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大阪 電車の色
大阪の電車の色について教えていただきたいです。 大阪の阪急(阪急マルーン)、阪神、大阪環状線(オレンジ)の電車の色はなぜその色なのか どなたかわかる方いますか? いたら教えてください。 お願いします。
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- tetsu3M
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阪急と阪神とは皆さんが回答されているように私鉄故それぞれの塗色を選択し、阪急は創設来、阪神は新性能車出現来この塗色としています。 大阪環状線の橙色については、経緯が少し違います。 国電に橙色(朱色1号)が登場したのは中央線の101系で昭和32年のことでした。このカラーの登場はインパクトがありました。そのころ大阪環状線はまだ城東線と西成線に分かれており環状にはなっておらず、車両は旧型の72系が走っており、葡萄色でした。鉄道管理局は天王寺で、旧型車を少しでもイメージチェンジしようと思ったのでしょう、管内の城東線の72系、阪和線の20系などの旧型車の塗色を中央線101系にならって次々と橙色に塗り替えたのです。ただ当時東海道本線は大阪鉄道管理局であり、管轄が別だったので京阪神間の国電にまでは及びませんでした。 その後大阪環状線が開通し、投入された新型の101系は旧型車のを引き継いで橙色で登場しました。以来103系、201系も同様に橙色を引き継いでいます。
- ultraCS
- ベストアンサー率44% (3956/8947)
戦前の電車はどれも深緑や葡萄色(マルーンも含む)でした。この当時は、色彩に対する考え方が現在と違い、白をはじめとする淡色はは昼間は背景に溶け込んでしまう色として警戒色として失格で、鉄道に使うべきではないと考えられていたのです。 また、既に出ていますが、無煙化、トイレの水洗化(軌道にポットン)も行われていない時代ですから、汚れが目立たない色という要請もありました。 それでも関西急電色のモハ52の用に茶濃淡塗り分けの電車もあったことはありました。 鉄道車両が一気にカラフルになるのは国鉄では80系湘南電車、私鉄では営団300形(丸ノ内線)が契機と言っていいでしょう。国鉄は新性能電車90系(101系)で初めてラインカラーに類する色彩を採用しました。中央線快速はオレンジバーミリオン、山の手線用がカナリア色(黄色)です。山の手線のカナリア色は103系の投入の際にウグイス色に変更され、カナリア色の車両は中央総武緩行線の新性能化に際して転属しています。 大阪環状線の全線開通時(1961)に101系が投入されたのですが、そのときに、既存のオレンジバーミリオンを使った理由はわかりません。ただ、この時期だと選択肢としてオレンジバーミリオンとカナリアしかありません。想像ですが、東京の環状線である山手線がカナリア色(鶯色が登場するのは1963)でしたから、同じ環状線として重複を避けたのかもしれません。まお。wikipediaによると、101投入時期は山手線が2ヶ月早いだけのようです(山手が1961/09、大阪環状線が1961/11)から、大鉄局が東京との重複を嫌ったというのはありそうですね。 阪急は戦前からの伝統であるマルーンをそのまま纏っています、最初に何故マルーンだったかと言われるとそれはわかりません。近鉄が長いことえんじ一色、名鉄が赤一色だったのと同じで塗り分けによるコスト増を嫌ったのかも知れません。 阪神は小型車時代(喫茶店など)は茶色でした(Wikipediaによると一時期ライトブルーだったとも)。 大型化に際して急行用の3000形を投入しますが、このときは茶色とクリームだったと思います。量産車が、赤とクリームの塗り分けに固定されて後の赤胴車になります。 また、初代ジェットカー5000形は緑の塗り分けだったと思いますが、5000形量産車でクリームとコバルト塗り分けの青胴車になりました。
- gsmy5
- ベストアンサー率58% (1452/2496)
詳しい理由は分かりません。 元々、鉄道の車両はカラフルに色を付ける習慣がありませんでした。 おそらく、蒸気機関車が煙を吐き、それで車体が汚れることもあって、そういう発想がなかったのでしょう。 また、初期の車両はそのほとんどが木造でした。 それを長持ちさせるにはニス塗りなどが用いられます。 そのため、自然と茶色系の色が主流になったのでしょう。 その後、路面電車ができました。 電車は煙の影響を考える必要がないので、色は茶色系にする必要はなかったのですが、すでに車体製作技術として確立していたため、客車と同様茶色系の色のままにしたのでしょう。 日本でも開業当初は欧米の車両をそのまま導入しましたから、同様に茶色系の電車となりました。 その後、車両は木造性ではなく、鉄製となりましたが、錆防止、錆を目立たなくさせる意味でも茶色系の塗装は重宝したため、そのまま茶色系の色が使われました。 阪急のマルーンはその頃の色が進歩して今の色に受け継がれたようです。 で、昭和30年代が近づくと、国鉄でも電車の運転区間が長くなり、カラフルな色使いが出始めました。 そのような流れの中で、国鉄の新型という旧来の電車とは異なった技術で作られた電車が昭和40年近くに出ました。 それが、仰る環状線などの電車の原形です。 このとき、せっかく新型にするのだから、新型のアピールと、路線の区別をしやすいようにと、路線別に色を変えました ある程度路線のイメージから色を決めたのでしょうが、正式な理由はないようです。 (山手線:緑、京浜東北線:青、中央線:オレンジ、総武線:黄色など) その後大阪にも同じ車両が入り、そのときからカラフルな色になったわけで、やはり、各線ごとの色の意味は明確ではないようです。
- maronwan6502
- ベストアンサー率12% (3/24)
阪急マルーンは、小林一三が、遠距離のお客様も近距離のお客様もどちらも大切なお客様。だから、そのお客様の乗る列車に区別をつけないと、普通から特急まですべて同じ色のマルーンにしたと聞いたことがあります。 なぜ、阪急マルーンか、すみません知りません。答えになってませんね。
- FEX2053
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阪急マルーンは、名経営者の小林一三以来、かたくなに色を 変えてないだけだ・・・と聞いたことがあります。電車は商品 だから、パッケージの色を変えないことでアイデンティティを 保つってことですね。同じ理由で阪急百貨店の包み紙も、 長いこと変わってないはずです。 大阪環状線のオレンジは、大阪環状線全通時に導入した101系 が、インパクトのあった中央線オレンジを継承しただけらしいです。 特に大阪側から何かを言ったわけじゃなさそうです。 阪神については「普通車と急行車で色を分けた」という話は聞いて ますが、じゃあなぜあの色なのか・・・は知りません。