- ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:安倍総理の硫黄島訪問についての思い・・・)
安倍総理の硫黄島訪問についての思いと感慨
このQ&Aのポイント
- 安倍総理の硫黄島訪問についての思いと感慨について、国内報道の少なさや英霊への接遇に対する怒りと悲しさが忖度されたこみ上げてきました。
- 日本の固有領土でありながら、多くの犠牲者の遺骨が60年以上経っても滑走路の下やジャングルに放棄されていることに対して、遺族や関係者の思いと申し訳の無さが感じられます。
- 安倍総理の訪問は、国家の非情さや英霊への接し方に光を当てる機会となりました。皆さんの安倍総理「硫黄島」訪問に対する思いと感慨を教えてください。
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
硫黄島に行くのなら当然終戦の日に靖国に参拝すべきでしょう それが英霊に対する誠意
お礼
ありがとうございます。 >硫黄島に行くのなら当然終戦の日に靖国に参拝すべきでしょう それが英霊に対する誠意 硫黄島は激戦下に斃れた兵隊様の骸が米軍の制空権拡大と日本本土爆撃の為に遺体収容もされずに滑走路にアスファルトに覆われている。 その遺骨収集の督励と調査を兼ねた慰霊の訪問です。 また靖国神社は、先の大戦の兵士だけでなく、国家に身を捧げ今日の平和の礎に成られた方々への尊崇の念を述べ、感謝の誠を捧げ、平和を誓う参拝であります。 総理と言う立場から、SPの問題・外交への影響も考慮が必要だと思います。 誰はばかることなく、1年365日、何時でも心で手を合わせ、立ち寄る事が出来る時には、常時、事前報道なく静かに参拝頂きたいものです。 ※靖国神社への思いは補足欄に記載
補足
靖国神社への思い<既投稿:私見> ↓ 先入観なしに、色んな意味での全国各地にある護国神社の一社であり、国の為に命を捧げ犠牲となられた御霊を祀った杜である。 そこに、遺骨は無くとも、多くの方(男女や年齢や身分の違いを分け隔てなく)を祀り国家としての崇敬の念と慰霊を行い、将来に不戦・平和を祈願する所だと思います。 そして、由縁の人が、多くの同胞が、慰霊と共に子孫としての近況報告、平和祈願の為に参拝する社でもあります。 <私見> 「靖国神社」を思想信条・歴史観は例え異なっていても政争の具や外国への迎合追従のプレゼントに利用は許せない! まるで戦争犯罪人を祀った戦争賛美の軍事化の象徴のように忌み嫌ったり、特別な周辺国に配慮し秘匿するような先般や軍属の巣窟扱いは、尊い犠牲となられた先人・御霊・遺族に対し、誠に申し訳なく恥ずかしい。 死者に御霊に非礼・冒涜する事になり、ご家族や関係者への心無い非情な発言、同胞として恥ずかしく悲しい心根だと思います。 参拝する自由も、参拝しない自由もあり、靖国神社を御霊をどのように見るかは、それは国民一人一人の思想信教信条の自由であり、歴史観や価値観や死生観にも繋がる事かもしれないが、他国や特定の政治団体等から参拝の自由&不参拝を束縛・強制・干渉される事では決してないと思います 靖国神社は250万余の御柱の眠られている静謐な杜である。 戊辰戦争:3,588柱以降 その後の佐賀の乱・西南戦争・日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・満州事変・支那事変・第二次世界大戦で戦死・傷病死された方々。 安政の大獄や禁門の変に倒れた方々、吉田松陰・橋本左内・坂本龍馬・高杉晋作・頼三樹三郎・真木和泉守・清川八郎・武智半平太・中岡慎太郎等の維新の志士、従軍看護婦を始め、沖縄で戦没したひめゆり・白梅等の七女学校部隊、樺太真岡の自決殉職された電話交換手の女性の御祭神も57,000余柱、小・中学校の児童生徒。 