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昔の別れの言葉は?英語の「バイバイ」以外に使われていた言葉とは?
- 昔は別れの際には「さようなら」という言葉が使われていた。
- 淀川長治さんはテレビで「さいなら・さいなら」と振りながら別れを告げていた。
- 赤ちゃんに対しても「バイバイ」と手を振る習慣があった。
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追記 1934年(昭和9年) 作詞: さとう よしみ 作曲: 川村 光陽 「グットバイ」 http://j-lyric.net/artist/a00126c/l00106e.html 年号表示 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E6%9D%91%E5%85%89%E9%99%BD 終戦の年にこの曲が流れたかどうかは、不明です あの関東大震災から2年経ちました。 何もかも失った庶民が同じような状況下であった事を思うと、 ただ、復興を始めた数年後にあいさつに使われても不思議ではないでしょう。 「グットバイ」 そして 一歩進んで「バイバイ」が、敗戦後の昭和20年の日本に当然のように溶け込んだとは思えません。 しかし 一部では言葉として使われた可能性は無いとも言い切れないでしょう。 大戦前には生まれていた言葉ですから・・・。
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- risunotorasan
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>昭和20年前はなんて言っていたんでしょう? もはや答えの出しようもない窮地に立たされた心境です。 帰りのの燃料も無いまま、戦闘機に乗って敵艦に突っ込んだ若者 あるいは人間魚雷に乗って水中を敵に向けて、ただ一心に操舵した若者 彼らが それぞれの機種に乗る際に、仲間達にバイバイと発したかどうかは知りません。 恐らく 敵はアメリカです。ありえないでしょう。 しかし「天皇陛下万歳」を叫ぶように命令されながらも、一人狭い操舵席で 「お母さん さようなら」と、叫んだことは確かだと思います。 ただ、質問を覆すようですが、明治時代、大正時代には バイバイという言葉が有ってもおかしくは有りません。 世界との交流が始まって60年ほどの長き平和な時代がそこに有ったのですから・・・
お礼
いろいろと思い起こさせてしまったようで、申し訳ないです。 ただ、ことの発端は、小学校外での子供たちのバイバイです。 近くでバイバイ、遠く別れて、バイバイ、角を曲がるときにまたバイバイ。 中には、しかとするようなこどもたちもいて、遠くのほうで バイバイを叫んでいる子がいたりする。 結構、シビアだなぁと。 そして、今生の別れにも、軽く、バイバイというのも悪くないとも思うようになり そんなときに、認知症の当時代用教員をしていた実母の、疎開先での、妹に対するバイバイ記憶なんです。 ただ、お説をさらに覆すようですが、太平洋戦争以前は ’外国語’を使ってのフラットな別れの言葉を言えるような相手というのは、かなり限られます、ソレはこどもとはいえそうです。 小作農であって、自作農民ではないから。 この時点で、軽く、バイバイと言い合うような 子供たちの風景はないでしょうと、思うのです。
面白いご質問だなぁと、興味を持って 質問者様と回答者様方のやり取りを拝見していました。 >認知症の母が終戦時には代用教員なのに、 >学童疎開した自分の妹に、「バイバイ」はありえないのですよ。 確かにそうですね。 戦前、戦中の尋常小学校では、別れのご挨拶は 「さやうなら(さようなら)」と教えていました。 他の回答者様が、歌の歌詞を書いておられましたが、 貴重な情報で、なるほどなぁとと思いました。 歌の歌詞で、子どもたちにも分かりやすく 礼儀作法や史実を教え、家庭にも広めていたのです。 代用教員をされていたお母さまということですから、 率先垂範という意味でも、お母さまは自然に 「さようなら」を使っておられたことでしょう。 小さな妹さんも、尋常小学校の「少国民」ですから、 学校で教わったように、自然に「さようなら」と返したと思います。 さて、学童疎開した自分の妹に手を振る場面ですね。 人目があったら(昔の方々は、他人の目に気を使いました)、 多分「さようなら」の言い方に思いを込め、 ゆっくり手を振り続けた、あたりがリアルかもしれません。 