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わたしの「日本の心」はホンモノ!?
ひとりのマイノリティという立場から,これからの日本社会を活きるマイノリティのために,このような質問文を考えました。 わたしは台湾系日本人(日本国籍保持)であり,いわゆる「外国につながる日本人」です。 親が外国出身ということから,わたしは日本社会のマイノリティの問題に,大きな関心をもっています。 マジョリティである,いわゆる「純日本人」にとっては,マイノリティが日本社会に受けいれられるためには,いわゆる「日本の心」をもつことが重要であるとされます。そのようなことを「強調」する人々は少なくないと思います。 ここでいう「日本の心」とは,日本人を理解することや,日本語を習得すること,さらには,日本の文化や習慣を受けいれることなどを意味すると,わたしは考えます。 では,「日本の心」があれば,マイノリティは日本社会に受けいれられるのでしょうか?
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- hunaskin
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>「日本の心」があれば,マイノリティは日本社会に受けいれられるのでしょうか? 面白くもなんともない回答になりますが、相手次第、ですよ。 「日本の心」なんて非常に曖昧なものです。 日本の心が武士道にあるのか代々の田畑を守る農民にあるのか、鉄腕アトムにあるのか、なんてそれぞれが勝手に思っているだけです。 そりゃ、何か気に入らない相手について「もともとあいつは○○国人だから」なんて理由づけする人間もいるでしょうが、そういう奴輩の態度や言い分にに気を取られてもあまり意味がないと思います。 また、社会の制度としては、出自に関わらず、日本国籍があるのなら日本人であるということを受け入れない、ということは無いはずです。
- chie65536(@chie65535)
- ベストアンサー率44% (8742/19841)
>ここでいう「日本の心」とは,日本人を理解することや,日本語を習得すること,さらには,日本の文化や習慣を受けいれることなどを意味すると,わたしは考えます。 残念ながら違います。 日本人自身は、自身が日本人である事を意識したり、あえて理解しようとはしません。 「意識する以前に既に日本人」であり「理解する以前に既に日本人」なのです。 犬が「ワン」と吠えるのは、意識したり、理解して吠えている訳ではありません。意識も理解もしてないうちに、生まれついて、自然に「ワン」と吠えるのです。 日本人が「日本人である事」や「日本の心を持っている」のは「生まれついての物」であって「髪が黒い」「瞳が黒い」「肌が黄色い」と言う、生まれついての物と同じ物です。 「理解しようとする」「習得しようとする」「習慣を受け入れようとする」と言う行為自体が、もう既に「自身が日本人ではないと意識している事の表れ」です。 本当の日本人は、意識して日本人を理解しようとしたり、意識して日本語を習得したり、意識して習慣を受け入れたりはしません。 これらの事は、無意識に、意識しないで行います。 意識してないうちに、いつの間にか、自然に理解し、自然に習得し、自然に受け入れて、初めて「日本の心を得た」と言えます。 意識してやっているうちは「偽物を得ただけ」であり、真の心は得てはいません。
補足
マジョリティ「らしい」回答ですね。
- engg
- ベストアンサー率22% (46/207)
東洋人は似ているのであまり表面的にはわかりませんが、一見日本人は日本人という単一の種類に見えますが、歴史的に見ると、長い間にかけて、台湾はもちろん、中国、韓国などから多くの人々が入ってきて入り混じって、日本という風土の中で“日本の心”と呼ばれるものが、あるとすれば、作られていると思いますので、あなたもすでに“日本の心”の一部かと思います。その意味ではホンモノです。 マイノリティはマイノリティであるがゆえに、どこの社会においても、マジョリティからは疎外されがちなのはいたしかたない気がしますし、生物である以上、良し悪しは別として、自然なことではないでしょうか。「受け入れられる」というとなんかこわばったことになりますが、トラブルがない程度に「なじむ」ってのがいいんじゃないでしょうか。 質問の真意がよく飲み込めなくて、的外れかもしれませんが。
お礼
コメントありがとうございます。 わたし自身は,いろいろな「経験」はありましたが,日本社会においては,それなりに「なじんでいる」と思います。その点においては,一応は,「ホンモノ」といえますが,では,わたし以外のマイノリティはどうでしょうか? そこが,わたしが疑問に思っているところです。
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お礼
「相手次第」については,いわゆる「行動する保守」の活動が活発化しているいまの日本社会において,どれだけの「意味」があるのか,わたしにとっては大きな疑問です。排外主義が広まっているいまの日本社会においては,マイノリティの人々は肩身の狭い思いをすることになります。