- 締切済み
大学中退の理由と印象
9年程前に私立大学の機械系学科を4年間通い続けた後、中退した者です。 コンピュータにも興味はあったのですが、コンピュータは独学でも習得できると思っていたので、 せっかく大学に入るのだからと、機械にも興味があったので、機械工学科に入学しました。 その学科の留年率は5割前後だったので、少し嫌な予感はしていたのですが、努力すれば大丈夫だろうと楽観的に考えていました。 1年目は数学の科目を数単位落とす程度でのんびりとしたものだったのですが、 2年目の春学期になると、レポートの量が極端なほど増え、レポートのために講義に出席することもできなくなりました。 ひどい時は、1週間にレポートを50ページ作成し、それまで再提出とされていたレポートも数個同時に修正する必要がありました。 レポートを提出しても、理由を告げられることもなく、何度も再提出するように言われ、その状態が試験期間の直前まで 続き、一部は試験期間中も続いたため、試験勉強もすることができなくなりました。 物理的には、勉強する時間はあったのですが、精神面で負担が大きかったため、勉強することはできませんでした。 留年してはいけないというプレッシャーもあったため、ストレスから試験勉強をしてもまったく記憶に残らなくなり、 覚えるということができず、ほぼ全単位落としました。 この時に誰かに相談すれば良かったのですが、時間が経てば元に戻り何とかなるだろうと楽観的に考えたため、誰にも相談しませんでした。 当時のネットは今とは違い、まだ未発達で気軽に使ってはいませんでした。 ところが、その後多少状態が良くなったものの、元のような状態に戻ることはありませんでした。 自主的に勉強しようという気も起きなくなってしまい、試験中ずっと寝ていました。 過去問、ノートのコピーは入手することができていましたが、大学で指定された本以外ほとんど読んでいませんでした。 大学の図書館にある本は分かりにくい本ばかりで、ネットが未発達だったため、 公共の図書館で調べることはほとんどありませんでした。 今読み返すと、大学で指定された本はどれも初学者にとっては、理解のしにくいものばかりです。 中退後は機械系から離れ、プログラミングを中心とした生活をしていたのですが、 最近、機械系の勉強をしなければならなくなり、自主的に少しずつ最も基本的な内容からすべて勉強し直しているのですが、 改めて当時のことを思い返すとひどいものでした。 講義は理論が中心だったので、独学で演習問題を解かなければ、理解することができないものでしたが、 大学で指定された本には演習問題がほとんど含まれていませんでした。 今もその学科の状態がほとんど変わっていないため、どの大学のことなのか分かる人がいるかもしれません。 京都大学の留年率が1割程だと知り、驚きました。 製図の時間に企業を退職した人だったと思うのですが、専用の担当者がつき、その人だけが 私の異変に気がついていたのかもしれなかったのですが、多少励ましてもやる気が元に戻ることはありませんでした。 当時を振り返っても、誰かに相談したとしても、やる気が元に戻ることはなかったと思います。 留年率が高い大学は厳しいとか、留年する人は怠けてるというようなイメージが世間ではなぜか多いのですが、 こういった状態のことをどう思われるでしょうか? 例外のように思えるかもしれませんが、私の知っている限り、個人によって事情が少し異なるだけで、 同じ学科に何人も似たような人がいました。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
みんなの回答
- run2234-mu
- ベストアンサー率16% (5/31)
えっと、僕自身は私立文系という、卒業だけを考えればぬるいところを出ております。 少し下に妹がおりまして、これが不器用な性格で、アスペじゃね?と僕なんか思っているんですが、両親も本人も認めないので放置してますが、勉強は意外と出来てました。それで、質問者さんと同じか違うか知るすべもないのですが、某旧帝大の理系に進学しました。 ふーん、ああいうのがそういうところは向いているのかな?ま、本人に向いてる進路があって良かったじゃないか程度に喜んでやったのですが、、、、 やっぱり、2年だったと思います。お袋から、勉強が付いていけないのか、留年の危機の心配を度々相談されるようになって、理系は遊んでいなくても留年する人は珍しくもない、あいつは要領が悪いから、ストレートで卒業できるかどうか、結構厳しいんじゃないかと。それも心配はわかるが、精神的なほうも気をつけたほうが良いんじゃないか、そうも忠告しました。 これは文系でも、大学不適応を起こしてるやつが珍しくもないということから、容易に思い付くことです。 結局、妹は2年で留年。お袋はあの頃は本当に落胆して後悔もしてたようです。もっと楽な大学に行かせれば良かった、このままでいいのだろうかと。