• 締切済み

「自殺はいけない。」という事に対しての疑問です。

初めまして、精神疾患を持ち、通院中のeoroといいます。 最近、ふと思うのは、「自殺はいけない。」という事に対しての疑問です。 自分が今、精神疾患で時折、「死にたい」と思うのですが、 周りには、止められます。 「周りが悲しむから。」「死んだら元も子もないよっ」って言ってもらえるのは、有り難いんです。嬉しいと思います。 でも、他の人ってサポートや、手助けできる範囲が限られてるじゃないですか。 結局、自分で「自分の人生を、苦難があっても生きたい」と思える意思がなくちゃ人生やってけないんじゃないかと思っていて・・・。 止めてもらえる気持ち、そのものも理解出来ます。 家族や、兄弟や彼氏が、「止める。」でも、「人生。」肩代わりはできない。 だから、自分が自分でやるしかない。 親からは、私は望んで産まれて来たのかもしれません。 ただ、私が、今、望んで生きてるかと言われたら、そうでもないんです。 「死んじゃだめ」だから、生きている。 なんか、おかしくないですか? いろいろ、いろいろ考えてます。 人間が産まれるときって、親が性交しての結果ですよね。 そこで、赤ちゃんができて、その中の遺伝子がたまたま今の自分なんだと思います。 だとしたら、自分は、自分で望んで産まれてきたのでしょうか? 1億~4億という精子の中で、本能的に一つの精子が、 母親の卵子と、巡り会えて、母親と父親の遺伝子が合体して今の私ができた。 今のこの世の中に、生きる権利が与えられている。 そうともとらえ、られるのですが・・・。 親は、生きる権利を与えてくれたかもしれませんが、それを放棄する権利だってあってもいいと思うんです。 人が減ると・・・・ 多分、行政的な、税金おさめる人が減るとか、減った分、年配をサポートする年金のうんちゃらとか、そういう、ある程度、支え合って生きて行く仕組みが、もろくなりやすいのかなとか、そういうにも考えてますが・・・。 いかんせん、支離滅裂でごめんなさい。 何か価値観が変わるきっかけがあればと思い、投稿します。 よろしくお願いします。

みんなの回答

回答No.29

ご質問者様こんばんは。 貴方が「死にたい」とお考えになるのは実に人間らしい考えだと思います。自殺はとても人間らしい行為です。貴方が今、生きている間に強烈に死を思うのは、生きながらに他人との「断絶」を味わっていらっしゃるからです。それは強烈な孤独と孤立と不安と疑念とを抱え込んでいる状態と言えるのだと思います。活動的に、生産的に生きるには、このような感情は意識的に和らげなければなりませんね。 苦しみや苦悩から解放されたい。そこから逃れる為に死は、人間にとっての逃げ場所にもなり得るのです。 何故?そのような考え方を人間が好むのか? その理由を簡単に説明すれば、人間はある部分で本能の束縛から解放されている生き物であるからだと言えると思います。 例えば単純な生き物は、本能に束縛されていて、あらゆる行動が本能によって「支配」されています。本能の指示する通りの行動しか行うことはできません。空腹を満たし、我慢せずに排泄し、時期が来れば生殖する。生き方はとてもシンプルで合理的です。 本能の束縛の領域から飛び出した人間は「自由」を得ると同時に「孤独」も引き受けなければならなくなりました。孤独、孤立、不安、衝動、絶望。人間が自由である代償は、人間にとっては耐え難い苦痛を伴うものになりました。自由であることの苦痛に「耐え切れない」状態が人間に生まれました。そして人間は、自由から逃避しようと思考したり、あるいはそに逆に「自由であること」を全く考えないように無視をするようになりました。 このように現代の人間は、生きながらに断絶しています。死はまさに断絶ですね。生きていても、死んでしまっても断絶だけは変わることがないというのは人間の一つの現実であると思います。この数百年の間に急速に進んだ貨幣経済、民主主義、資本主義がさらに人間を追い詰めている側面もあるでしょう。「生きている」「存在している」だけでは、人間の価値を認めようとはしない社会になりました。 自殺のことに話を戻すと、貴方が与えられている「生命」という問題と向き合わなければならないと思います。 人間はどうしても相対的に問題を考えてしまいます。主観と客観、善と悪、有ると無し。しかし、生命は比べる以前に本来的に「分けられない」ものです。ですから、自殺は悪いものとも、良いものであるとも言えないのです。ただ、生命には比較をしたり、分割して分けられないほどの美しい魅力があるのです。ちょうど、人間が太陽を2つに分けられないことと同じように。 そこに存在しているだけで貴方の「生命」は人の心を打つのです。貴方が身近にあれば、積極的に助けになりたいと思う人がいるのは、貴方の存在や、貴方の生命が本来的に持っている人を感動させる力がそうさせるのです。 貴方の心の問題を相対的に良い悪いと「分けて」分かったことにすることを、貴方の生命は許さないでしょう。貴方が求めたあらゆる「貴方らしさ」を貴方の「生命」は大切に守るからです。誰であろうと、それが例え貴方であっても、それを否定することを貴方の生命は許しはしません。 生命とは宇宙そのものです。貴方は太陽であり、月であり、地球です。貴方は貴方の宇宙と貴方の人生を共に伴走しているのです。貴方の死は、一つの宇宙の死なのです。貴方の宇宙の大きな可能性や未知の神秘性の全てを、貴方のある時の感情一つで永遠に封印することができるのです。であるから、そういう「危うい」存在であるから、人間はとても魅力的なのですね。いざと成れば死んでしまうこともできる「自由の眩しさ」ですね。 人間はこうすれば、人間として「成熟」できるといったようなものが一つもありません。年齢は人間を成熟させません。あえて言えば、死を身近に近づけた人間は、その悲壮な決意を持って何かを掴みたいと本気になって生きられる期間があるので、成熟への志向は強まると思います。 「明日死ぬとしたら、生き方が変るんですか?あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか? 」これは革命家のチェ・ゲバラの言葉です。 明日死ぬつもりで生きる「生き方」というのはどういう生き方なのでしょう?僕にはまだまだそれが見つかりません。でも、いつかそれを貴方に伝えられたらと思っています。それまで生き残ってくださいね。僕も頑張ります(^-^) ご参考になれたら幸いです。

