ニュートリノと光子のヘリシティ
ニュートリノには左巻きのものしか存在せず、
同様に反ニュートリノには右巻きのものしか存在しないことの説明として、
(反)ニュートリノは光速度で運動しているからだ、というものがありますが
この説明はどの程度正しいものでしょうか?
話を複雑にしないため、とりあえず標準理論内で考えたいのですが、
ニュートリノは質量を持たない(massless)ため光速度で運動する。
↓
ニュートリノを追い越すことは不可能である、
すなわち観測系を変えることで運動量を反転させる、といったことは出来ない。
↓
左巻きのニュートリノは、何が起きようとも左巻きのまま。
というロジックをよく見かけます。
しかし、光子について調べてみると、光子はヘリシティh=±1を取り得る、という話があります。
これは、光子には右巻き左巻きが存在する、という意味ですよね?
光子はもちろん光速度で運動しているはずですから、ニュートリノに関する議論同様、
光子を追い越す観測系も存在しないはずです。
にも関わらず、ニュートリノと違い、右巻き左巻き両方が存在するというのは、
どこに由来するものなのでしょうか?
また、以上のような疑問について、webで調べてみたところ、
「ニュートリノを追い越して眺めるというのは、相対論的には、ある慣性系で観測者から遠ざかるニュートリノを、
別の慣性系では観測者に近づいてくるように観測するということである。
いずれの慣性系で観測してもニュートリノのヘリシティは同じである。
ヘリシティが逆転するのは、あるスピンを持ったニュートリノを
ある慣性系では正の方向に運動しているように観測する場合と、
別の慣性系では負の方向に運動しているように観測する場合で起こる。
ニュートリノが観測者に近づく場合と、観測者から遠ざかる場合では、
スピンの向きに対して運動の方向は同じであるため、
ヘリシティの逆転は起こらない。」
という説明をしているサイトを発見しました。
つまり、
仮にニュートリノを追い越すことが出来ても(=運動量を反転しても)、
スピンの向きが同様に反転するため、結果としてヘリシティも逆転しない、
と書かれているように読めます。
この説明は、上で記述した「よくあるロジック」と食い違っているように思えます。
一体、どの記述が間違っているのでしょうか?
あるいは、僕は何を勘違いしているのでしょうか?