• 締切済み

苦しい

悪がたくさん、集まった高校にいます 授業中、教室にでたり、これをしてる人が悪い人ばかりじゃないけどピアスをあけてたり、スカートがめちゃ短いし、中身も悪っぽい子が多いです 過去に荒れてたり高校をやめたりやめさせられたり、留年などの生徒がほとんどです 私は、真面目ーって感じでもないけどその人たちと比べたら真面目な方です 学校にいってるのですが、なんとか本や音楽で前向きに言い聞かせたり、がんばろーって気持ちをおこさせたりしてます が、やはり、何回もだとどうしても気持ちが前を向きません 自分は、学校と学校をかえるころ気持ちがおちる→なんとか行く→おちるです あと、数年は、ここで頑張らなきゃいけないのです 乗り越えれる感じが全くしないのです 今でも親に愛されなくて叔父叔母がいるのですが自分のことを嘘ついてでたらめいったり、よく口をだしたりするなど他にもストレスを感じてます 乗り越えたい負けたくない気持ちもあります 正確にいえば、学校にいかない=負けるとはおもってませんが この人たちが思う通りになりたくないのです なにかしたり言って、行かなくなり、笑いますよね? そうしたくないんです 私は強いよって 実際強いとは、そうゆうことだとおもってます 学校がひるきゅうやトイレ休憩に限らず、授業中も騒がしいです とても、ポジティブとか前向きが続きません ネガティブがとまらないのです 家に帰り、親もうるさいのですが、言ってこないときは、冷静をたもてますが このままだと、家でも明日が怖くなったり不安になったり苦痛を感じてしまうとおもいます 実は前もでした どうしたら、乗り越えれるのでしょうか…? 親は礼儀に厳しいとか厳しいけどやさしいところはやさしいとかじゃなく、暴力に近い子供に対する感情?をもってます たとえば、行動では暴力ににたことはありますが、まだちがいます でも、親は逆に愛情不足のため自分に絶対にやすめません どんなに辛くても行きたくなくても休めないってところがよけい心を苦しくさせてます 自分は、今頑張ってるのにってところがあるから、頑張れといわれると最近悲しくなることがあるので しんどいときは休んでもいいよとかいわれると頑張れると思います

みんなの回答

回答No.2

No.1.です。 いい忘れた事があるので、再度書き込みますね。 あなたの文章を見ていて気になったのですが、頑張るのは、他人のためではないということです。 頑張るのは、あくまでも自分のためです。 人が見ていようが見ていまいが、自分のためにベストを尽くしてくださいね。 お天道様が見ています。 努力は必ず報われます。 努力していれば、いつか必ず、良い事が訪れます。 希望を失わないでね! 明日を信じましょう。 http://www.youtube.com/watch?v=gts3Onxnpr0 歌詞: 希望のささやき 「希望のささやき」には、緒園涼子(おぞのりょうし)さんと津川主一(つがわしゅいち)さんの二人の訳詩があります。共に素晴らしい名訳です。津川主一さんは牧師で教会音楽家です。 (なお、書き込みをした私はクリスチャンではありません。念のため。) YouTubeでは、緒園涼子さんの訳詩が使われています。 【訳詞】:緒園(おぞの)凉子(りょうし) 1.天(あま)つ御使(みつか)いの 言葉さながら   声もひそやかに 希望ささやく   闇(やみ)は四方(よも)にこめ 嵐猛(たけ)れど   明日(あした)陽はのぼり 風もなごまん   希望の あまき言葉   憂(う)きにも 幸(さち)はひそむ * 希望の あまき言葉   憂(う)きにも 幸(さち)はひそむ 2.淡き黄昏(たそがれ)に 真闇(まやみ)せまれば   暗き夜(よ)の空に 星はまたたく   いよよ更(ふ)けゆきて 胸は痛めど   夜半(よわ)に忍びよる 朝の光よ   希望の あまき言葉   憂(う)きにも 幸(さち)はひそむ * 希望の あまき言葉   憂(う)きにも 幸(さち)はひそむ 【訳詞】:津川(つがわ)主一(しゅいち) 1.天(あま)つ御使(みつか)いの 声もかくやと   静かに囁(ささや)く 希望(のぞみ)の言葉   闇(やみ)辺(あた)りを込め 嵐荒(すさ)めど   やがて日照(て)り出(い)で 雪も拭(ぬぐ)われん 囁(ささや)く 希望(のぞみ)の言葉 *   憂(う)きにも 喜びあり 2.辺(あた)り黄昏(たそがれ)て 夕べせまれば   空に見えそむる 明(あ)かき星影   夜(よ)はいよよ更けて 心静(しず)めど 差(さ)し昇る 朝(あした)間近し   照る日(ひ) 囁(ささや)く 希望(のぞみ)の言葉 *   憂(う)きにも 喜びあり