回答No.28

生きることは権利でも義務でもありません。 同時に死ぬことも権利でも義務でもありません。 生きられないから死ぬ、それだけです。 生まれてくる環境は選べませんから、死ぬのが早い人もいれば遅い人もいます。 それは環境差であり個体差です。 私は人間も社会も自然の一部だと思っています。 だから人が生きるということは、水が高いところから低いところへ流れるような、当たり前の運動法則と同じだと思います。 生物に当てはめれば、可能な限り生き続ける選択肢を選ぶ、子孫を残せる選択肢を選ぶのが自然な姿です。 ですので、自分から死にたいと思うことは、生物として正常ではありません。 病気だから死にたいと思うだけです。 精神疾患や精神的に追い詰められて自死を選ぶことは、ガンや心筋梗塞で死ぬのと同じです。 異常をきたしているから死んでしまうという、ごく自然な話です。 事故や病気で死のうが、自殺で死のうが、死は死です。 そこに善悪の価値観を持ち込みたいのは、そう考えたい人がいるだけです。 それから、生きることには意味も価値もありません。 社会が破綻しようが人類が滅亡しようが、そんなものは大きな流れの中では、所詮早いか遅いかの違いです。 太陽や地球にだって星としての寿命があるのですから、人が一人生きるか死ぬかなど、マクロ的に見ればどうでもいい話です。 もちろん意味や価値を見出すことは自由です。 あくまで極論であり、意味や価値を見出している人たちを否定するつもりはありません。 ただ質問者様の人生は、質問者様が手に入れた1回きりで代えの利かないものです。 生きておいても損はないと思います。 私は昔から今に至るまで、生きることはめんどくさいと思ってきましたし、別に死んでも構わないと思っています。 それでも生きていれば、「生きていて良かった」と思う瞬間は何回か訪れます。 もしかしたら、「生きることがめんどくさい」という価値観すらひっくり返ることが、これから起こるかもしれません。 そういう可能性への賭けに、命一つで参加できるなら安いものだと思います。 急がなくても、あと100年もしないうちに死ねます。