人目がなくて、万感の思いを込めて可愛い妹に 別れを告げる場面なら、「また会いましょう」の意味を込めた、 「またね」か、「またねの意味の、使い慣れた方言」かもしれません。 たとえば、うちの九州の母の実家を例に挙げると、大伯母や曾祖母は 「〇〇さん。そいぎー」と言いつつ、ゆっくりと手を振りました。 昔の人たちは、(一般庶民でも)今よりずっと動作も言葉づかいもゆっくりで、 伝え方や、ちょっとした動作のニュアンスを大切にしていたそうですよ。 小説家で脚本家だった向田邦子さんの「父の詫び状」には、 学童疎開をする小さい妹を送る場面や、時代の空気感がよく描かれています。 もしまだ読んでおられず、疑問が解けないようでしたら ヒントがあるかもしれませんので、ご一読をお勧めします。
お礼
イロイロとご配慮ありがとうございます。 母が代用教員と言っても、たぶん、自分の妹には ’きちんと、さようなら’は絶対に言わないと、確信があります。 なぜなら、へそ曲がりだから、なんでもないようなことのように 振舞うはずなんです。 もう、最後かもしれないから、会いに来たとかは、しない人だから。 そして、いま、昔話で’あんたたちはめぐまれているわよ’ということでどれだけ、実際に喰うに困ったかとか 兄弟が子供の頃は・・・という話が繰り返し繰り返しで出てくる。 そのなかで、別れの場面で全部バイバイなんですね。 向田邦子さんが’さようなら’と書いてもこの場合参考にはならない。 なぜなら、母の感覚としては、今感覚でのバイバイ相当として その当時に、バイバイ相当語?を使っているはずですから。 まるで、明日にはまた来るね、また明日ね・・・ のような、・・・でしょうか? コレで被災するなら、今生の別れなのにデス。 (母)兄は戦地で、母は東京で、妹たちは長野と熊本だったという 話になってますが。 ですので、余計に、’サヨウナラ’と正しく使うはずは無いとも いえる。 結局、母の家族は全員が無事で戦後いろいろありましたが 横浜にまた、家を構えることが出来ましたので、 そこまでの長い話のあっちこっちの繰り返し、繰り返し・・・を 今ナイズされての昨今です。 戦争体験だけは、きちんと聞いておこうかと。 皆様のご記憶をお尋ねする次第です。
- 141ggi
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「アバ~」横浜の60前のジジイの小学生のころ
お礼
これ、あばよぉ・・・でしょうかね? 私たちは、じゃぁね、でしょうかねぇ、そしてそのお尻に 必ず、バイバイがつく。 同じく横浜の60過ぎのバーさんのわたしですが。 いろいろ思い出しておかないと、 話が、わからなくなってきますので。 ありがとうございます。
- risunotorasan
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題名: お帰りの歌 1、今日も楽しくすみました なかよしこよしで帰りましょ 先生さよなら またまたあした 2、折り紙積み木も片付けて おかえりお支度できました みなさんさよなら またまたあした 作詞: 天野蝶 と有ります。 http://maki2.sitemix.jp/Whatsrit.html 天野蝶先生<1891~1979> 30数年前に88歳で亡くなられています。 私は戦後の保育園で歌った(習った)記憶があります。 今でも受け継がれているようですが・・・。 果たしてこの方が 何歳で作詞されたのかは存じませんが、いずれにしても戦前のお話でしょう。 そこには 勿論、バイバイなる言葉は入っていません。 先生さよなら 皆さんさよなら さよなら が 別れの言葉でした。 さよなら さいなら 少し言葉を変えても それに近い言葉で有ったかと思います。 山奥のド田舎の育ちですので、 ましてやラジオもほとんど無い、電話も無い時代・・・ 学校での教育が唯一の言葉を覚える手段でしたから・・・ 加えるならば 年一回の春祭りに、旅の芸人を迎えて演劇やら 浪曲を楽しみにしていた時代です。 もっと調べるには 尋常高等小学校の教材をひも解けば出て来る筈です。 その頃の修身(今の道徳)の部類になるのでしょうが・・・ 当然、そこに外国語が入る筈も有りませんから・・・。
お礼
はい、教科書にはバイバイは、むかしは入りようもない。 そして、教科書に載っているような挨拶を、探しているわけではないのです。 何しろ、国がこどもたちに刷り込もうとしている教科書ですから。 戦後は塗りつぶしばっかりで。 いまなら、日常語も、教科書にはのりますが、 昭和20年以前ですから、’教育的言葉’だけ載せてあるのは 当然です。 ですので、こどもの使うような、’おまえのかーちゃんでべそ’の ような、感覚のことで、バイバイに相当するものを 探しているんです。
