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慶応、早稲田等は本当に難関?昔は滑り止めだったが?
私は、50年前京大の経済を滑ったが、工学部の半分、薬学、農学、文学、教育なら十分受かっていた。結局、国立2期校に合格し、商社に就職した。その頃は、慶応、早稲田等は滑り止めで、同志社、関学などは、あまり勉強をしてない人が行った大学だったが、今は様変わりし、それぞれ難関私立大学などと言われているが、本当なのか?私の商社時代の同僚でも、難関私大出の諸君は、全般的に、教養のない、体力勝負の人間が多かった。本当に変わったのか?今の日本の現状を見ると、いわゆる難関私大出の人々が政界や財界や、マスコミ界の一線で活躍しだしてから、この国がだめになったような気がする。反論があればお聞かせください。
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私は1946年生まれですので、あなたより1学年下で、1965年に京大に進学した人間です。 九州出身ですが、地方の高校生にとって当時でも慶應・早稲田・同志社等は、決して滑り止めに受ける私学だとは見なされてはいなかったと思います。少なくとも難関校の部類でした。 まぁ、最近はMARCHだとか日東駒専という大学の分類があるようですが、当時ではこれらこそ滑り止めの大学だという感覚だったのではないでしょうか。 1969年に某社に入社し、同期生には慶應・早稲田・同志社出身者も多くいましたが、彼らは決して“教養のない、体力勝負の人間”だったとは思いません。 最近の私学の評価については、当時とは様変わりしていて何とも言えませんが・・・。 質問者様の認識は、偏見に満ちているように思います。 わずか4年ばかりの大学の学歴などには大した意味はないと思う者です。 社会人となってからの実践的な努力と研鑽の積み重ねの結果こそが、その人の本当の価値を示すものだと思います。
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>今は様変わりし、それぞれ難関私立大学などと言われている どこが変わったかというと: ・18歳人口が減った。それでも生物種ヒトの能力分布は不変で,大学入学定員はほぼおなじなので,すべての大学で学生の学力が下がった。むかしは大学に行けない学力層も大学進学を希望するようになったので,そこから見れば熟語で呼ばれる大学ならそこそこの難関になった。 ・いまは経済力があがり,子供の数も少なくなったので,私立大学にやれる家庭がふえた。かたや,国立大学の授業料も上昇して私立大学の半額くらいの水準になったので,「うちは貧乏だから国立にしかやれんぞ。必死で勉強して社会登攀しろ」という家庭が減った。私立大学の難関化は,国立大学の地盤沈下と表裏一体の現象。 ・都会と地方の経済的な地域格差が広がり,就職機会がおおい都会への志向がむかしよりも強まった。だから,都会にある大学は一翻(イーファン)上乗せした人気がつくのも当然。 ・私立大学は就職支援に力を入れ,同窓会もおおいに奮闘した。大学を就職予備校化したわけ。 >全般的に、教養のない、体力勝負の人間が多かった。 そりゃあ,あなたもふくめて,商社というヤクザな業界だからです 笑。 >政界や財界や、マスコミ界の一線で活躍 出身大学にかかわらず,そういう連中のレベルが低いわけ 笑。
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お説ごもっとも。ありがとうございました。
No.5です。 勘違いがいろいろとあったようで失礼しました。 ただ、私立大だけでなく、東大出身でもどうしようもない政治家も多いですよ。 一部の私立大出身者が日本をだめにしたというような言い方は賛成できません。 失礼ながら、20代の私から見れば、「上の世代が日本をだめにした」としか思えないのです。 早稲田の人は付き合いがないのでわかりませんが、慶応の人は頭の柔らかい、優秀な人が多い印象があります。 今現在、難関校であり、実際に優秀です。
お礼
再度のご回答ありがとうございます。私も、本当は、出身大学なんてどうでもよいのです。難関国立大学出身者でも変な奴は変な奴。私大出身でも、判断力が立派で、上に立てる人はいくらもいることは承知してます。高校3年間での受験勉強に対する非難が、各方面でありますが、あの時代本当に勉強に明け暮れ、記憶力に偏重があるとの批判の詰め込みでもなんでも、勉強した、必死で努力したことが必ず人生で役立つことは確信しています。私が言いたいことは、あの頃の国立大学入試は原則7科目、私大は3科目(一部4科目)勉強の絶対量に於いて随分差があった。そんなことは無駄だと言われても、それだけ苦労しているともいえる。その苦労が、社会人となった時、生きてきたと自負できるし、苦難の時、我慢する能力もできているということを伝えたかった。それだけです。