シベリア抑留中に死亡された軍人軍属方々、戦争終結時に責任を負って自決された方々、戦争犯罪人として処刑された千余命名の方々(その後、国会での全会一致による名誉回復・人権尊重の主旨で昭和殉難者と呼称)・学童疎開で潜水艦に撃沈された対馬丸の学徒・空襲下で軍需工場や防空防火活動中の爆死者等、私たちの先人であり、今日の安寧の為に身を捧げられた方々である。 このように、我が国には死者は神仏になって土に還る、そして現世の子孫を見守って下さるとの思い、慰霊と感謝の気持ちから、由縁の方々を戦死・戦傷病死された軍人・軍属ばかりでなく、民間の方、女性や児童も含めて多種多様な御祭神をお祀り申し上げているのです。 そして、御霊の由縁の方々は日本全国に津々浦々に遺族・戦友・関係者が居られます。 明治天皇が命名された「やすくに」には「国を平安(安の字は靖に通ずる字)にし、平和な国をつくり上げる」というお心が込められている。 そして、霊ジ簿と言う和紙に一人一人の神様(死者)の名前を記し綴じ納められている、遺骨を納め祀っているのではない。 その神・仏戸成られた御霊は→祖国永遠の平和とその栄光を願いつつ、掛け替えの無い尊い生命を国に捧げられた同胞たちで、これらの方々は身分・階級・職業・年齢・性別等にかかわりなく等しく祀られているのです。 個々の方々の遺骨は故郷や由縁の地に埋葬されており、靖国神社は戦友・同志・献身の人々の魂が霊ジ簿に記され、集い、国の行く末を見守り、子供や孫が後事を託した私達の訪ねて来るのを楽しみに待っていて下されている。 その御霊・英霊が静謐なる杜におわすと信じるからです。 そんな靖国神社を、戦争遂行のシンボルだった、軍国主義の復活への道だ、A級戦犯が合祀されている、他の宗教信者である、A級戦犯(我が国に戦犯は居ない国会でも全会一致で名誉回復:昭和殉難者とした)は出て行けの分祀合祀論、中国や韓国がクレームetcで参拝拒否?は信じられない。 誰のための誰が祀られた社なのだろうか・・・愛する国家・家族の為に身を捧げ、犠牲となられた方を国家が国民が(無論、天皇陛下や皇族の方々も含め)今日の平和を感謝し、これからも不戦を誓うのに、家族子孫の近況を報告するのに誰に憚る遠慮せねばならないのだろうか? 国難・存亡危急の時、国の為、家族の為、子孫の為に生命を捧げ犠牲となられた方々へ、外国への配慮だとか分祀云々は→国家として、同胞として、否、人間・個人として余にも軽薄・無責任な発言だと思う。 非難する国が有れば、堂々と祖先を慰霊し、平和に感謝し、不戦の誓いを行い、子孫の近況を報告する為の社であり、参拝だと言えば良い。 それが言えぬ、思わぬなら、日本人として、心の中まで、死生観や死者の慰霊にまで、信念・信条・矜持を忘れたのか持てぬのかと、問いたい糾したい・・・。 あくまでも、人間として日本人として個人として、誰からも指図や強制されずに、自己の信条・心情・真心で、他人にも押しつけるものではなく、自由意志で参拝するもしないも決めれば良いのである。 ことさらに8月15日の参拝だとか公式参拝だと政治家が騒ぐのは迷惑であり、その思いが有るならば、何時でも静かに靖国神社や千鳥ヶ淵や各地の護国神社や平和記念公園に行き、<閣僚等のSPの問題は別だが>静かに手を合わせれば良いし、実際に行くことが叶わない場合にも、近くを通る折に心で慰霊と平和への誓いをすれば良いのだと思う。 私は、「後を頼む」と無念・非業の死を迎え旅立たれた御霊に対して、今日の平和に対し、生命を捧げ礎となられた方々へ、慰霊の心、感謝と責任を申し上げ誓う為に、これからも機会を作り靖国神社へ参りたいと思います。