お礼読みました。
私の取り越し苦労なら良いのですが、一つ指摘させて欲しい。
過去イジメを経験したそうですがイジメの加害者について許せる心は芽生えておりますか?
前回の回答で、「彼女の様な人生を歩んだら、彼女の様な過ちを犯すかもしれない。」
と書きましたが、この一文に共感できたでしょうか?
もし、できたなら、恐らく、過去の虐めについても許せる様になる訳でして、お礼欄にて、自分も被害者かの様に自己弁護するかの様な文面は書けない筈で・・・
要するに、貴方が、虐められなかった人生を歩んだとしたら、
虐められるという苦痛を知らぬが故に、虐める加害者側になりえる可能性、要素を持つという事です。
申し訳ないですが失礼な事を書いてしまいます。
虐められた過去の出来事について、根に持っていて、「自分なら虐めなんて過ちは絶対に犯さない!」と思い、虐める様な人々をただただ軽蔑視してしまう。
そういう傾向が貴方にあるのではないでしょうか?
そういう生き方を否定するつもりじゃないのですが、その生き方を肯定するのであれば、おそらく人生が楽しくないのではないでしょうか?
過去のいじめ被害の経験をし心が豊かになったとおっしゃいましたが・・・心が豊かになったのであれば、貴方の心は救済されていて幸福になってる筈で、加害者の御陰で幸福を得てた事になり、加害者に感謝してしまう筈です。
貴方がもし、断固として「イジメは悪でしかない!」として評価するのであれば、恐れながら、貴方の視野が狭いと言わざる負えません。
壮絶なイジメを経験した者は断固として「イジメは悪でしかない!」と思って当然なのですが、それは例えるなら、アメリカに戦争で敗れた日本人が一生死ぬまでアメリカを許せなくて憎悪主体で生きてしまって、アメリカの良い一面(たとえばアメリカの映画やアメリカ旅行の楽しみを)知らずして死んでしまう様なものなのです。哀れなものです。
もし、過去の虐めが壮絶であるから、そういう思考回路に陥ってるのだとしたら、私では貴方の様な経験はした事がないから、所詮は説教をしてる様に見えるでしょう。
貴方は内心にて「私の気持ちを知らないくせに説教してんじゃない!」と思うかもしれない。
もし怒るのであれば、それは貴方の心に弱点なりの弱身があるかこそで、それを改善するのが、真の意味での貴方の為になるのではと思います。
お節介と思いますが、貴方は心の中でこう思ってみるといい。
「私が過去、虐めの被害者になってる間は、少なくとも加害者は私以外の誰かを虐める様なことはしなかった。だから、厳密には私は被害者という弱い立場では無い。私がいじめられる間、他の被害者を生み出さない事に貢献した。世の中の役たったから、私としては誇りである。」
要するに”罪を憎んで人を憎まず”という理想論を振りかざして、自分で自分を慰めるのです。
この慰め方が貴方にできるか否かで、貴方が人生についてより強く、幸福を感じられるか否かに関わってると思うのですが、どうでしょうか?
貴方にこの様な捻くれた思想を肯定する様な芸当ができるでしょうか?
もしできるのであれば、貴方は即効で私をベストアンサーに登録して、質問を閉じるでしょう。
お礼
ありがとうがざいます。