- nishikasai
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>慶応、早稲田等は本当に難関?昔は滑り止めだったが? 団塊です。今、早慶は難関になっているようです。 私の頃はちっとも難関ではありませんでした。私は早稲田に行きましたが、埼玉大学に行った同級生から馬鹿にされました。当時は国公立の価値は非常に高かったです。日本全体が貧しく私立大学の学費を払える親は今よりずっと少なく「国公立でないと大学にやらんぞ」と宣言している親が多かったです。国公立に入った学生は親に負担をかけずに進学したことを誇りに思っていました。 この時代の移り変わりの理由は、たぶん東京の私立大学でのびのびと学生生活を送る楽しさを知った世代が親になってこどもたちにもそれと同様の思いをさせてやろうとしっかりと学費を貯めるんでしょう。
お礼
ご回答ありがとうございました。私も、2期校も滑ったら、調理人になるつもりでした。でも、家は貧乏だったので、一発合格必至の状態で、いつもの実力が出なくて、絶対受かると思っていた1期校を滑ってしましました。その時のトラウマが、私の人生の節々に現れ、特に受験期は今でも、あの時の記憶が鮮明に蘇ります。でも、今(67歳)で、やっと、平安を保ち、穏やかな、趣味に生きる安定した終末期を送っています。死ぬほど勉強した、あの時の頑張りが、今花開いたのかなあとも思っています。ありがとうございました。
釣りかと思いましたが、2期校という聞いたこともない言葉を使っているあたり、本物の団塊世代でしょうか。 「私は京大の経済を出たが、早稲田や慶応なんてあの頃は滑り止めだった。」 これだったら少し興味を持てる話ですが、50年も前に大学に落ちたことを自慢話にように言われても恥ずかしいだけですよ。 国立二期校のリストを調べてみましたが、その中で20代の私の感覚で優秀な大学なのは東工大か金沢大くらいですね。 慶応、早稲田が滑り止めだったとのことですが、実際に受験されたのですか?そして合格されたのですか? 私の感覚からすれば、どこの大学出身者が活躍し出してたからというより、団塊の世代が金を儲けることしか考えずに馬鹿なことばかりして日本がボロボロになったというイメージしかないですね。
お礼
下らない繰り言にご回答いただいて、ありがとうございます。私は、団塊の世代でもないし、(その前です)慶応、早稲田は経済的な関係で受験してません。あなたの2期校のリストの調べは少し乱暴です。東京外大や、横浜国大、名古屋工業大。大阪外語大(現阪大外国語学部)滋賀大、九州工大など、今でもユニークな大学もあります。私は同期の友人が多くいますが、慶応、早稲田を滑り止めで受かった人は多くいますし、一期校の偏差値の少し下の文学、教育などを受かって2期校に来た人もいます。「それがなんだ」と言われればそれまでです。人生は、学歴ではないことは理解しても、知的な職業についている人の中で、特に、有名私大出身の人々で、あまり優秀でないなあと思う人が多いことは私にとっては事実です。
- ppkk
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人生における大先輩に対して誠に恐縮なのですが…… おそらく既に社会に対する自らの貢献の生涯の集大成に差し掛かっているほどの人生経験を持つお方が、半世紀も過去に志望校に入れなかったことを言い訳したり、そこから感情的に特定の大学への批判へと結びつけるという段階で、どこか人の生きざまとしての悲哀を感じてしまいました。 そしてさらに、およそ高度経済成長期から現在にかけての国家の推移というあまりに大きなテーマまでも、特定の大学の出身者の影響によるものという些末な事柄を根拠に断ずるというのは、あまりにも乱暴かつ短絡的に過ぎると感じました。 年配者への数々の失礼な言葉、お許し下さい。ただし、これが私が受けた素直な感想であり、ある意味“回答”でもあります。
お礼
