ご質問者様こんにちは。
事情が全く分かりませんから、短い言葉の中から想像を膨らませて書きますと、ご質問者様が薄情であるかどうかで悩むことはとても良いことだと思います。その方に対するご質問者様の行動や態度が「薄情」であると「ご自身」の目で見て感じていらっしゃるから生まれる悩みですものね。
ご質問者様は本当は薄情な人間にはなりたくないのではないでしょうか?
ただ、今回のご質問はご質問者様にとっては自分を正当化する「甘え」や「逃げ」を感じさせるものですね。
薄情であるかどうかは置いておいても、人間の全ての行動の動機は「自分の為」であるべきです。全ての行動の前提に、自分の考える幸福や希望が無ければなりませんね。ご質問者様が困っている人に助け舟を出したのは、その人が自分の人生を肯定的に、生産的にもう一度再構築するキッカケを与えることで、その人からの感謝を希望として期待したのではないでしょうか?
人間が持つ幸福や希望が、完全に正しさを持つものであることは「あり得ない」ことですから、人間の心には迷い悩みが生まれるのだと思います。しかし、人間は迷いながら、悩みながらも自分の為に「選び」続けなければならないのです。その苦しみと誇りを持って、自分の為に正しいと思えることを人間はこの世界に引き起こさなければならないのです。
ご質問者様の胸が苦しいのは、ご自分の未来に起こるかもしれないその方からの感謝を受け取る機会の可能性を消し去ってしまうことへの未練があるからだと思います。人間の生命の根本的な欲求は「孤独を克服する」ことにあります。孤独を克服する自分の為に、誰かを救い助け、何かを救い助けることが人間には必要なのです。それを生きる意味と捉えたり、自分自身の人生の使命だと思えるように考えを深めるべきです。
全ては自分の為の行動です。誰かの批判、当事者のその方からの批判を受けたとしても、自分自身の苦悩と誇りを手放してはならないのだと思います。それは、自分自身の幸福や希望を捨て去ることと同じなのですね。
小手先な態度では人間には伝わりませんね。どれだけ自分自身が見ることが出来る嬉しい「未来」を叶えたいと思えるかが問題なのです。これは相手はどうこうの問題では無くて、自分自身との真剣勝負なのだと思います。その方はそのことをご質問者様に気が付かせる為の大切なご縁なのではないかと思いました(^-^)
ご参考になれたら幸いです。
お礼
奥の深いお言葉ありがとうございます。 私は偽善者か否か、また相手にどう映っているか? それを悩んでいたんだと痛感いたしました。 その悩みから逃げるために質問しました。 仰るとおりです。 全ては自分を思い、自分の為です。 少しでも自分の気持ちを楽にしたかった。 相手にまるで自分の裏の顔を見せている状態が辛いんです。 少し吐き出せて楽になりました。 ありがとうございました。
補足
今回の質問に対する多々のご回答で 私の心と考えの未熟さを思い知りました。 そして随分と心が楽になりました。 細かい詳細は書くことが出来ませんでしたが 十分な助言を頂けました。 ご回答いただいた皆様に再度お礼申し上げます。 ありがとうございました。