- angiras
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少しズレルかも。 子供のころは「またね~」と言っていました。 中学生のころは「まず!」と言っていました。「まずまず」は丁寧語でした。
お礼
またね・・・。 あしたね・・・。 じゃぁね・・・・。 (そして)バイバイ・・・♪ 私の感覚ではどうしても、ここに、昔もバイバイに成り代わるものが、入るようにおもえる。 歌の歌詞ではないかが、 ’さようならは、別れの言葉ではなく、 再び会うまでの、遠い約束♪・・・’があるということは 基本的にさようならって、サヨウナラなんだということではないかと 思ったりするので、 さようならって、言いたくないなとおもうのです。
- plokij75
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小学生位の時には、「さいなら」と言っていました。 中学生ぐらいになると、気取って、「さよなら」でしたね。 北海道で育ったので、「さいなら」は、方言かと思っていましたが、淀川長治さんが「さいなら!さいなら!」とTVで言っているを聞いて、何だ!関西の言葉だったのかとも思っていました。 また、幼児語と言うのか、赤ちゃん等に言う時は、「はいちゃい、はいちゃい」と言っていましたよ。 改めて、「はいちゃい」を見たら、「はい、さようなら」の略語のようですね。 ・「さいなら」 1.yahoo辞書: http://dic.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E3%81%95%E3%81%84%E3%81%AA%E3%82%89&fr=dic&stype=prefix 2.weblio辞書: http://www.weblio.jp/content/%E3%81%95%E3%81%84%E3%81%AA%E3%82%89 ・「はいちゃい」 1.yahoo辞書: http://dic.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%A1%E3%82%83%E3%81%84&fr=dic&stype=prefix 2.kotobank: http://kotobank.jp/word/%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%A1%E3%82%83%E3%81%84
お礼
さいならも、はいちゃも使いました、私自身が子供の頃に。 ただ、はいちゃは、バイちゃとも変化?してましたし、 バイならともいった。 バイバイがそれだけ深く入り込んでいた。 でも、さいならも、はいちゃも身近・至近距離でつかうので、 あっちとこっちと離れたときにも、 こどもたちが使ったようには思えないのです。 私はすでに、もちろん、アッチとこっちでバイバイ~♪です。 そして、離れてまで別れの儀式を引きずる。 今でも、こどもたちはアッチとこっちで別れの儀式として バイバイやってます。 昔は、やらない・・・・・は、ないとおもうので。
- riro-ron
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子供同士なら「それでは、また明日ね」で 赤ちゃんへなら「またね」とかでしょうか? 昭和7年生まれのじいちゃんに聞いたところ 戦後「バイバイ」になったけれど その前はあまり覚えがないが (友達同士は)「じゃぁね」くらい言ってたかな との事でした。
お礼
たしかに男の子たちと、女の子たちは昔は言葉が違ってました。 男の子たちはふざけて、さらばじゃぁーーーとか。 確かにじゃぁね・・・は出ますが、コレだけじゃないとも、 思うのですよ。 生活のなかであまりに当たり前に日常になっていたことは、 時代が変わると、全部変わってしまって、なくなってしまったと。 バイバイは、戦後のこどもがいち早く、ギミーチョコから、 バイバイと米兵から言われて、動作と言葉と覚えた。 こどもから始まって、こどもが大人になってもそのままの 一種の’終戦文化’です。 ・・・で、元々がまったくわからなくなってしまった。
- g00g0g00
- ベストアンサー率34% (101/289)
