大前提として、
「格闘家ではない。」
その路線に走ろうと頑張ったプロレスラーは確かに各時代にいましたが、誰一人成功した例がありません。それは、プロレスがその他の格闘技と決定的に違う面があるからです。それは、
「負けることに価値があるのがプロレス。」
プロレスをアンチとして見る格闘技ファンが何より嫌うのがこの点で、またプロレスファンが何より「プロレス最強説」の根拠にしているのも実はこの点なのです。
当然ご存知だとは思いますが、プロレスでの決着といえば、肩をマットに着いて1・2・3~の3カウント、または絞め技極め技などでのギブアップ、基本この2点です。
(リングアウトとかノックアウトとか、この辺りは団体ごとにルールが違うので割愛します)
この辺が、プロレスとその他の格闘技の「概念の違い」にも現れます。簡単に言うと、
「倒す側の都合で決着が付くのが格闘技、倒される側の都合で決着が付くのがプロレス。」
プロレスの3カウントにしてもギブアップにしても、本当に仕掛ける側の都合だけで決着が付く(受けた側が意識を失う、重傷化するまで極め続ける等)ケースはまずありません。まず、というのは過去にそういう決着が実際に起ったケースは「確かに」あるからです。ただし、その場合勝利者に与えられるのは、名誉ではなく「排除」です。プロレスでの流儀として、
「返せない技・ケガをする技は掛けない。」
これは悪い意味ではありません。人間どれほど鍛えても「受け身の限界」はあります。腕拉ぎ十字固めにしても、かけられた相手の所作に関係なく、肘・肩関節を負傷させてまで掛け続ける、そんな選手は必要ありません。あくまでもプロレスの決着は、仕掛けられた側が「諦めること」でのケースのみです。上記の3カウントにしてもギブアップにしてもです。うまい選手の場合、仮に相手選手が手加減を知らない、用語的には「塩」レスラーだった場合、危険を察知して自ら試合を終了させるために3カウント取らせたり(安全ですし)、痛くも何ともない段階でギブアップを宣言して終わらせます。これは、間違った行為ではなく、身の安全を考えればやむを得ない、トップレスラーならではの「技術」です。そして、その「負け方」がうまい、いかにも仕掛けたレスラーの方が強かったと観客にも納得させ、しかもお互いケガもせず、次の興行(ここが重要)に臨める。プロレスにとって重要なのは、次の大会・興行に支障が出る試合はしない、これです。
他の格闘技の場合、選手も興行主も基本的にはその1試合に全力です。極端な話、余程胡散臭い裏側でもない限り、次の試合がどうこうなどという話は出ません(米UFCや日本のIGFは除く)。そして、試合では強い方が勝つ。相手によりダメージを与え、致命打を与え、ダウンを強いる。その結果評価されるのは「勝者のみ」です。負けた側に何某か話が及ぶことはまずありません。○○選手に敗れ…以上、です。
日本の現在での最大のプロレス団体である新日本プロレスがキャッチフレーズに「キング・オブ・スポーツ」と銘打っているのも、世界最大のプロレス団体であるWWEの3文字の意味が「World Wrestling Entertainment」と表記しているのも、ある種のプロレスの本質を表現したものといえます。つまり、
「プロレスはスポーツであり、エンターテインメントである。」
うまい負け方、そして相手の強さを引き立てる試合内容、これは間違いなくエンターテイナーの資質が求められる面です。でも、それを実現するためにはプロレスラーとして、他のスポーツとは根本的に違う、スポーツとしては圧倒的に体力・パワー・テクニックが求められる。
もちろんプロレスに格闘技センスも必要ですが、あくまでもプロレスの試合の中での「隠し味・エッセンス」程度でしかありません。下手よりマシ、という程度の価値です。
そもそもプロレスを見るファンは、試合に「殺し合い」を求めてはいません。もちろん大技の応酬、いぶし銀の技の切り返し、そして派手な空中殺法、いろいろ要素はあります。でも、観客が許容しているのはせいぜい流血まで。次の試合に支障が出るような負傷まで求めはしません。そのギリギリの線を演出するのに長けていたのが上記2団体、アントニオ猪木vsタイガー・ジェット・シン戦でのこれまでと明らかに違う殺伐とした試合を見せた新日本プロレス、そしてケージマッチからヘル・イン・ア・セル(屋根まで金網で覆った試合、その屋根の上に上がっての攻防、何よりスーパーヘビー級のレスラーがいかに数mの天井から「派手に落下するか」が見ものでした)、ハードコア戦での単発の凶器だったパイプ椅子やテーブルなどをTLC(テーブル・ラダー(脚立)・チェア)として試合形式として成立させたWWE。
でも、それでも観客はそこで命の奪い合いが行われるとは思っていない。プロレスはあくまで「興行」です。だからこそプロレスラーには「どのスポーツよりも高いスポーツマンシップ」と「どの演じ手よりも優れた演技を見せるエンターテイナー」の両方が高いレベルで求められます。
プロレスの長い歴史で、日本でも世界でもプロレスラーの絶対数の割に「名選手」が少ないのは、どちらも会得した選手が少なかったから。
過去の名選手の評価で言うなら、格闘家としての評価はカール・ゴッチが上ですが、プロレスラーとしての評価はルー・テーズの足元にも及びません。強さしか求めなかったゴッチならではの現在の評価です。
長文失礼しました。
お礼
格闘一辺倒な訳でもなく、スポーツ一辺倒な訳でもなく、エンターテイメント一辺倒な訳でもなく。 全てをこなしながら、なおかつ最高のパフォーマンスで観客を魅了する。 プロレスラーって素直にすごいなと思います。 ありがとうございました。