【日本のジャーナリズムは明治期に終焉?】 朝日新聞の「白虹事件」とは?
【1】日本のジャーナリズムの歴史を振り返ると、日本の言論界の黎明期こそが黄金期だったと言われています。
明治期の言論人は旧幕藩体制の士族階級出身者が多くを占めました。
特に、戊辰戦争で幕府側についた東北諸藩や、在野した薩摩藩の西郷隆盛派といった明治政府に対抗する勢力から、剣をペンに持ち替えた気骨あるジャーナリストが多く登場しました。
明治初期から中期にかけて、陸羯南の「日本」や宮武外骨の「滑稽新聞」などは、発禁処分や投獄をもものともしない反骨ジャーナリストによる独立不羈を貫き通したジャーナリズムといっても過言ではありません。
しかし、政府批判を繰り返す「大新聞(おおしんぶん)」といわれた政論新聞や、反骨ジャーナリストによる「独立新聞」は、政府の度重なる言論弾圧によって次々と抹殺されてしまいます。
代わりに生き残ったのが「小新聞(こしんぶん)」といわれる商業新聞です。
これは、一般庶民や婦人女子を対象にした娯楽本位のものでした。
“朝日新聞”など、現存する大手新聞社の出自のほとんどが、この「小新聞」です。
(1)なぜ日本では反骨ジャーナリズムは明治期に終焉して、現在は“朝日新聞”などの商業主義新聞しか残っていないのでしょうか?
(2)将来の日本において、陸羯南の「日本」や宮武外骨の「滑稽新聞」のような、反骨ジャーナリズムの新聞は再び生まれるでしょうか?
(3)ネットは陸羯南や宮武外骨の反骨ジャーナリズムのような存在になりえますか?
【2】こうして、日本の反骨ジャーナリズムは明治時代に終焉した。
日本のジャーナリズムの終焉を証明するものに、大正時代の朝日新聞の「白虹事件」を挙げる学者もいます。
「白虹事件」で朝日新聞は政府と裏取引をしたことにより、ジャーナリズム精神を捨てました。
朝日新聞は白虹事件をきっかけに言論弾圧に屈し、身内を切り捨て、ジャーナリズムの精神まで投げ捨てて、企業の存続を図りました。
新聞紙法違反に問われた裁判では有罪判決が下されましたが、朝日新聞は控訴せず、逆に新社長となった上野理一氏は原敬首相に面会し、今後はこのような「過失」を繰り返さないと平身低頭しました。
(4)「白虹事件」で朝日新聞は政府と本当に裏取引をしたのですか?
(5)朝日新聞は白虹事件でジャーナリズムの精神まで投げ捨てて、企業の存続を図ったと言われていますが、今の朝日新聞にジャーナリズムの精神はありますか?
お礼
>それは記者クラブの存在です。 なるほど。 東京新聞と朝日新聞でどー違うか比べてみます。 ありがとうございます。