仰る通り、こんなことを考える私は、出身校の関係なく本当に馬鹿だと再認識します。私が本当に、羨ましいのは、ナンバースクールから(いわゆる、一中、三校、京大と言うような流れで)エリートが形成され、それぞれの学校で、国家のために自分の命、学んだものを捧げるような教育を受け、自他ともに認める「選ばれた人」が社会を動かして行った、あの頃のシステムです。それに飽き足らない、一部の反逆児が、慶応や早稲田の私学を作り、それに対抗心を燃やした(勿論、卑しい国家からの補助金などを求めない)気骨のある人間が多くいたあの時代です。
- TANUHACHI
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まあ「世代間ギャップ」の典型でしょうね。 少なくとも僕が受験生だった70年代後半では早稲田の政経・慶応の経済といって早慶は既に全国レベルでの難関大学でした。ですから「全国からの受験生」が集中していたとの結果になります。それにつまらない対抗心を燃やしたのが関西の大学でした。東京一極集中に対する関西人のつまらない意地やコンプレックスの発露でしょうね。また質問者が居住していた地域背景にも「官尊民卑」的な風土が今でも強く根付いています。 確かに東大や一橋を第一志望とする受験生ならば早慶は併願の対象にはなります。そして学部ごとならば「実績を踏まえて」東大-法の場合は、中央-法も選択肢にあがります。「赤門」に対して、法曹界での「白門」の立ち位置は絶大なものがありますから。恐らく関西の方々はご存じないでしょう。 >いわゆる難関私大出の人々が政界や財界や、マスコミ界の一線で活躍しだしてから、この国がだめになったような気がする 一体、何がダメになったのでしょうか。AからBへと変わったことがイケナイと仰るなら、どの部分がそうであるのか具体的に示さねば単なる誹謗中傷の類と変わりません。色々な意見が自由に交わされる場が「京大」の持つ最大の魅力です。国立大学(東大)ではともすれば阿諛追従と揶揄されるように金太郎飴的な部分も見られます。 老人のノスタルジアからすれば、自らの経験則に裏付けられた価値観のみを是とする余り、それとは異なるベクトルを否定して満足することの意味が感じられません。 一つの考え方が全てであるとするならば、それは精神の頽廃ともいえるでしょう。ならば50年前に京大経済学部を滑ったなどつまらない枝葉を披露している背景もわかります。 京大経済を滑ったからといって何の自慢にもなりません。まして工学部の半分、薬学、農学、文学、教育なら十分受かっていた、根拠はどこにもなくまた無い物ねだりの恨み節にしかすぎません。年甲斐もなく自己弁護するのはいい加減になさい!
お礼
ご回答有難うございました。一つだけ申し添えます。あのころの京都の公立高校へは,京大は、受験科目別の、点数結果がフィードバックされていました。従い、私の得点で、上記に述べた学部合格は事実の話です。なお、私は、直前まで、工学部を受けるつもりだったので、「物理」「化学」で受験したので、工学部、薬学、農学、文学、教育の各部を受けていれば合格していたことは事実です。「それがどうした」と言われればそれまで。事実は事実。
- IDii24
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昔の国大は官僚や研究者の養成所で、私学は遊びの場だったと思います。大体高い金を払ってまで大学へ行く連中はお金持ちのお坊ちゃんでしかなかったわけで、女子も極端に少なかったでしょう。 そんな連中はご学友と一緒に会社に入り、ご学友のつながりで商売を成功させてきた。たぶんその時代、恐らく団塊世代までは良かったのでしょう。でも当然次の世代には繋げないです。ご学友がいない訳ですから。 その次の世代になり特に共通一次が始まり、国立が一校しか受験できなくなってから、早稲田、慶応クラスは格段に難しくなる。つまりがり勉の世代。めちゃくちゃ勉強しないと40倍なんて倍率の大学には入れない。人格は全く無視され勉強だけで良い大学、有名企業、ましてやマスコミもそういう人間の巣になった。 そんな企業が魅力のある製品やメディアを発信できるわけもなく今に至っています。まあ僕らと同じ世代の人間が今企業のトップに居ます。殆どがダメ人間です。学力ばかり高く斬新さには欠けます。人間としての行動もおかしい。団塊世代のように団結もしません。 とにかく前世代の影を追いかけてきただけの人間です。自らは何も生み出せない。あと数年はこんな連中の天下なのです。
お礼
御回答深謝します。まあ、老人の繰り言にすぎません。私は厳密に言えば、団塊の少し前の世代です。今でも、一期校を滑ったことがトラウマとして残り、この時期、いつも憎まれ口を発したいとの誘惑に負けてしまっています。ありがとうございました。
お礼
正に仰る通りです。そんな答えがほしかったような気がします。