回答No.1

74歳男性です。 あなたのお爺ちゃんみたいな歳です。 とても辛いですね。 アドヴァイスするとしたら、次の2点があります。 (1)出来るなら、転校したらどうでしょうか?  転校は、別に、「逃げる」事ではありません。 環境を変えることが出来るなら環境を変えるのは、悪い事ではありませんから。 (2)転校できない場合。 この場合は、出来るだけ、環境に左右されないように、いろいろ工夫する事が必要だと思います。 環境を変える事が出来ないなら、その悪い環境によって自分の心がメチャメチャにされないように、自分の心を、どんな事にも動じない強い心に鍛え上げることが必要です。 蓮の花は、とても清楚で美しい花ですが、根をおろして生えている環境は、泥の中です。 あなたも、泥の様な環境の中にあっても、美しい花を咲かせてほしいと思います。 どうすればそうなれるか? それは、あなたの「物の見方・感じ方・考え方」を変えることです。 変えれば、そうなれます。 例え話ですが、のどの渇いた人が二人やって来て、コップ半分の水を見つけたとします。 ひとりの人は、「ちぇっ、半分しかないのか!」と不平を感じ、もうひとりの人は、「やあ、ありがたや。まだ半分も水が残っている!」と嬉しく感じました。 彼等に与えられた現実は、どちらもコップ半分の水だのに、ものの感じ方・考え方の違いによって、感じるところは、こうも違います。 果たして、どちらの人が幸せでしょうか? 前者のような考え方(何事にも、まず、足りないところ、不満なところを探し出す、後ろ向きで暗い考え方)を、後者のような考え方(何事にも、まず、良いところを探し出し、感謝する、前向きで明るい考え方)に変える事は、変えようとさえ思えば、誰にでもできることです。 そして、このように、考え方を変えるだけで、同じ事実関係に対して、苦しさではなく、ありがたさ・嬉しさ・喜びを感じることが出来るようになります。 テリー伊藤さんはご存知ですよね。 彼が以前『自分が不幸だと思ったときは、自分よりもっと不幸な人がいることを考えるようにしている。そうすると、自分が、それらの人たちに比べると、どんなにか、まだマシかが良く分かり、不幸を不幸と思えなくなり、希望と感謝の念が湧いてくる』と仰っておられました。 これは自分を幸せにする素晴らしい言葉だと気付かされました。 それ以来私も、自分が不幸だと感じた時、この言葉を思い出すようにしています。 「考え方を変える」という事はよく言われますが、実際は、なかなか、難しいものです。 曽野綾子さんの著書(『老いの才覚』ベスト新書)の一節に『私は、・・・失ったものを数え上げずに、持っているものを大切に思うことを子供の時から習慣づけられました。・・・。これが私の足し算の原理です。出発点を低いところにおけば、すべてがそれより幸運なわけですから、どんどん足し算ができるのです。 生まれて来た時は、皆ゼロです。それを考えたら、わずかなものでもあればありがたいと思う。ああ、こんなこともしていただいた、あんなこともしていただいたという足し算で考えれば不満の持ちようがありません。 でも、あって当然、もらって当然と思っていると、わずかでも手に入らなければマイナスに感じて、不服や不満を言い始める。これを引き算の不幸と言います。 今の日本は皆の意識が「引き算型」になっている気がします。豊かさであれ、安全であれ、すべて世の中が与えてくれるのが当たり前、と百点満点を基準にして望むから、不満ばかりが募って、どんどん不幸になっていくわけです。』 基準を何所に置くかで感じ方が変わってくる、というお話ですね。 あなたの環境は確かに良いとは言えない、どころか、とても酷い環境だと言えるでしょう。 でも、それよりも、もっと酷い環境だって、あるかもしれません。 また、環境は、学校や家庭だけではありません。 身体障害や智慧遅れなど、五体不満足で生まれて来た人は、それだけで大変なハンデを背負わされます。 それでも、必死で、生きたいと思い、なんとか生きて行こうと、奮闘します。 苦しんでいるあなたに、こういう事を言うのは酷だとは思いますが、あなたは、その点では、まだ恵まれていると言えるのではないでしょうか? また、学校の友達も、表向きとは裏腹に、本当は、心の中で、「これではいけない」と思いつつも、不本意ながら、そういう生き方に押し流された生活を送っていて、そういう自分を、心の底では、嘆いているかも知れません。 人間は、皆、不完全で未熟な生き物です。 人生とは、その未熟さを抱えながら、精一杯生きていくことです。 ご両親も、親とはいえ、あなたと同じ、不完全で未熟な人間です。 あなたが、もし、一段と大きな気持ちになれれば、そういう親を赦してあげる気持ちになれると思います。 あなたの苦しみは良く分かりますが、ここで、考え方を切り替えて、例えば、もっと酷い環境に苦しんでいる人々に比べると、あなたはまだマシな方だと思う訳には行きませんか? 生き物は全て、与えられた環境の中で生きて行くしかありません。 そうだとしたら、不平を感じて生きていくより、これでもまだありがたいと感じて生きていくほうが、本人にとっては、幸せなのだろうと思いますが、あなたは、どう思いますか? あなたが不平を抱くのがいけないと言うのではありません。 仰るような環境では、苦しみを感じるのは当然だと思います。 でも、あなたの苦しみを少しでも和らげようと思うなら、あなたの物の感じ方・考え方を変えることがとても大切だと思うのです。 与えられた環境が劣悪な場合、誰しも、まずは、その環境を変えたいと思います。 環境は変えずに、こちらだけが我慢するとか、こちらが先に変わるというのは、何だか損をしたような気分になるものです。 でも、環境が変えられない場合、その環境下にあっても心に苦しみを感じないでいられる人間になれるなら、そういう人間になる方が、得でしょう? 学校を出てから後の人生にも、楽しい事や嬉しい事と同じように、苦しい事も降りかかってきます。 その時に、少しでも、気持ちが楽に生きられることを祈っています。 頑張ってくださいね。 応援しています。 P/S: イヤだなと思う気持ちは、怒りの一種だそうです。 怒りは、人間が抱えている3大悪(むさぼり、怒り、おろかさ)の一つと言われています。 怒りをなくす方法について書かれた本があります。 『もう、怒らない』(小池龍之介著、幻冬社文庫、182頁。¥457+税)という本です。 薄い本で、分かりやすく書かれていて、とても読みやすい本です。 私も、大変参考になりましたので、ご紹介しておきますね。 あなたの心が苦しみから解放され、平安になりますように。

関連するQ&A