただ、いくら空母を多数建造できたとしても、肝心の航空機の高品質燃料(加えて添加剤も)がアメリカ頼りとあっては、結果的に役に立ったかどうかは大いに疑問のわくところです。
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負け方が分からなかったのでズルズルと・・・ですからね。 マシな敗戦だったのでは無いでしょうか。
お礼
ありがとうございました。
- gusin
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未練がましく、やりすぎた・・・ もっと早く降伏すべきだった 天皇と軍部の責任はまりにもい大きすぎるwwwwwwwwwwwww
- eroero1919
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どう頑張ったって絶対アメリカには勝てないんだから、イタリア形式がよかったんじゃないかと思います。 ・張り切って攻撃。でも数が少ない敵にすぐ撃退される ・転んで膝をすりむいたような損害ですぐ撤退 ・「これ以上は捕虜は受け取れない」と敵から拒否されるほどにすぐ降伏 大戦中にアメリカの従軍記者がイタリア戦線で見た光景なんだそうですが、イタリア降伏が決まり、イタリア軍の兵士たちは戦争が終わって家に帰れるのでみんなカンツォーネを歌いながら陽気に山を下り、その脇をまだドイツ軍との戦闘が続く米兵が足取りも重くとぼとぼと登ってゆく様子を見て、「どっちが勝った国なんだろうか」と強く思ったそうですよ。 21世紀初頭時点で国民幸福度で日本が21位、イタリアが22位なんですから、真面目に戦争しなくても同じくらいには復興できたんじゃないかな、と。
お礼
イタリアって羨ましいですね。 性格的に真似は無理だと思うけど・・・ ありがとうございました。
- AkiraHari
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ハルノートの問題点 文書の上では最後通牒として必要な交渉期限の記述がない 平和的交渉の打ち切りを予告する記述はない 冒頭部には極秘、暫定かつ拘束力が無い旨の注釈がつけらている つまり、ハルノートを示されたからといって、対米開戦する必要はなかったということです。 交渉していればよかっただけです。交渉を長引かせれば、ドイツに対しソ連が開戦し三国同盟に不利なことがわかります。さらにイタリアが降伏し、ドイツも危ないとなればますます日本が戦争を仕掛けるのは無理になります。その一方で米ソ対立が見えてきますから、アメリカも日本との戦争に突入するわけには行かなくなります。要は戦争に突入しないぎりぎりの条件交渉を行うべきでした。 ナルノート以前に、国際連盟から脱退する必要もなかった。 さらにそれ以前に、日露戦争ではアメリカの停戦斡旋で、日本が勝っている局面での終戦にこぎつけたのに、アメリカに対する見返りを与えていない。具体的にはそれまでロシアが支配していた中国東北部を日本単独で統治するのではなく、日米で統治すればよかった。 結果的に日本の民主化が行われたんのでよかったという評価もあるでしょうが、それはあくまでも何もかも失った中で一点の光明を見出そうとするだけのことです。本来敗戦によって得るものではありません。
お礼
おっしゃる通りですね。ありがとうございました。
- golden_ratio_s
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全ては日露戦争から始まります。 アメリカの仲介で、ポーツマス条約によって講和が結ばれることによって日露戦争は終結しました。 アメリカの仲介は清の利権を得るためでした。桂・ハリマン協定がその一つです。 ですが、思惑は外れ、結局は日米露から締め出されてしまう形となりました。 さらに日比谷焼き討ちで米大使館も放火されたことから、アメリカの反日感情は高まりつつありました。 これが始まりだったのかもしれません。 そしてドイツでのヴィシー政府樹立に伴い、日本は仏印進駐と日独伊三国同盟を結びます。 これに対し、アメリカは対日禁輸を行い、三国同盟の破棄と中国からの撤退などが記されたハル・ノートが提出されました。 日露戦争の講和条約の際にアメリカに恩返しをしてやれば、少しはマシになったかもしれません
お礼
なるほど、受けた御恩は返さないといけませんね。 それで友達をなくしちゃったのですね。 ありがとうございました。
- Mokuzo100nenn
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>第二次世界大戦前だったとして、どのような道をたどることが日本人にとって最良だったのでしょうか? 亜細亜人の民族自決、大東亜共栄圏を実現するために、アメリカ合衆国と開戦しなくてはならなかったのか、疑問です。 亜細亜から欧米列強の搾取を排除するのが第一目的ですので、アジアに植民地を持たなかったアメリカ合衆国を味方につけて、オランダやドイツ、フランス、そしてできればイギリスなど欧州勢を排除するのが上策でした。 戦術的には戦艦大和、戦艦武蔵に資源を投入したのは間違えでした。 日本は世界で最初に航空母艦(空母)なるものを就航させた国であって、飛行機の力を見極めていた人たちがたくさんいたにもかかわらず、悪名高き「大鑑巨砲主義」者の主張を封じ込めることができませんでした。 大和、武蔵に開発資源を投入する代わりに、大型航空母艦の建造、航空機のエンジン過給技術(=排気過給、ターボチャージャー)や、無線通信の品質向上、電探とよばれたレーダー技術、暗号電文解読技術のなどIT関連の技術開発に資源を投入しておれば、戦況は異なったと思います。 連合艦隊の各種作戦ミスが指摘されていますが、レーダー技術や暗号解読技術がもう少し進歩しておれば、下手な作戦行動は避けられた可能性が高いと思います。 >ミッドウェー敗戦時に降伏の道を探った方が良かったのでしょうか? ミッドウェー海戦では遅すぎました。 サンゴ海海戦で敵空母レキシントン撃沈の段階で講和に持ち込むべきでした。 最悪ミッドウェーまで行ってしまった場合は、講和よりも降伏しか選択がなくなるわけですが、同じ降伏するなら、沖縄戦など頑張らずに降伏した方が日本人のためになったはずです。 沖縄戦から無駄なカミカゼ攻撃が増え、勝ち目のない行動で人間の命を無駄にしました。 そして、沖縄戦の時点で降伏しておれば、非人道的な国際法違反の原爆投下のジャスティフィケーションを与えることもありませんでした。 敗戦するなら、早く決断することですね。
お礼
ありがとうございました。 ただ、日本の軍部が解体されたことが総合的に判断すれば 良かったとおっしゃる人もいるわけで難しいですね。
お礼
とても明快なお答えありがとうございました。