その頃は妹の下宿に度々行っていたようです。 で、恐ろしいことに妹はもう一度留年してるんですわ。二留はさすがにアウトじゃね?兄貴としてもさすがに心配になって飛んでいきましたわ。こりゃ、ノイローゼになっておかしくないですから。 先に来ていたお袋とどういう道があるか、転部の規定はどうなってるか、青くなっている傍で、結構ケロッとしてる妹に、こいつ本当にアホなんか、大物なんか、戸惑いましたわ。 ただ、なんていうんでしょうか、精神的にヤバイ様子ではなかったから、そのまま行くしかない、就職は諦めるしかない、でも、何でもよければあるんだろうから、先のことは考えない、と言う結論。 そんな奴なのに、4年生で全然就活もしないから、院進学だろうと教授に勧められるままに院試を受けて合格。オイオイ全員受かるんか?と聞き返したくらいですが、やはり、内部からでも落ちるのもそれなりにおるようです。またまた、付いていけないことも案じたのですが、修士は2年で終われた。 ま、これ以上のことは不要でしょうから、ここまでとして、 やはり、精神的にダメージを受けやすい人、平気な人、それと、家族が常に気をつけていたかどうか。 うーん、留年しても続ければよかったんやないですか?それか、休学もあったと思う。 追い込まれてしまった事の対応が不味いことと、そもそもそうなってしまう学生が出る欠陥については、どうだろうね、大方は自力でしてるんだから、出来ない学生は留年してでも食いつくしかないし、諦めてもっと楽な大学に変わるなり、学部をかえるなり、するしかないんじゃないかと思う。 妹は女だというのに、二留というハンディを背負ってしまったが、何とか超えて、何とか就職している。 履歴書を出せば知れるが、普段の交際範囲なら、二浪したんだろうと見られているんじゃないかな? リカバリーの仕方が足らなかったんじゃないかね? 中退は中退、勉強についていけなかった、そこは素直に認めるべきだと思う。
- nananotanu
- ベストアンサー率31% (714/2263)
因みに、主旨からは外れるかもしれませんが、少なくとも私が現役の頃は京大の留年率が低いのは卒業までに単位をそろえれば良いから、でした(単位が足りなくても進級は出来る)
- ok-kaneto
- ベストアンサー率39% (1798/4531)
>年率が高い大学は厳しいとか、留年する人は怠けてるというようなイメージが世間ではなぜか多いのですが、 >こういった状態のことをどう思われるでしょうか? 理系では特に珍しいことではないと思います。指定された教科書は教授が書いたものが多く、それだけでは科目のすべてを理解できないのは当然です。シラバス等に参考資料は提示されていませんでしたか?授業は理論を聞いて、家で演習問題等で理解を深めるというのも当然だと思います。 まあ、「相性が悪かった」面もあるのかなと思います。wanwalkerさんが実直すぎて(悪い言い方をすると要領が悪い)うまくこなせないタイプだったこともあるのでしょう。 大学とは勉強を教えられる所ではなくて自ら学ぶ所なので、色々と思い違いはああるかとは思います。うまくストレスと向き合えなかったのではないでしょうか。
お礼
シラバスに参考資料は書かれていましたが、もっと分かりにくいものか、講義そのものとは少し離れたものばかりでしたので、2年目以降は無視していました。在学中に家で演習問題等で理解を深めた方がいいとは一度も聞いたことがありませんでした。最近、疑問に思うのですが、日本では大学では自ら学ぶべきで、独学するべきだという考え方が支配的ですが、欧米では逆で、大学が可能な限り学生をサポートしてると思います。大学が独学重視なら必要ないような気もします。 たしかに要領が悪いと思います。。。運も当時は悪かったのか、逆に良かったのか分かりません。今は自主的に勉強しているからなのか、良い本を探すようになったからなのか、昔のような環境から離れたからなのか、ストレスを感じることも無くなりました。
お礼
妹が留年していても、ケロッとしていて、戸惑っていたとのことですが、戸惑ってしまうのは、妹と立場が異なるからで、推測ですが、おそらく妹からすると、周囲が心配してこととは、異なることを考えていたのだと思います。 中退したことそのものは、後悔しておらず、今でもこの選択が最も良かったと思っている のですが、大学で行っていたことと時間が無益に思えています。 ストレスの影響が大きいと思うのですが、 大学では努力して勉強したということがほとんど無かったと思います。 大学はこのままでいいのかということと、世間からすると、個人的にどう思われることが あるのか少し気になっていたのですが、気にしても意味がないようですね。 リカバリーの仕方が足りなかったとは思いますが、当時は何が原因だったのか 分からず、周囲に相談する気も起きず、他に興味があるものに力を入れていきました。