#1です。 悔しいので、もう一度調べてみたところ、 そもそも「さよなら」「さようなら」は男性が使う言葉だったそうですよ。 「左様ならば、失礼いたす」などは、江戸時代。 そして平安時代には「まかりなむ」が同じように使用されていたみたいです。 ・・・。 語源を調べていてもしょうがないですね^^; 「子どもたちはどんな風に別れを告げていたか」のようなことが気になった訳ですもんね。 「まかりなむ」という言葉の紹介、および、昔は男言葉として使用されていた。 という回答で、以上!降参します! (祖母、祖父は他界しているので、当時のことが聞けません) あー、気になるなぁ。誰か答え出してくれないかなぁ。
お礼
【「子どもたちはどんな風に別れを告げていたか」のようなことが気になった訳ですもんね。】 そうなんです、まさに、ソレです。 さようなら、とか、ごきげんようとか、確かにお上品に別れは告げるでしょう。 が、しかし、みんながみんなお嬢様じゃあるまいし、コレは一般的ではないし、多少とも離れた道路のアッチとこっちなどのときにも、こどもたちは、声を張り上げて、「じゃぁねー! バイバイ」と声を張り上げたりしているし。 名残惜しい、たかが公園遊びの帰りにも離れながらも何度も 声を上げて「じゃぁなーバイバイ」 「じゃぁねーバイバイ明日ねぇ」とか。 メインは、あくまでバイバイの手を振る動作。 このときに、大声あげて、なんといったか、繰り返したか・・・です。 ただ、今は言わなくても、昔は○○とやった・・・・なら、 その記憶をたしかめたいと。 認知症の母が終戦時には代用教員なのに、 学童疎開した自分の妹に、「バイバイ」はありえないのですよ。 でも、すでに記憶がすり替わっているので、なんともならない。
- hiroki033
- ベストアンサー率39% (711/1788)
こんにちは。 普通に「さよなら」じゃないでしょうか。 高齢者介護の仕事をしていますが、おじいさんおばあさんが小さい子どもを見られ、別れを告げるときは「さよなら」または「さいなら」と言われます。 バイバイがなかった時代に育ち、認知症が出てからもそのように言われるのですから。
お礼
認知症の実母がバイバイといいます。 彼女は終戦の年には代用教員をしています。 そういう年齢ですが、子どもの頃のはなし、 自分の兄弟の話をすると、場面でバイバイをつかう。 年寄りが、子どもに向かって言うようなときには 教育的観点からも、バイバイというより サヨウナラを使うのは普通です。 子供同士でなんといったかなんですけど。 認知症といえども、オトナが子どもに言っているという 認識であるなら、サヨウナラはありです。 もし、認知症で自分も子どもだという認識で 本物の子どもに向かって、こども返りした状態で さようなら・・・なら、そうかもしれないですが。
- renkorus
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多分、終戦後にアメリカ兵が日本に駐屯してからだと思いますので、昭和20年前には使われていなかったのではないでしょうか?
お礼
カレーライスでさえ、辛味いり汁かけご飯とか言い換えた時代です。 もちろん、バイバイを昭和20年以前に使ってないのは知ってます。 ソレをお尋ねしているわけではない。 今なら、バイバイと手を振って子どもたちが別れるような シュチュエーションでの、日本的な子どもたちのいわば その日の別れる儀式のような挨拶があったはずなんです。 今なら、バイバイと手を振るようなこと・・・・というのを お尋ねしています。
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お礼
【大戦前には生まれていた言葉ですから・・・。 】 ああ、コレです! そうか、あのグッドバイという歌はそんなにも古いものだったのですね、知らなかった。 グッドバイ、グッドバイ、グッドバイバイ・・・♪ 私も幼稚園でやりました。 だから、グッドバイであって、そのついでの、グッドバイバイだと。 あくまでも、グッドバイバイから、バイバイと外れて、バイバイが 独立、繁殖?するのは、戦後としても、下地は大人のほうにも あったということですね。 ただ、このグッドバイは、’手をあげて’ですから、 今のように、手を振る動作になったのは、進駐軍からだということは確かだと思うので、 この時点からすべてのバイバイが始まったと思うから、 実母のバイバイはないはずという、私の思い込みかもしれないと 思い至りました。 ああ、ありがとうございます! 私の心中では大納得です。