  • doorakanai
  • ベストアンサー率27% (758/2746)
回答No.27

自殺したら天国に行けない 等と宗教で言ったりしているそうですが 言い換えれば「死なずに寄付しろよ 金さえ出せば極楽行けるぜ」 自殺を奨励したら寄付が減る。生かさず殺さず金を吸い上げる方が得。 多分こんな宗教観が一般に浸透して、こう言われるようになったのではないか。 第一、ポンポン死なれたら社会が成り立たちません。国も滅亡します。 社会上と宗教上の損得が一致して 自殺はよろしくないという観念が出来上がり、 「人が生きるのには意味がある」「自殺する奴は弱い」等という 何となくいい感じの言葉に置き換えられ 長年に渡って受け入れられて来たのではないでしょうか。 >「周りが悲しむから。」 人間、他人のためだけに生きる事は出来ない。 そういう人がいたら、その人はそういう自分が好きで、結局は自分の為なのですね。 >「死んだら元も子もないよっ」 突っ込んだ金を取り返そう みたいな博打の為に生きてるわけじゃないはずだが。 他人の事を思いやる余裕があるなら、そもそも死のうとは思わない。 他にも色々言われていたりして、どれもピンと来ないでしょうが その言い分がズレているから心に響かないのだと思います。 納豆が嫌いって話をしてるのに、ゴボウはまずいなんて言われても 今ゴボウの話なんかしてないだろ てな感じ。 >「死んじゃだめ」だから、生きている。 本当にそう思っていますか? 私も4、5年死ぬ事ばかり考えていました。 明日が来るのが怖い。昼も夜も怖い。何もかもが怖い。 生きるのも怖いが、死ぬのはそれ以上に怖かった。痛いのも大嫌い。 だから死ぬのは諦めました。 具体的に死ぬ方法を調べる為にその手の本を読んでいたら 面白くて、なんだか気が済んだ部分もあるが。 あなたと同じ、全ての生物はある因果関係から生まれて来ただけだと思っています。 ミジンコ等が「俺は幸せに生きるぜ!」というモチベーションをもって そこらを漂っているとはとても思えない。人間だけが特別ではない。 しかし、死の恐怖は全ての生物が持つ本能ではないか。

回答No.26

質問に対する回答とは離れるかも知れませんが、意見をシェアさせてください。 価値観が変わるまでいかないまでも、何某かヒントがあれば・・・と思っての投稿です。信じても信じなくても、あなた様の自由意志ですので尊重したいと思ってます♪ ■生れた(生れ直した)理由 アメリカだったと思いますが前世もあることが過去記憶をもったヒトから判明してしまいました。 【前世で未完了だったこと】の成長とバランスを遂げるため、ワタシ達は生まれなおしているという情報です。 支離滅裂になりながらも、この容姿このカラダこのキャラで“今度こそ幸せになります、ヒトに親切にします”と誓って生れたのだそうです。 今世完了(手放す)することが出来ないことがあっても来世があり、来来世がありますから平気です。 たまねぎの薄皮を一枚一枚はぐように、因果を解消し前に進む(強くなる/オーラを大きくする)魂の目的に沿って人生劇場の主役を演じきるようなのでした☆ ■誰かの人生を背負う為に産まれていない 誰かの責任を背負う為に生まれて来たヒトは居ませんし、誰かの問題解決をするために生まれ直したヒトもいない。 乗り越えられない課題を【真我や潜在意識】が与えることもなければ、乗り越えられるから神さまはレッスンを出すので怖れ/不安は要らないと。 ジブンの課題/魂の目的を遂げるために、ネガティブな経験にネガティブな感情をできるだけ使わず、ポジティブな解決法を選択する。選択するという自由意志を与えられているので、良い悪いとか損得だけでなく、チャレンジする。そぐわなければ新たな選択肢をまた選んで暮らす・・・そんな繰り返しがジブン自身にとって必要だから経験が招かれるという事らしい。 ワタシのほうこそ、まとまっていなくて申し訳ないのですが、自殺そのものをイイ悪いと決め付ける立場にもないし、肯定もしない代わりに否定も出来ません。 各々の成長のために起こされる/招かれる経験をただただ尊重します。 陰ながら適切な行動がもたらされますよう心の底から祈ります。 ~  あなた様にすべての理解を超える程の平穏が訪れ、あらゆる良きことが雪崩のごとく起きます  ~

回答No.25

じゃあさ、なんで通院しているの? 辛いからでしょう? 人に言われてるから?それだったら私なら通院してないけど? 命って自分だけのものではありませんよ。 権利権利ってなんの権利なの? 辛いから・・・もがいてて、生きたいから辛いんでしょう? いくつか知りませんけど、 おいしいものを「おいしい」 きれいなものを「きれい」って心から言えるように なってから考えれば? なんか「へ理屈」言う前に、一生懸命生きてから言ってくださいね。 生きたくても生きられない人に失礼ですよ。

  • Brian12
  • ベストアンサー率26% (206/789)
回答No.24

>親は、生きる権利を与えてくれたかもしれませんが、それを放棄する権利だってあってもいいと思うんです。  権利などは人間が作ったもので、有り無しを問うものではない。  生きものなのだから、死ぬまで生きるのだ。 >人が減ると・・・・  ”多分、行政的な、・・・”は国レベルの発想ではないか。  死ぬことを権利だと云々するのは、人口過多になっているからではないか。  地球レベルの意識になれば、こう感ずるのではないか。  笑顔で朗らかに積極的楽天的にいきましょう。

  • Kiripaku
  • ベストアンサー率10% (78/719)
回答No.23

先に述べますが、回答が宗教チックになりました しかし私は神や仏を一切信じていない無宗教家です 私の人生経験から回答させて頂きましたので・・・ まず、権利の話をすると義務も生じます 人生は修行みたいなものです 親が与えたのは生きる権利ではなく「生きる義務」 つまり人間(動物も?)は勝手に権利を与えられたと思っていますが、どちらかというと課せられています だから貴女の言うように、くっつく精子と卵子を選べずに自分が産まれてきてしまうんです そして与えられた権利は「幸せになること」です 貴女は確かに自分で「生きている」ことに間違いはありません でも「周りに生かされている」ことを忘れています 私だって子供がいなければ自分に存在価値などないと思ってます でも、意外にも必要としてくれている周りの方々がいます つまり、周りの人がいて貴女がいます、が、貴女がいて周りの人もいるということです 想像してみて下さい 貴女は家族・兄弟・彼氏・友達・・・etc いなくなっても悲しくはないですか? それは周りの人も同じなんです 人生って、そんなに自分でアレコレと決めつけて肩に力を入れながら生きなくてもいいんですよ どんなに優れた人だって失敗もするし恥もかいてます 人間なんて所詮、未完成品なんだし、完璧になったら感情を一切持たないロボットになるんだろうから 気楽に自分らしく生きていいんですよ それが貴女の権利であり幸せになれる方法なんじゃないかな? 今はアレコレ考えるより、楽しい事を一つでも多く探そうね

回答No.22

権利ね~・・・まぁ権利もあるけど、生きる義務ってのも あるよ。 あなたの人生だけど、あなただけの人生ではないよ。

回答No.21

折角なので、これから自殺する人が安心して自殺出来るように、自殺を否定するあらゆる人を完璧に黙らせ、説得出来る理由を考え出す事を生涯のテーマにして下さい。 そして、それを論文として完成して世間に発表して下さい。 その仕事を終えるまでは生き続けてみましょう。 因みに私も頻繁に自殺について考えを巡らせています。 自殺する手段や自殺を実行する場所を考えたり、自殺方法などの情報をネットで探したりしているとワクワクして楽しいですよね^^ そんな中、一番の問題となるのは自殺の持つ否定的側面なのです。 でも、それもきっと質問者さんが解決して下さると信じています^^

  • rokometto
  • ベストアンサー率14% (853/5988)
回答No.20

大体の人は知ってるんだよ。 自分が思ってるよりはるかに自分の死を悲しむ人がいるということに。 中学生の時親友が自殺しました。 本人は味方なんて誰もいないと言ってましたが、たくさんの人が悲しみ、葬儀に参加し、クラスのほとんどの子が泣いていました。 その場だけじゃないか、と自分は疑いましたが10年20年たっても命日にはたくさんのお供え物がお墓に置いてあります。 何が言いたいのか、たくさんの人が悲しむんだよ、そういうことではありません。 死んでしまってはたくさん味方がいたことにも気づけないし、明日良いことがあるかもしれないという可能性の放棄になるのです。 自分の体験や人の死後を見て知ってしまうと、思うんですよ。 「もったいないな」ってね。

関連するQ&A